第2話 手紙

 ドロシーの閉店時間を迎えた。五時に居なければ、閉店まで顔を出すことのない店長が七時過ぎに店に来た。最悪だ。紗和さんと二人で店を出るときに手紙を渡せば問題ないが、それでは紗和さんの答えを聞くことができない。閉店後すぐに手紙を渡し、できれば今日中に紗和さんの真意を聞きたかった。アレを私の部屋に置いたままなのも嫌なので、紗和さんにオモチャを持ち帰ってもらおうとまで考えていたのに。

 紗和さんが店のカウンターをぞうきんがけしている。私は店の外の掃き掃除だ。何となしに、それが二人で行う閉店作業の役割分担となっていて、今日も自然とホウキを持って店の外で地面を撫でていた。

 右手でホウキを担ぎ左手にちり取りをぶら下げて店内に戻ったところに、紗和さんが思い出したように私に声をかけてきた。

「そういえばヒナちゃん。プレゼントは気に入ってくれた?」

 不意打ちだった。それまでの紗和さんは、いつものおっとりした真面目な紗和さんだったから。あのドキッとする笑顔を見せ、私の答えを待つ紗和さん。その笑顔は屈託なく私へ向けられている。

 答えられなかった。それは控え室からPCのキーボードを叩く音が聞こえたから。音の主は店長以外に考えられないから。あのカタカタという音が私に聞こえるくらいだ。私の発言は間違いなく店長の耳に入るはず。

「え……えっと……」

 顔が赤くなるのがわかった。そんな紅潮を紗和さんに顔を見られたくないので、自然と陽向はうつむいてしまった。

「ヒナちゃんのことを考えながら買ったんだよ? ヒナちゃんに使ってほしいなー」

『はぁ!!?』

 紗和さんの発言とは思えないとんでもない言葉を聞いて、心の中で叫んでしまった。紗和さんを見ると、私の方を見ながらいつもの太陽のような笑顔を浮かべていた。

「う……うん……こ、今度……」

『わー! 何を言っているんだ私は!!』

「ありがとう。次に会うのは日曜日よね。日曜日、使っているとこ見せてね」

『ええええ!!!』

 ありえない。あり得ない。有り得ない。男の子とキスもしたことがない私が、そんな大人でセクシーでアダルトな世界にいきなり飛び込むなんて、絶対に絶っ対にできない。そりゃ紗和さんはたまに商品を落として割ったり、エプロンの表裏を間違えて一日過ごしたりと抜けているところがあるけど、とても綺麗で可愛らしくて包容力のある素敵な女性だ。そう、相手は女性だ。禁断のエッチなんてできるわけがない。

「坂元さん、どうしたの? 固まっちゃってるけど」

「ひゃっ!」

 またうつむいていた陽向が顔を上げると、店長が不思議そうな顔をして目の前に立っていた。

「な、なんでもらいでふ!!」

 何でもない人がこんな短い言葉を噛む訳がない。紗和さんは首を傾げてはいるが、相変わらずの男性キラーの笑顔で私を見ている。私の反応を見て楽しんでいるのだろうか。

「そ、掃除が終わったので、今日はもうあがっていいでひょうか?」

 店長が店にいるときは、売り上げ管理はやってくれる。表の掃除を終えた私には、特にやるべき仕事がなくなったのだ。

「う、うん。いいよ。あがって」

「ありがとうございます。し、失礼します!」

 恥ずかしくてこの場に居たくなかった。ダッシュで控え室に駆け込み、手紙を取り出したエプロンを雑に脱いでロッカーに放り込む。制服姿になった私が駆け足で店を出ようとすると、紗和さんの言葉が背中に乗っかってくる。

「日曜、楽しみにしてるわー」

 振り返るわけがなかった。返事なんて当然するわけがなかった。紗和さんは私をからかっているんだ。優しい紗和さんは表の顔で、裏の顔は意地悪な女なんだ。少し悔しくなって、涙が出てきた。サドルに跨がると、バイクより速いんじゃないかと思うくらいに自転車を早く漕いだ。自宅までの途中にあるコンビニまで着くと、ポケットからくしゃくしゃになった手紙を出して力一杯に二つに破った。まだ悔しさが収まらない。これ以上は細かくできないくらいに手紙をビリビリに破ると、あの時のエプロンと同じように、乱暴に店頭のゴミ箱に投げ捨てた。

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