第29話 お姉ちゃんの

 ――おーい、お前の番だぞ!

 

 分かっている。僕が、大人の判断をしなければいけないことなんて。


 でも、そんなの僕に任せていいはずがない。


 赤ちゃんを守りにいくとしても、自分も落ちる可能性がある。そしたら2つの命がなくなる。僕が赤ちゃんを助けに行かなかったとしたら、たぶんあの状況から落ちる可能性は高いだろう。でも、僕の命は安全だ。


 2つの命が亡くなる可能性があるけど、2つの命が助かる可能性もある赤ちゃんを助けるという選択を取るか。それとも、赤ちゃんは助からない可能性が高いが、僕の命は確実に保証される、助けないという選択を取るか。


 ――これが大人の判断なのか。


 僕には、


 僕には


 無理だ。


「しょうがないな、俺がまだ見てやるか」


 ん……? これは流希の声? でも、こんなところに流希なんていないはず。だけど、何回と、何十回と聞いてる流希の声だということは確実。


 僕ってなにを……?


 うっ、うっ……。


 うっ……。


 なんだ、これは……。


 僕の目を開けた世界には、流希が横にいた。


 ということは、さっきの世界は現実ではなく、夢の世界……? ということになるんだろうか。


「おっ、起きたか」


「え? 流希?」


「次、お前の番だぞ。見張り番」


 そうだ、僕らは今、伝統文化部の部室で交代で寝て、1人は念のため監視しているという体勢をとっているんだった。


 僕が起こされたということは、今は逢望さんと笛乃さんが寝ているはずだ。さらに、横を見ると、その2人が時々少し動きながら寝ていた。


「じゃあ、45分後に笛乃を起こしてな。ということで俺は……やっぱいいや、起きてよ」


「いいよ、別に貴重なんだから寝れば……?」


「いや、なんか想之也の顔がマジで眠そうであれだから俺も起きてるよ。まあ、俺、結構ショートスリーパーだし」


「じゃあ、起きてるかどうかは任せるよ」


 たしかに今、僕は猛烈な眠気がある。普段こんな時間に起きてないから、この時間に起こされることは結構なダメージだ。


「お互い眠くならないように、小声で少し話す?」


「そうだね」


 たしかに、何もせずに起きてるのはかなり辛いかもしれない。いつの間にか再び夢の世界に入ってしまいそうだ。


 というか、あの夢で僕は一体どっちの答えを選んだんだろうか。助けたのか、助けてないのか。その答えが少し気になってしまう。


「じゃあ、お互いの誰かとの秘密でも話さないか? あんま考えたくはないけど、どっちかが最後になったときにもしかしたら聞いておいてよかったってなるかもしれないし、なんか面白そうだから」


「まあ、いいよ。じゃあ、僕はお姉ちゃんについて話そうかな」


 誰にも話していない誰かとの秘密で真っ先に思いついたのが、お姉ちゃんとの秘密だった。僕の3歳年上の秘密について。


 僕のお姉ちゃんは正直に言えばとても優しい。お姉ちゃんは勉強もできて今、通ってる大学は有名な名門大学だ。大学生でなにかと忙しい中でも僕の勉強を教えてくれたり(お姉ちゃんの専門は化学だ)、小さなものから大きなものまで様々な相談にものってくれるある意味親みたいな人だ。

 

 そんな頼りがいのあるお姉ちゃんだけど、僕が生まれるほんの少し前まではかなりのビビリだったらしい。これはお母さんがこっそりと僕が高校に入ったときに教えてもらったことだけれど、どうやら当時のお姉ちゃんは少し驚かされるだけでも泣いてしまい、誰か友達に少しぶつかっただけでも同じく泣いてしまうらしい。そんなようだったから外に出ることを本当に嫌っていたらしい。普通の子供なら外に出ることを喜ぶけれど、お姉ちゃんはお母さんが外にでようと言うと、ダダをこねて阻止しようとしたこともあるみたいだ。


 でも、僕が生まれたことで、なにかお姉ちゃんに「自分がお姉ちゃんになるんだ」という強い意志が芽生えたらしい。


 初めてお姉ちゃんから「自分がお姉ちゃんになるんだ」という意志を感じたのは僕が生まれてから初めて対面した時だったらしい。


 病院で生まれた3005グラム、身長48点5センチのほぼ平均的な数値で僕はお母さんのお腹から生まれたみたいだ。


 この世に生まれてくる確率なんて何十万兆分の1なのに僕はその日、僕はこの世に生まれた。


『弟だよ。お姉ちゃんになったんだよ』


『私……がお姉ちゃん? こんな私がお姉ちゃん!?』


『うん、きっといいお姉ちゃんになれるよ。弟の名前の漢字、決めないといけないな』


『じゃあ、お姉ちゃんだから私が決める!』


『そうか……。じゃあ……この中のうちどれがいい?』


 お母さんがそういうと、近くにある紙に3つの漢字を書いたみたいだ。


 ――宗


 ――想


 ――染


 この3つの漢字をお母さんは紙に書いた。そう、これは僕の名前「そのや」の「そ」に当たる部分の漢字だ。


 そして、お姉ちゃんは『想』という漢字を選んだ。もちろんその当時のお姉ちゃんが漢字を読めるわけでも、その漢字の意味が分かるわけでもない。でも、お姉ちゃんは迷わずに3つある漢字の中から『想』の漢字を選んだ。


 僕の名前の一部はお姉ちゃんが与えてくれたのだ。


 お姉ちゃんは僕の名前を与えてくれてから、しっかり者へと様変わりした。学校の授業では積極的に発言し、街で困っている人に積極的に声をかけたり、色々なボランティア活動を行ったみたいだ。そして、中高では生徒会長を努めた。


 僕はそういうしっかりとしたお姉ちゃんの姿しか見ていないから、正直に言えば、お母さんからその話を聞いたときは驚いた。でも、別にそれでお姉ちゃんに対する見方が悪くなったとかはない。むしろ、そうやって人は変われるんだなっていうことが分かりお姉ちゃんを更にお姉ちゃんとして見てしまうようになった。


「そうだったのか、想之也の漢字の一部を送ってくれたのはお姉ちゃんだったのか。だからお姉ちゃんと想之也は仲がいいのかもな。想之也の想の字、素敵だな」


「ありがとう。だから、この名前が気にってるし、大切にしないといけないな」


「うん」


 僕には僕の人生を送ってくれたお姉ちゃんがいることが、一番の誇らしさなんじゃないかとまで思ってしまう。


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