第15話 追跡者

「はあ、はあ」

(インドア派にこの距離はきついぜ)


 アークが決死の覚悟でシオンたちを足止めしている間、ユウトとウィズはシオンがヒツジの展開していた虚狭空間に覆いかぶせる形で顕現させた虚狭空間からの脱出を目指して病院内を駆け回っていた。


(がんばってユウトこの通路を抜けたら出口のある受付だよ)

(そこから外に出られるんだな)


 シオンの展開している虚狭空間は病院の敷地をちょうどすっぽり収める形で展開している。建物内から出れさえすれば、シオンの追跡を巻いて虚狭空間から抜け出すことは容易。


 それは当然、シオンも重々理解している。


 エントランスホールに続く通路を走るユウトとウィズ。あと五メートルで抜けるというところで、二人のまえにシオンの放った刺客が現れた。


「残念ですがミスター、あなたの逃亡劇もここまでですよ。この私、ジャックザリッパーが来たからにはね」


(ジャックザ、リッパー)


 現れたのはパッと見五十代くらいの初老の英国紳士風の男。シックなチェック色のマントとシルクハット、なにより高く長い鼻が特徴的で顔だけならゲームやアニメでよく出てくるゴブリンとそっくりなのだが端々で垣間見える優雅かつエレガントな所作がただ者ではない気品を感じさせる。


(コイツ、やばい)


「ユウト、ここは私に任せて」


 ユウト同様目の前の使役獣からただ者ならぬ気配を感じたウィズは相棒(ユウト)を守るため杖を構えて前に躍り出た。


「おやおや、ミセス。できれば、女性を傷つけたくはないのですがね」


(名前のせいで説得力皆無だな)


 某有名殺人鬼と同姓同名だが、あの殺人鬼と目の前の使役獣に因果関係と呼べる程のつながりは毛ほどもない。


 あの殺人鬼から生まれた使役獣であるとかそういうことではなく、使役獣たちも人間たちと同じように生まれた瞬間、使役獣たち自身も知らない内に勝手に名づけられているのである。唯一違うとしたら名付け親を知っているか知らないかくらいである。


「これもマイマスターの命(めい)。ミセス、ウィズ。どうかご容赦を」


 恭しい会釈の後、ジャックの姿が、消えた――


「うわっ」

(速いっ)


 ほとんど瞬間移動に近い速さでウィズとの距離を詰めたジャックは懐から一本のナイフを取り出し、ウィズに向け刃を振りかざした。


「く、うぉおおおおおおおおおおおおおお」


 負けじと奇声を上げながらジャックに立ち向かうウィズだが、威勢だけ。


 高速で襲い掛かって来るジャックのナイフを躱すのが精一杯で、反撃をする隙がない。


(見たところコイツはさっきのミノタウルスと違ってパワー系ではなくスピードタイプの使役獣だな。スピードこそ目を見張るものがあるが、攻撃力自体は大したことはなさそうだが)


 といっても紙耐久で有名な魔術師(ウィザード)であるウィズが喰らえば一溜りもないのだが……


(ウィズなんとか距離を取って魔法攻撃を奴に叩き込めないか。スピードタイプはもっぱら防御が薄っぺらいって相場が決まってるからな)

(そうしたいのは山々なんだけど――無理ぃぃ)


 どうにか距離を取って、お得意の魔法攻撃の間合いに持ち込みたいウィズだが、そうはさせまいとジャックはさらに一歩足を前(ウィズの方)へ踏み込んできた。


(仕方ない、ウィズっ、あれを使え)

(わかった――)


(何かする気ですかね)


 二人の纏う空気のわずかな変化を鋭敏に感じ取り、ジャックは己の警戒心を高めた。


(今の彼らにとって一番の至上命題は病院内から抜け出し、マスターの展開した虚構空間から出ること。そのためには私をどうにかして巻くか倒す必要がありますが、ここまで接敵した時点で前者を実行するのは無謀。この状況でわずかながらでも彼らが可能性を見出せるのはミセスウィズで私を打ち倒すこと)


 ジャックは間合いを離すことも詰めることもせず、距離を保ち続けた。


(何をしようとしてるのかわかりませんが魔術師(ウィザード)は基本ミドルレンジでの戦いを得意としているリアガード。このまま距離を保ったまま戦うのが、私のベストセレクションですね)


「たあっ」


 ウィズはジャック目掛けて杖を振り下ろした。


「っ――」


 瞬間、ウィズの杖に埋め込まれた水晶から勢いよく燃え盛る炎がジャック目掛けて放出された。


(これは火っ)


 たまらずジャックは後ろへ数歩下がった。


(しまっ――)

(ウィズ、今だ――)


 ようやく開いた二人の距離。この時をウィズが見逃すわけもなく、渾身の力をこめて杖を振ろうとしたが、しかし――


「危なっ」

(な、ナイフが伸びただと)


 刃渡り十センチ程しかなかったジャックのナイフが鉄とは思えぬ柔軟なしなりでもって五メートル近く離れたウィズの胸を貫こうとその刀身を伸ばしてきた。


「これってもしかして」

((魔法道具(マジックアイテム)――))


 間一髪ナイフを躱したウィズだが、すぐ反転攻勢というわけにはいかなかった。


 なぜならずっと戦士(えいゆう)だと思っていたジャックの正体が実は自分と同じ――


「お前、魔術師(ウィザード)だったのか」


 魔法を操る魔術師(ウィザード)だったからだ。


「言っておりませんでしたかな。これは失礼。では改めて――」


 再び恭しく礼をするジャック。


「私の名前はジャックザリッパー、地上最速の魔術師(ウィザード)です」


 その姿をユウトは訝し気な目で見つめていた。


(こいつわざと言わなかった)


 テイマー同士の戦いはルールのある正式な決闘ではない、ルール無用のストリートファイト。当然、自ら名乗りを上げる必要などどこにもない。


 だが、ジャックはあえてそうした。


 自身の正体を誤認させるために。


「自己紹介ついでに、これは我が愛刀にして魔法道具(マジックアイテム)の万能ナイフです。先ほど見せたように刀身を自由自在に変化させることが出来ます」


 ジャックは手に持ったナイフを器用に遊ばせ、ユウトたちに自分の持つ魔法道具(マジックアイテム)の説明を行った。


「そちらの杖はどうやら物質を一時的のその杖に埋め込まれたクリスタルの中に閉じ込めることが出来るようですね」


 魔術師(ウィザード)は皆、魔法道具(マジックアイテム)と呼ばれる自身の能力を最大限に引き出すための触媒のような特別な道具を持っている。


 ウィズの持つ魔法の杖もジャックの持つ万能ナイフと同じ魔法道具の一つで、ジャックの推察通り水晶の中に物質を吸収する能力がある。


 さっきだしたのは病院内から人を追い出すためにユウトが起こしたボヤ騒ぎの残骸。火災報知機を鳴らしただけでは信憑性に欠けると思ったユウトが起こした火災の残り火である。


(どうしようユウト。もうこっちの手の内がバレちゃったよ)

(お互い、切り札をきるタイミングを完全に透かされてしまったな。ここからは駆け引きの勝負になるが――ぐっ)


 突然胸を押さえてユウトはその場で膝を折った。


(ユウトっ、大丈夫)

(ああ問題ない)


 テイマーと使役獣は互いに繋がっている。使役獣が受けたダメージはそのまま使役するテイマーにも伝わる。


(向こうもそろそろ限界が近づいてるな)


 今ユウトが受けたダメージはウィズによるものじゃない。シオンたちを足止めしているアークが受けたダメージが伝播したもの。さっきまでは針でチクチク刺されたような小さいダメージだけだったが、今のダメージ、アークがかなり手痛い一撃をもらってしまったことを示唆していた。


 突然膝を付いたユウトの姿を見て、ジャックもおおよそ今の状況について把握した。


(時間的に追い込まれているのは間違いなくあちらの方。こちらとしてはこのまま付かず離れずの距離で彼らの足止めをするのが一番の安全パイですが――)


 ジャックは腰を深く落とした。


「来ないのなら、こちらから行かせてもらいますよ。いざっ」


「えっ」

(何、自分の魔法道具(マジックアイテム)を何の躊躇もなく投げてきただと)


 ジャックは動き出す寸前、ユウトとウィズの間目掛けてナイフを投擲した。


(相手の意表を突くために大胆な行動をとることこそ、駆け引きで勝つ定石)


 自分たちに向かってナイフを投げつけられたことよりも魔術師(ウィザード)にとって生命線であり切り札でもある魔法道具(マジックアイテム)をいとも容易く手放したことにユウトたちは驚き、面を食らってしまった。


 ジャックの投擲したナイフをつい反射で躱そうとしてしまった結果、ユウトとウィズの距離が少しだけ離れてしまった。


「そこを躊躇うようではあなたに勝負師としての才能は有りませんよ」


 その隙間を見逃すことなくジャックは一気に踏み込みユウトの目の前まで距離を詰めた。


(もう一本のナイフっ)


 ジャックの手にはつい今しがたユウトたちに向け投げたナイフと全く同じ見た目のナイフが握られていた。


(言い忘れておりましたが私の魔法道具(マジックアイテム)は形を自在に変えるだけでなく自身の分身を好きなだけ生み出すこともできるのですよ)


 ジャックはナイフを投げる寸前、すでにもう一本のナイフをコピーして懐に忍ばせていた。


「ユウトっ」


 ジャックは手に持ったナイフを的確にユウトの胸目掛けて迫る。


(まずい)

(お命、頂戴いたします)


 鉄の毒牙がユウトの胸を貫く寸前、辺り一帯を白い煙が覆った。


「これはっ」

(煙(スモーク)……)


 ユウトは咄嗟に近くにあった消火器を手に取り、ジャックに向かって噴出した。


「ユウト、どこ、ユウト」


 ユウトたち全員を視界の悪い白い煙のドームが包み込んだ。


(目くらましのつもりでしょうが、これは完全に悪手)


 ユウトの名前を呼びながら辺り一帯を当てもなく飛び回るウィズに対し、ジャックは一人その場に佇んで辺り一帯の様子を注意深く観察していた。


(咄嗟の判断にしては上出来ですがこの煙(スモーク)では互いに位置を確認できずテイマーと使役獣同士でうまく連携を取ることは不可能。煙が晴れた瞬間ミスターユウトの胸(ハート)をこのナイフで貫いてしまえばそれでこの勝負――ジ・エンドです)


 やがて、煙が晴れていき一人の人間の影がジャックの目の前に浮かび上がった。


 ユウトは煙が視界を埋め尽くす前にいた位置より五歩ほど、後方に下がっていた。


(見えた)

「そこっ」


 ジャックは一気に距離を詰めるため、足を前に深く踏み込んだ――


「ガハッ」


 瞬間ジャックは顔面を固い岩のようなもので殴られたような衝撃を受け後方に行きよく吹き飛ばされた。


 自分の身に何が起こったのかジャックはわからなかった。


 晴れかけていたとはいえ視界のはっきりしない煙の中、高速で動ける自分をだれが的確に捉えることが出来たのか煙が晴れてようやくジャックはその正体を知ることができた。


 ユウトの前に立つ、金色の毛皮を持つ四足歩行の怪物。


(もう一体の使役獣)


 元々視力を持たず卓越した皮膚感覚を持つワイバーンにとって煙などあってないのと同じ。ワイバーンなら高速で動けるジャックの動きにも対応することが出来る。


 ユウトはシオンたちの足止めをするアークを戻し、ワイバーンを顕現させ天井の壁に張り付かせた。


 消火器による煙はジャックの攻撃をしのぐためのものではなく、ワイバーンを召喚したことを隠すための目くらましだった。


「よくやったウィズ、ワイバーン」


「やったー」

「ガウッ」


 勝利を喜ぶ余韻も束の間、三人はこの建物から抜け出すためエントランスホールへと走った。



★★★



 アークとヒョウカの戦いが始まってから三分が経過した――


「時間通りだな」


 アークはヒョウカの前に膝を折っていた。


(まさかこの俺様がここまで手も足も出ないなんて)


「あなたはまあまあだったよ」


 対してヒョウカは涼しい顔でアークの前に立ち、見下ろしていた。


「まあまあか、それは俺様にとってこの上ない侮辱だな」


「誉めたのに」


 結局アークはヒョウカ相手に手も足も出なかった。


「別れの挨拶は済んだか」


 ユウトと別れてからアークは一度もユウトと交信をしていなかった。


 ヒョウカとの戦いも攻めに固執せず、あまりユウトに自分が受けたダメージが伝播しないよう守りに徹した。


 すべてはユウトを目の前の戦いに集中させるため。


 目視することはできなかったがアークの隣をすり抜けていったのはシオンが放った刺客。建物内からの脱出を目指すユウトの足止めをするため、恐らくスピード特化型の使役獣。


 あのリアリストになれそうでなりきれない甘ちゃんマスターならアークのピンチを知れば目の前の戦いに集中できず、最悪ここまで引き返してしまう可能性まである。


 それを未然に防ぐため、アークはユウトと一切連絡を取らなかった。


 今この時さえも――


「ヒョウカ、とっととそいつにとどめを刺せ。ユウトの中に逃げられる前にな」

「わかった」


 ヒツジを刺したのと同じ、水色の槍を手にヒョウカはアークの胸目掛けて槍を振りかざした。


(ユウト……すまない)


 心の中だけで、短くも浅くもない付き合いのマスターに別れの挨拶をした瞬間――


「「っ――」」


アークの体を紫色の粒子が包み込み、アークの体諸共霧散した。


「消えた……」

(ユウトがアークを戻したのか)


 アークが消えて数秒後――


「グハッ」


「シオンっ」


 シオンの全身をとてつもない激痛が襲った。


「ジャックザリッパーがやられたのか」


 何があったのか知るためジャックに呼び掛けるシオンだが、ジャックからの返答はない。


(根源はまだ砕かれていないようだが、戦闘続行は不可能みたいだな)


 シオンはジャックを自身の中に戻すとヒョウカと共に急いでユウトを追いかけることを決めた。


 シオンは再び、腕を前に伸ばした。

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