第14話 凍てつく闇

「僕が、事件の、黒幕……」


 一体何のことだいと言いたげな顔で、すべてを理解している男は厭らしい笑みをユウトに作って見せた。


「爺やが勝手にやったことだとは思わないのかい」

「思わねえな」

「即答だね」


 動揺した素振りを見せず、余裕たっぷりの態度でいるシオン。実際、ハッタリでも強がりなくシオンにユウトに追い詰められたという自覚は全くと言っていいほどなかった。


「どうして俺だと」


「最初に会った時から怪しいとは思っていた。不本意なことにな」


(ユウト……今日は早く帰ってゆっくり寝よ)

(…………)


 憐れみ滲み出るウィズの言葉をガン無視してユウトは話を――


(ウィズ、時に優しさは人を傷つける凶器になるんだぞ。気を付けろ)

(お前ら少し黙ってろ)


 続けることはできなかった。


 ウィズとアークがちゃんと大人しくなったのを確認してから、ユウトはシオンとの話に戻った。


「俺が確信したのはついさっきだ」


「つい、さっき」


 シオンは先ほどの、レオの見舞いから帰るユウトとばったち会った時の事を思い出し、その時の会話に思考を巡らせた。


(勘や本能で動くような奴には見えない。となると、何かはあったはずだ。少なくとも俺が今回の事件に何らかの形で関わっていると奴に確信させる何かが)


「後学のために聞いておこう」


 だが結局、シオンにはわからなかった。


「レオの見舞いに行った後の俺にお前は言ったよな」


『ユウトも気を付けた方がいいよ』


「それがどうかしたか」


 ヒツジに襲われ入院したレオの見舞いをした帰りに偶然会ったユウトに掛けた、お前も襲われないよう気を付けろよという友人を心配する意図の社交辞令。


 文脈としてもおかしいところは一切なく、ひっかかる箇所は見当たらない。少なくともシオンの中では至極自然な会話の流れだった。


 だがユウトにとっては、違った――


「どうして知ってたんだ。レオが襲撃に遭ったことを。レオは高校を停学中。襲撃事件があった時、俺たちは一緒にいた。レオたちのいる虚狭空間とは距離が離れすぎていて、俺たちが感知するのは不可能。現に俺がレオの襲撃を知ったのは全てが終わった後だ」


 レオがヒツジこと巷で話題の謎のコート男に襲撃されたことを知っているのはユウトの知る限り、レオ本人とその家族である妹のリナ、そしてそのリナから連絡を受けた自分(ユウト)、この三人のみ。


 担任の教師でさえこの事実は知らされていない。にも関わらず、つい最近ユウトたちのいる高校に転校してきたばかりのシオンは知っていた。


「お前が裏で糸を引いていたとしか考えられないよな」

「なるほど」


 シオンは心の底から納得した。


「坊ちゃん……」

「爺や」


 アークの投げつけたクラーケンの触手に巻き込まれ、自身のもう一体の使役獣スピリッツオブゴートと共に壁に全身を強く打ちつけ動けなくなったヒツジのも元へシオンはゆっくりと歩み寄った。


「よくやってくれた」


 そう言うと同時にシオンはヒツジと同じように指をパチンと鳴らし、あと少しで消えてしまいそうだったヒツジの不安定になった黒い虚狭空間の上から、自身の透き通る川の中のような淡い水色の虚狭空間を展開した。そして――


「ガッハッ」


 シオンはいつの間にか握っていた水色の槍でヒツジの胸を突き刺した。


「っ――」

「貴様はもう用済みだ」


 気づくと、シオンの背後には美しい水色の髪をした和服美女が王に付き従う侍女のように立ち静観していた。


(あれが奴の、シオンの使役獣か)


 尽くしてきた従者に対し非道な仕打ちをしたシオンは、ヒツジの胸に槍を刺したまま、ユウトの方へ向き直ると手を開いて差し出した。


「絆優人(きずなゆうと)、俺と共に来い」


 シオンの言っている意味をユウトが理解するのにしばらく時間を要した。


「貴様が気に入った。俺の部下になれ。俺のために生き、俺のために働け。そうすれば貴様はこの先、ただのつまらない普通の人間が一生かかっても得られないほど幸せを毎日、毎分毎秒享受することができる。悪くない話だろ」


 シオンの言葉が、右から左にただただ流れていく。


 興味がない、スケールがデカすぎる、違う。


「俺のモノになれ、絆優人(きずなゆうと)」


 ユウトは心の底から呆れていたのだ。


「本気で俺がその話に乗ると思ってるのか。だとしたらお前、相当なイカレ野郎だぜ」


 シオンの提案をユウトが呑むわけがない。


 知人を傷つけ、関係ない人間を巻き込むことに何の躊躇も示さず、自分のために動いてくれた仲間を労うどころかただ一度の失敗をあげつらい制裁を加える。


 そんな相手に、たとえ相手がユウトでなくとも、付いていくわけがなかった。


「残念だよ、絆優人(きずなゆうと)……だが安心してくれ、今の話、半部は冗談だ」

「冗談」


 まず最初に異変に気づいたのは、この中で一番人の機微や感情の動きに敏感なアークだった。


 アークはシオンが心の奥底へひた隠しにしていたユウトに対する敵意、悪意が一気に浮上してくるのを誰よりも早く的確に感じ取った。


 そしてわずかに、自分たちの立つ建物の床がわずかだが、不自然に揺れていることに気づいた。


「ああ、貴様の気を逸らすための――ただの時間稼ぎだ」

「伏せろっ」

「えっ」

「っ――」


 アークが叫ぶと同時にユウトも重々しい存在感のある何かがものすごいスピードで自身の元へ砲弾のように迫って来ていることに気がついた。


「ぶもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

「こいつは――」


 窓を突き破り、現れたのはある神話に出てくる超有名な怪物に瓜二つな見た目をしたシオンの使役獣――二メートル以上ある巨大な体躯に、ボディビルダーも真っ青な日焼けした筋肉質な体、それらを差し置いて真っ先に目に入る雄々しい牛の顔――


グシャァァァァァァァン


 戦士(えいゆう)ミノタウルスは助走をつけた大ジャンプでユウトたちのいる病室へ窓を突き破り侵入、そのまま拳を病室の床に叩きつけユウトたち諸共下の階へ落ちていった……


「みんな、大丈夫か」

「何とかぁ」

「当然だ」


 直撃は避けられたユウトたちだが、重力には逆らえず三人はシオンのいる階から下の階層へ自然落下してしまった。


(一階……いや、三階くらいありそうだな)


 元々建物が老朽化していたところにどう見ても体重百キロを超えているシオンのミノタウルスの大ジャンプ、からの地砕きならぬ床砕きの衝撃でユウトたちは二階下まで落ちてしまっていた。


 しかし、これはユウトたちにとって凶報ではなくどちらかといえば吉報の部類だった。


(全身痛みはあるが、体は動く。ここは一度退いて態勢を――)

「ぶもおおおおおおおおおおおおおおおお」

(まあ、そう簡単には逃がしてくれないよな)


 ヒツジとの激闘を終え、連戦は避けたいユウト。だったが、当然それはシオンもわかっていること。ミノタウルスは主を大切なお姫様のように抱え、その使役獣である水色の髪の女は肩に乗せてユウトたちを追って上の階からユウトたちのいる階まで降りてきた。


「逃げようとしても無駄だ、ユウト。俺に敵対した時点でもうこの街に貴様の居場所はない。大人しく覚悟を決めるんだな」


 ヒツジとの戦いでユウトはかなり疲弊していた。シオンがどのような使役獣を操ってくるのかわからない以上、このまままともにシオンと戦うのは得策とは言えない。


 そう判断したアークはウィズにあることを頼んだ。


(おい、チビっ)

(む)


 いつも通りチビ呼ばわりされ眉間に皺を寄せるウィズだったが、アークの真剣な顔を見て、今回だけはチビと呼んだことを不問にした。


(ここは俺様が何とかする。てめぇはマスターを連れてさっさと逃げろ)


(アーク……)


 アークの提案にウィズは一言――


(任せていいの)


 それだけを確認した。


(俺たちとマスターは一心同体じゃねえ。俺たちがやられても負けにはならねえが、マスターがやられたら俺様がいくら勝とうが関係なく俺たちの負けだ。当然、マスターの身を一番に考えるのは当然の事だろ)


 アークの答えを聞き、ウィズは一言――


(……お願い、アーク)


 とだけ言って、ユウトと共に部屋を出た


「誰にモノを言ってるんだ。クソチビ……」


 ユウトたちが病院内からの脱出を果たすまでの間、ユウトたちの後を追われないようシオンとその使役獣たちの足止めをするため、アークは一人この場に残ることを決めた……


「他人の使役獣を捨て駒に、自分は命惜しさに尻尾巻いて逃亡か。貴様の飼い主は大したテイマーだな」


 シオンの挑発をアークは容易く聞き流した。


(爺やのスピリッツオブゴートにすら匹敵する悪魔(イビルス)か)

「気に入った、貴様、俺に付かないか」


 自身の使役獣――ヒョウカと共にミノタウルスの肩から降りると、シオンはアークに対して自分への寝返りを持ちかけた。


「こんなところで俺に根源を砕かれ消滅したくはないだろ」


 使役獣にとって根源を砕かれること。根源を他の使役獣に喰われること。それはつまりその使役獣にとっての死を意味する。


 根源を体内に秘める宿主は使役獣にとって大切な寄生先。故郷のようなものだが、根源は使役獣の命そのもの。


 好き好んで死に急ぎたい者なんど使役獣にも人間にもいない。


「どうだ……」

「…………」


 しばらく考え込む素振りを見せた後、アークは答えた。


「何の御託を並べてるのか知らねえが、俺様がてめぇに言えることは一つだ」


 考えるまでもなく、アークの答えはすでに決まっていた。即答しなかったのは、考え込む素振りを見せることでユウトとウィズが逃げるための時間をほんの少しだけでも稼ごうとしたためだ。


「俺様のマスターはあの陰剣根暗のひねくれたクソガキだ。てめぇじゃねえ」


「そうか、残念だ」


 言葉とは裏腹にシオンの心は波風一つ立っていなかった。まるでアークがどうこたえるか最初から知っていたかのように。


「――やれ、ミノタウルス」


 シオンの指示を受けるや否や、ミノタウルスはその戦槌のような巨大な拳をアークに向かって振り下ろした。


「ぶもおおおおおお」

「ぐぉぉぉおおおおおおおおお」


 ミノタウルスの拳を真っ向から受けとめ持ちこたえたのも束の間――


 グシャァン


 ミノタウルスの拳が床を穿ち、粉塵が辺り一帯に勢いよく舞い上がった。


「主が主なら使える使役獣も使役獣だな。馬鹿な奴だ」


 早々に決着が着いたと思い、ユウトの後を追おうとするシオンだが――


「ぶもぉ」


(何っ)


 二メートルを優に超えるミノタウルスの巨体が突然、宙を舞いシオンの背後にある壁に勢いよく激突した。


「悪魔はな、人間と違って死んでも約束を守る生き物なんだよ」


 視界が晴れるとそこには、左腕を力なくぶらんと垂れ下がらせながらも立つアークの姿があった。


(左腕を犠牲に、右腕でミノタウルスを殴り飛ばしたのか)

「てめぇはここで俺様が止める」

(まさか、ミノタウルスが力負けするとはな)


 使役獣の中でも近接戦闘に秀でた種族である戦士(えいゆう)。その中でも屈強かつ強靭な肉体を持つミノタウルス。いかにアークと言えど、拳一つで戦闘不能にするには至らなかった。


「ぶもぉぉ」

「戻れ、ミノタウルス」


 シオンは一度ミノタウルスを戻し、新たな使役獣を顕現させた。


「往け、ジャックザリッパー」


 次いでシオンが呼び出したのはシオンが根源を宿す使役獣の中で最もスピードに秀でた使役獣――


「な、何だ」

(今何かが隣をものすごい速さで通り抜けていったような気がしたが)


 シオンが新たに呼び出した使役獣――ジャックザリッパーは顕現すると同時にユウトたちの後を追うため、目にもとらぬ速さでアークの隣を駆け抜けていった。


 謎の使役獣を追うか迷ったアークだが、即座にその考えを切り捨てた。


 今はシオンたちをここに止めておくが最優先と判断したのだ。


「俺たちを足止めすると言ったな」


 今までずっと無言でシオンの後ろに控えていた水色の美女――ヒョウカが初めてシオンよりも前に出た。


 それと同時に、アークは部屋の温度と自身の体温が同時に五度ほど急激に下がったのを肌で感じた。


(コイツは、マジでやばいな)


「三分だ、三分だけ貴様に付き合ってやる」


 この時、アークはこの世で実体というものを得てから初めて、自身の敗北を確信した。

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