第37話 大人の判断

「誰でもいい。犠牲になってくれ……。そういったって、6メートルだから普通に落ちれば多分生きてるよ……いっても重症ぐらいだよ。別に俺は、人を完全に地獄に落としたいわけではない。だから誰か犠牲になってくれ。お前らの未来をほんの少し奪うことになるけど」


 犯人は校長室の窓を全開に開けた。約6メートルの高さにあるこの校長室。犯人の言ってる通り、打ちどころが悪くなければ、死ぬことはないんだろう。犯人も全てを奪う気はない。でも、誰かの未来を少し奪おうとしてる。


 ここで、僕の想う、答えのないこの問題を僕の――大人の判断をすればいいんだろうか。


 僕が答えを出すんだとしたら、1つしかない。


 ――僕が犠牲になればいいんだ。ただ1人だけ犠牲になればいいんだ。


 それが僕の答えだ。


 僕の出した、辛いけど出さなきゃいけない答えだ。


「僕が、犠牲になります。僕は頭から落ちます……そうすれば、たぶん僕はほぼ確実にこの世からはいなくなります。だから、僕一人だけの犠牲で許してください。多くの犠牲をうませないでください。お願いします、お願いします……」


 僕は少し前に行き、その人に向けて涙を流しながら、土下座した。


 これが僕の――大人の答えだ。


 答えのない中で導き出した僕の答えだ。


 別に何も怖くない。誰か1人でも多く犠牲になる方が僕には怖い。


「おい……」


 流希の声がする。そんなこと考えるなと言ってるかのような声だ。


 でも、これが僕の答えだ。どれが正しいなんてないのだから、別にこれが間違っているとはいえない。


「俺は、別にそれでも構わない。でも、自分が犠牲になってもいいのか? 人生を終わらせてもいいのか?」


 犯人は僕にこう言ってくれた。僕に猶予を与えてくれているのだ。


「さっき言ってましたよね。この世界は誰かの犠牲で成り立ってるって……そうなのなら僕が犠牲になります。こうすれば、犠牲になる人は一人ですむし、きっとあなたの望んでいる世界になります……」


 そう、この世界は犠牲で成り立ってるんだ。僕が犠牲になれば伝統行事を復活させることができるだけではなく、この人に幸せを与えられる。幸せも誰かの犠牲で成り立っているんだから。


 ――誰かの犠牲がないとこの世界は崩れてしまうんだから。


「でも、少しだけ時間をください。3人に感謝を伝えたいです……」


「別に、構わない……」


 犯人は噛み締めながら僕に言葉を放った。


 別に、時間を少しもらうことで、僕はこれにより犠牲になることを免れようだとか、時間稼ぎをしようだとかそんなことは考えていない。もし最後になるのだとしたら僕は3人に言葉を残したいと……そう思ってるだけだ。


 僕が残せるものがあるんだとしたら残したい。


 僕は一旦3人のもとに行く。3人の表情はとても硬かった。3人がこんな顔を持っているとは思わなかった。


「お前、ふざけてるのか? 俺も犠牲になるよ。1人だけで背負うな。お前はこんなに馬鹿だったのかよ!」


 僕の肩を強く持ちながら流希は僕になんとかして自分1人が犠牲になるのは間違っているということを訴えかけているようだった。でも、その意見はあくまで君の意見にすぎない。だからあってるというわけでもないんだ。


「そうだよ、嫌だよ。一人が犠牲になるなんて。私が犠牲になるよ」


「だったら私も犠牲になるよ」


 笛乃さんも逢望さんも僕の目を少し睨みつけながら、僕に訴えかけてくる。


「ほら、3人も言ってるんだから、もうそんなこと言うなよ。なあ、目を覚ませよ!」


 流希の口調が段々と強くなってくる。僕は十分に目は覚めている。僕のありのままの姿だ。何も間違っていない。


「僕は伝統文化部として守りたい――いや自分の力で守りたい。それにあれだろ、3人は自分より未来を持ってる。例えば部活だって流希はサッカー部、笛乃さんは美術部で、逢望さんは吹奏楽部……全部体が必要だ。だから君たちの夢を奪ってしまう。でも、僕は別に必ず叶えたい夢なんかないし、君たちのほうが生きるのにはふさわしい……」


 僕だって本当は犠牲になんかなりたくない。


 本当だったらもっと一度しかない人生を、青春を楽しみたい。


 自分の世界をもっともっと歩んでいきたい。


 笑って泣きたい。怒って喧嘩したり、仲直りしたりしたい。


 お互いを想ったり、その思いやりで協力したりしたい。


 知らない人と出会い、でも別れたり……そしてまた出会ったりしたい。


 でも、そういう人生の中には誰かが犠牲になっている。その犠牲を負うのは目標を持っていたりする人だったり、人生が輝いている人なんかじゃなくて……。


 だから、悔しいけど、悲しいけど、嫌だけど、3人にはこれからも続きであろう未来への景色を今のまま進んでいってほしい。それが僕の望みだ。


 だから僕の望みを叶えるために、あえて自分の素直な気持ちを隠し、3人に分かってもらえるような少し冷たい言葉を選ぶ。それもあって今の僕は君たち3人の知る僕ではないと思うし、こんな僕のことが3人は嫌いだろう。


「それにさ、人数の多い答えの方が必ずしも正しいなんてことはないから」


 そうだろ? 


 何か反論があるか?


 僕の気持ちを変えられるのか?


 僕の気持ちを……。


 この悔しさを……。


 この悲しみを……。


 この想いを……。

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