第4話 お兄ちゃん

 レオの停学が決まってから一週間が経過した。


 その間、ユウトの日常に大して変化はなかった。


 あれからレオの悪い噂が日に日に増えていき、校内を陰で賑わせていたのだが噂や都市伝説の類に一切興味のないユウトはそれらを右から左に聞き流していた。


「ぐはぁっ」


 放課後、今日も今日とていつも通る道を歩いて自分の家に帰っている途中、ユウトは道の端で揉める高校生の集団を目撃した。


(なんだ、あれは)


 見ると自分と同じ制服を着た男子高校生とその男子高校生を取り囲むように見るからにヤンキーですよという出で立ちをした男達五人が道の端で殴り合っていた。


(なんだなんだ、ケンカか)


 普段はない不穏な空気にウィズの好奇心がくすぐられた。


 ケンカといえばケンカだが、その表現は正確ではない。殴り合い素人のユウトが見ても差は歴然。片方が片方を一方的にボコボコにしている。いわゆる、リンチである。


(もうすぐ日が暮れるってのに、お盛んなことだな)


 とある日の放課後、道端で一人の高校生が五人の不良をぼこぼこにしているところを目撃してユウトが抱いた感想は後にも先にもこの一言だけだった。


(うぉおお、あの子すごいね、一人で五人も相手してるのに全然余裕だよ。自分よりも大きい子もいるのに)

「………………ああ、そうだな」


 野次馬根性たくましいウィズと違い、他人には基本不干渉を貫くユウトはそのまま無視してその場を後にしようとした。


 しかし、自分と同じ制服を着る男子高校生の顔を見て、ユウトはその足を止めた。


(あれ、あのオレンジ髪の子、この間ユウトと揉めた人じゃない)


ロウソクの火を思わせるような特徴的な赤味の強いオレンジ色の髪、ユウトはその生徒に見覚えがあった。


「ひぃぃぃぃ、もう許してくれぇ」


 不良たちの中でも一番体格の大きい男が人目もはばからずに意地もプライドもかなぐり捨てて、囲んでいた男子高校生――ユウトのクラスメートであり先日ユウトと一悶着起こした同級生、夢見玲雄に向かって頭を地面に擦りつけ謝っていた。いわゆる、土下座である。


「ああん。てめぇらが売ってきたケンカだろ、勝手にやめてんじゃねえ」


 誰がどう見ても、すでに決着はついているのだが、ケンカ(一方的殴り合い)を続行しようとするレオ。


「悪かった。俺たちの負けだ。見逃してくれ、頼む」


 そんなレオに対し大男は自身の、強面の顔に似合わぬ、目から大粒の涙を流して許しを懇願した。


(どうする、ユウト)

「どうするって言われてもな」


 顔見知りの顔を見つけ一度は足を止めたユウトだが、結論は変わらない。


 ユウトは止めていた足を再び前に動かした。


 周囲にいる人たちの反応もユウトと大して相違ない。見て見ぬふりをする者、ちらちら見るが足を止めない者、少し離れた所で一部始終をただ見守るだけの者……………


 みんなユウトと同じ、誰だって好き好んで他人に関わりたいなんて思わない。ましてこんな場面ならなおのこと。


 背後から肉を打ちつける鈍い音が何度も聞こえてきたが気にしない。ユウトは速めるでも遅くするでもなく、一定のペースでレオたちから少しずつ離れていった…………


 誰かを想う、心優しい少女の声がユウトの鼓膜を揺らすまでは――


「やめて、お兄ちゃん」


 少女の声にユウトは足を止めさせられた。


(お兄ちゃん……)


 振り向くと中学生くらいの小柄な少女が一人、腕を広げてレオの前に立ちふさがっていた。


(お兄ちゃんってもしかしてあの感じ悪い不良の妹ちゃんっ)


「もうやめてよお兄ちゃん。こんなのお兄ちゃんらしくないよ」


 一瞬、やられている大男の方の妹かと錯覚したユウトだが違う。


 特徴的なピンク色のツインテールに吊り上がった勝気な瞳、多少の差異はあれど、面影がある。


(どうやら間違いないようだな)


 レオの前に立ちはだかっているのは――レオの妹だ。


「莉奈……」


 自分の妹、リナと呼ばれた少女をしばらくじっと見つめていたレオだが、やがて…………


「あ、待ってお兄ちゃ――」


リナの静止を聞かず、レオは無言でその場を後にした。


「………………………………これ、チャンスなんじゃね」


 男のプライドと一緒に人としての矜持も捨てたのか、ずっと地面に頭をこすり付けていた大男はレオがその場から去ったことを確認すると少女に向かって手を伸ばした。


「それはさすがにダメだろう。人として」

「な、お前」


 理由はどうあれ自分をその小さな身一つでかばってくれていた少女に手を出そうとするろくでなし男の腕をユウトは掴んだ。


「今すぐこの場から立ち去るのなら見逃してやる。だがもしこれ以上この場に居座るなら――」

「ぐっ……」


 殴り合いこそ素人だが、ユウトは使役獣をつかうテイマーである。一端(いっぱし)の不良が敵う相手ではない。当然、大男がその辺りの事情を知っているわけはないのだが、日々命懸けの――それは言いすぎにしても人並み以上にヤバい人種と関わることが多い生活を日常としている大男は何となくだがユウトの異常性――こいつに手を出したらヤバイことになると直感して、大男は何もせずにそそくさとその場を後にした。


(ユウトかっこいい)

「うるせっ」


「…………お兄ちゃん」


 後ろでそんなやり取りがあったことなど露知らず少女はレオの背中が見えなくなった後も、その場で呆然と立ち尽くしてた。


「君……えっと、リナさんだっけ、君はあいつの、レオの妹なのか」

「誰よ、あんた」

(うわっ、目つきそっくり)

(やっぱり兄妹だな……)


 さっきまでの甲斐甲斐しい少女の顔から一変、不審者もしくはしつこいナンパ師にでも投げつけるかのような鋭い視線をユウトはリナから向けられた。


「お兄さんと同じクラスメートだ。一応」

「何よ、一応って」


 一難去ってまた一難。レオたちがいなくなり気付けばその場に残された二人は周囲の衆目の的になっていた。


「とりあえず怪しい者じゃないのだけは確かだ」

「自分で言ってもね。説得力ないわよ」

「相談があるなら聞くぜ。何か力になれるかもしれない」

「あんたが……」


 不安、不服といった感情を前面に押し出した顔でユウトを見るリナ。一応、見た目だけは普通の――陽より陰、アウトよりイン(ドア派)に寄ったごく普通の高校生であるユウトは確かに何か相談事をするには心許ない相手に見えるだろう。


 まさか目の前にいるこの陰寄りの高校生がこの場にいる人間の中で唯一、リナの抱える問題を解決できるただ一人の人間であるなど、リナはおろかこの場にいる全員誰も夢にも思っていなかった。


「とてもそういうお人好しな感じには見えないけど」

(鋭いっ)


 「おいっ」とツッコミを入れたいユウトだったが、最初は無視して帰ろうとしていた手前、それは心の中だけに留めて置いた。


「とりあえず場所を変えようぜ。ここは人目が多い」


 立ち話もなんなので二人は軽い自己紹介も兼ねて近くの公園で話をすることになった。



★★★



「レオの様子がおかしい」

「うん……」


 人目を気にして近くの公園に移動したユウトとレオの妹――リナは噴水前に置かれていたベンチに腰を掛け、リナの兄であるレオについて話を聞くことにした。


「いつも、どんなに夜遅くてもちゃんと家に帰って私の作ったご飯食べてたのに最近は……」

「帰ってこなくなったと」


 ユウトの言葉にリナは無言で首を前に倒した。


「帰ってきても全身怪我だらけで、服もボロボロ。毎日毎日、どこかの誰かとケンカしてるみたい」

「…………」

「お兄ちゃん、さっきの人をすごい目で見てた」

(さっきの人……)

(たぶんケンカ相手の大男のことだ)

「家族の仇みたいに、お兄ちゃん、あの人の事本当に殺そうとしてた。あんなお兄ちゃん初めて見た。お兄ちゃんじゃないみたい」


 不良なら夜遊びして帰りが遅いのも、ケンカ三昧な日々も普通の事……というかそれらを日常にしているから周りに不良というレッテルを貼られるのだと思うがどうやらつい最近レオという人間を知ったユウトと物心つく前からレオと同じ屋根の下一緒に暮らしていたリナとでは認識に大きな相違があるらしい。


「俺の友人の話じゃ入学式早々暴力事件を起こしたって聞いたけど――」

「それはお兄ちゃんのせいじゃないっ」


(うわっ、びっくりした)


 ユウトの言葉にリナは声を荒げた。


「あれは、上級生の人たちが寄ってたかって一人の生徒をぼこぼこにしてるのを目撃したからで、お兄ちゃんはそれを止めるために仕方なく――」


(かっこいい。正義のヒーローみたい)

(そうだな……その話が本当ならな)


「お兄ちゃんは自分から誰かにケンカを売ったりしないし、力は何か大切なものを守るためにするものだって言ってた」


「まるで絵本に書いてあるような話だな」


「私が小さいころお父さんとお母さんが事故に遭って死んじゃって――」


(小さいころ、事故……)


「優しい親戚のおばさんが身元引受人になってくれたんだけど、仕事が忙しくて、子供の面倒を見る時間もなくて、ずっとお兄ちゃんが親代わり……」


(急に重たい話だね……)


(生きてれば誰にだって重たい話の一つや二つあるものさ……)


「料理が下手で、掃除や裁縫だって上手くない。それでも不器用なりにお兄ちゃんはがんばってた。がんばって、一人でお父さんとお母さんの代わりをしようとしてたっ」


「……」


「そんなお兄ちゃんがこんなかわいい妹を放っておくなんて……」


(かわいいって、自分で言うんだ)

(黙ってろ)


 レオの事はもちろん、リナについてだって今日会ったばかりでよく知らない。それでもユウトはリナの、兄(たった一人の家族)への想いが嘘偽りでないことははっきりわかった。


「馬鹿で、単細胞で、ちょっと目つきが悪いかもしれないけど私にとってお兄ちゃんは優しいお兄ちゃんなの」


(優しいお兄ちゃん、か)


(どうしたのユウト)


 ユウトはそっと静かにベンチから立ち上がると、リナの方へ向き直った。


「君のおかげで少しだけどレオの事がわかったよ。ありがとう。どうやら本当に君のお兄さんに何かしらの異変があったみたいだな、力になれるかわからないけど俺の方でも少し調べてみるよ」


 一瞬、ユウトの発した言葉の意味が分からずキョトンとするリナだがやがて、ユウトの言葉の意味が分かり、頬をほんのり朱色に染めた。


「あ、ありがとう、ございます。え、ええっと」


「絆優人、君のお兄さんと同じ、クラスメートだ」


 極力他人には不干渉を基本とするユウトだが、今回の一件、ユウトは無視をするわけにはいかなかった。


 ユウトは今夜早速行動を起こすことに決めた。

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