後編
青年は明け方には宿を出て行き、わたし一人が残された。
それから三日はただただ近くをぶらぶら歩き、怪我人や病人をひっそりと治すだけの日々が過ぎていく。
「……やはりあれは口だけだったのでしょうか」
彼からのお礼とやらを半分以上諦め、次の場所への荷造りをしていた頃、宿の前に信じられないものが停まった。
それは、金銀に光り輝く豪勢な馬車だった。
そして中から降りてきたのは。
「ティリーという治癒術師の少女を迎えにきた」
薄茶の髪にペリドットの瞳の、あの青年であった。
その時わたしは、自分が想像していた以上に彼の身分が高かったのだと悟る。
慌てて宿を出て、彼の前に跪いた。
「お呼びでしょうか」
「ティリー、あの日以来だな。約束の通り、きみにお礼をするためこうしてやって来た」
「あなた様は、一体?」
彼はわたしの方へ歩み寄ってきて、そっと耳元に口を当てる。
そして静かに囁いた。
「我が国、キネシーの王――ウィルフリッド・ディーン・キネシーだ」
キネシーの王。
その言葉を耳にした瞬間、わたしはふと思い出した。ミラウェル聖王国にいた頃、隣国キネシーには若く有能な国王がいると聞いたことがあったことを。
ミラウェルとキネシーはそこまで親しい国同士とは言えず、それ故に一度も顔を合わせることはなかったが、まさかこんな形で遭遇するなんて。
しかも若いと言ってもせいぜい三十代だろうと思っていたというのに、目の前にいる青年はどう見てもわたしより数歳年上程度にしか見えない。
「きみを城へ招待したい。いいだろうか」
わたしは元はキネシーの国民ではないが、現在滞在している以上、青年改めウィルフリッド様に従う必要があるだろう。
お礼などと言いつつ拒否権がないなんてと思ったが、そもそも関わってしまったのはこちらなので、いちいち文句は言っていられない。
「もちろんでございます。よろしくお願いいたします」
うっかり淑女の礼をしそうになったが、ただの治癒術師がすれば不自然だろうと思い、頭を下げるだけにとどめた。
「言葉遣いは固くなくていい。きみは俺にとって命の恩人なのだからな」
「では、お言葉に甘えて」
わたしは馬車に乗り込み、キネシーの城へ赴くことになった。
馬車の道中でわたしは、ウィルフリッド様より様々な話を聞いた。
現在、キネシー国内の情勢が不安定になっており、とある地へ視察に赴いた際、ならず者たちによって襲撃され護衛を皆殺しにされ、毒矢を放たれたこと。首謀者が王弟であり、ウィルフリッド様の婚約者だった公爵令嬢と共謀していたことなどだ。
首謀者たちはウィルフリッド様が生還したことで罪に問われ、あっという間に処刑が決まり、今はもう全員首と胴体が分かれた後らしい。
キネシー国の貴族社会や政治などを全く知らなかったわたしにとって、そのドロドロとした内情を聞くだけで震え上がってしまいそうだった。
もっとも、故郷ミラウェル聖王国も教会が腐っていたり簡単に聖女を替えてしまえたりと相当腐っているのだが。
「どこの国も同じなのですね……」
「何か言ったか?」
「いいえ、独り言です。すみません」
そんなこんな話しているうちに、馬車がゆっくりと停車した。
――城へ着いたのだ。
石造りの宮殿が堂々と聳え立ち、門の前に立つ千人ほどの兵隊が一斉に頭を下げ、馬車を降りたわたしたちを出迎える。
ミラウェルの城の警備兵はせいぜい二百人くらいしかいなかったのに、その五倍以上とは驚きだ。
「ようこそ、我が城へ。きみには最大限のもてなしをしよう」
「ありがとうございます」
本来であればボロ切れを着たくたびれた旅人であるわたしが足を踏み入れていい場所ではないだろうけれど、ウィルフリッド様に連れられるままわたしは入城する。
城は息を呑むほど美しく、煌びやかだった。
ステンドグラスの天窓から差し込む陽光と宝石の輝きに目を焼かれてしまいそうだ。
タイル張りの床には真っ赤な絨毯が敷き詰められ、その両サイドにずらりと使用人が並んでいる。
ウィルフリッド様はその一人、侍女らしき人物に命じた。
「例の客人だ。彼女を着替えさせてやりなさい」
「はい、かしこまりました」
静かに頭を下げた侍女は、数人の侍女仲間と共にわたしをどこかへ連れて行く。
動揺しつつもわたしは彼女らに従った。
そして辿り着いたのは衣裳室。
伯爵令嬢時代にも着たことがなかったような色鮮やかなドレスが吊るされていた。
「お客様、失礼ながらお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「ティリーです」
「ではティリー様、お好きなドレスをお選びください」
……と言われても困ってしまう。
だって今のわたしは伯爵家の娘ではなく、ただの平民の旅の治癒術師。こんな高価なドレスを身に纏っていい身分のはずがない。
「恐れ多いです」
「陛下のご命令でございます。どうぞお選びください」
けれど、わたしが頑なに断ればこの侍女たちが罰せられてしまうのかも知れない。
そう思うと強く断れず、わたしは衣裳室にあった中で一番色の落ち着いた薄茶色のドレスを指差し、着付けてもらった。
――まさかわたしがもう一度ドレスを着ることになるとは思わなかった。
これはもしかすると都合のいい夢なんじゃなかろうか。
たまたま倒れていたところを見つけ、治療したら実は若き国王だったなんてそもそも信じられないし……。
などと考えているうちにボサボサだった髪を整え結えられ、わたしは再びウィルフリッド様の前に立たされた。
そして朱色の瞳を思い切り見開いた彼から告げられたのは。
「綺麗だ」
などという、ますます非現実的な一言だった。
わたしは絶句した。
わたしが綺麗なわけがない。
瞳は薄灰色だし、髪は色素が抜け落ちたような白。顔立ちだって少し可愛いくらいなもので美人とは言えない。
美貌において姉とは天と地の差で、どうやってもマーシーに追いつけるはずがなくて。だからわたしは捨てられたのだというのに、綺麗だなんて。
「ウィルフリッド様、ありがとうございます。ですが……」
「やはりそうだったか。きみは俺の運命の
わたしの言葉を遮り、ウィルフリッド様はグッと前のめりになる。
そしてわたしの前に跪いた。
「ティリー。きみを俺の花嫁として迎え入れたい。どうやら俺はきみに心の底から惚れてしまったらしい」
「――――――」
「いい、だろうか」
期待に満ちた眼差しで見つめられる。
だがわたしは、答えられなかった。言われたことの意味こそ理解したものの、理由がわからなかった。
たった一度会ったことがあり、これで二度目になる男性に、命を助けたというただそれだけの理由で求婚される。
そんなのおかし過ぎるではないか。わたしはこれまでたくさんの人の命を救ってきた。けれども祖国ではろくに感謝されることなく、この国に来てからだってパンの欠片やらわずかばかりの銅貨くらいしか受け取ったことがなかった。
それに神から与えられし奇跡の力を持っているわたしが人を治療するのなんて当たり前。たとえ褒められたとしても、求婚される理由なんて全くない。
「わ、わたしは、名もなき旅人です。綺麗でも特別でもない、ただの小娘です。ですからどうか、跪かないでください」
「ただの小娘なんかじゃない。ティリー、俺はきみを本気で」
その時わたしはふと、混乱する思考の中で気づいた。
今彼は命の恩人であるティリーを美化し、夢現のままで求婚しているに過ぎないのだ。もしもわたしを隣国の元聖女のマティルダだと知った途端、幻滅するに違いない。
でも彼だけではなく使用人たちの姿もあるこの場所で真実を言うのは憚られ、躊躇った。
「ウィルフレッド様のお気持ちはわかりました。ですがわたしは、旅の続きがありますから」
だからわたしは、にこやかに断るのにとどめた。
もしもこれがウィルフレッド様のタチの悪い冗談であればいい。もしそうでなくても、ほんの一瞬の気の迷いで、わたしのことなんてすぐに忘れてくださるはずだ。
「……妃に迎え入れても人々を治癒して回ってくれて構わない。それでもダメか」
「お戯れはよしてください。わたしは住所なし、年齢不詳、正体不詳の平民女なのですよ?」
ドレスが着られたことはほんの少し嬉しいし、あてもなく旅を続けるよりはゆっくり城で過ごしたいだなんて思わないわけではないけれど。
どうせ正体を知られた瞬間に捨てられ城を追われることになるのだから、夢なんて抱かない。
「どうしてもか?」
ウィルフリッド様は案外しつこかったが、「はい」と答えると渋い顔ながらも頷いてくれた。
「わかった。それならどうか今夜だけでも休んでいってくれ」
「いいえ。少しの間でもこのような素敵なドレスを着られ、ウィルフリッド様から求婚いただけるというありがたい夢を見させていただけただけで、わたしは幸せなのです。これ以上はどうか構わないでください」
わたしはその場でドレスを脱ぎ捨て、侍女に頼んで外套を持ってきてもらって羽織った。
たったそれだけで、どこにでもいそうな若い娘に成り下がるのだからわたしはつくづく地味だと思う。これがもしもマーシーであれば、どんな衣装であれ誰もを虜にするだろうに。
わたしはどれほど着飾ろうと、姉の美貌には絶対に勝てやしない。
姉からはとっくの昔に解放されたはずなのに、今でも彼女はわたしの心を縛り、嘲笑い続けていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「せめてこれくらいは」と迫られ、ウィルフリッド様によって無理矢理に近い形で金貨を握らされたわたしは、即刻城を出た。
城下町を抜け人気のないところへやって来て、ようやくそっと息を吐く。
やはりわたしは、ああいう場所は似合わない。ひっそりこっそりと治癒術師を装って生きていくのがお似合いなのだと思った。
――さて、次はどこへ行きましょうか。
華やかなお城の景色を頭から振り払い、ぶらぶらと歩き出す。
ひとまず、王都の東の方へ行ってみてもいいかも知れない。そんな風に考えていた時だった。
カラカラと馬車の車輪のような音が聞こえてきたのは。
「……?」
ここは人気のない裏路地。馬車なら普通はもっと表を通る。
もしかすると人攫いなどかも知れない。そうでなかったら強姦魔か強盗のどちらかだ。
こんなところで襲われてしまってはたまらない。慌てて硬直を解き、足早にその場を逃げようとして――「待ちなさい」という声に足を止めてしまった。
それは、美しい女の声だった。
パタン、とこの場に似つかわしくない軽やかな音がして、馬車から何者かが降りてきた。
足音が近づいてくる。彼女はあっという間にわたしのすぐ背後に立ってしまった。
サァァ、と血の気が引いていく感覚がした。
逃げなければ。
高らかに鳴り響く警報がわたしの脳裏に響く。だが逃げたところでどうなるというのだろう。
「久しぶりね、マティルダ」
背中の毛がぞわりと逆立つ。振り返りたくないと思った。でも、振り向かずにはいられない。
次の瞬間目に飛び込んできたのは、恐ろしいほどの美貌だった。
癖のないストレートの金髪。意志の強い青緑色の瞳。
見間違えるはずがなかった。彼女だ。わたしの婚約者を奪った憎き女にして実の姉――伯爵令嬢マーシー・ブロードベン。
どうして、と思った。
どうして彼女がここにいるのか。どうしてわたしの居場所がわかったのか。どうしてわたしの前に現れるのか。どうして、どうしてと疑問ばかりが湧いた。
理解できない。けれど確かにマーシーは手が届くほど近くにいて、わたしを睨みつけている。
「あんたが急にいなくなるから探し回ったわ。聖女の実務は全部あんたにやらせる算段だったのに、計画がガタ崩れじゃない!」
マーシーはわたしに近寄り、腕を引っ掴んできた。
その力は強く、わたしは前のめりに転けてしまう。そしてその拍子に革靴を履いた足をヒールで踏みつけられた。
「あぅっ……!」
「奇跡が使えるふりをするのは大変だったのよ。おかげで贅沢三昧できないし、殿下には疑われるし。本当に最悪。それもこれも、あんたのせいなんだから!」
知らない。ただわたしは、全てに愛想を尽かして逃げただけ。これ以上何も奪われたくなくて。
なのに、どうして隣国まで追って来たのだろう。
聖女だったわたしを失わせたのは、彼女自身なのに。
怖い。嫌だ。助けて。
激痛のせいか思考はまとまらず、姉への恐怖で覆い尽くされた。
「さっさと来なさい。あんたは私を輝かせるため、日陰で生きる定めなの。わかるでしょ? あんたより私の方が美しいって」
神に与えられし奇跡の力では、単純な暴力には勝てない。
小柄でやわなわたしはすぐに姉に捕まってしまった。そのまま抱え上げられ、馬車に乗せられる。
――また、わたしは奪われなければいけないのか。
ああ、こんなことなら一晩泊めてもらえば良かった、と思った。
一時的であっても治癒の旅を続けていいと言われたのだから、騙されたつもりで求婚を受けておけば良かったかも知れない。
でもまさかこういう事態になるだなんて思いもしなかったのだから仕方ない、と無意味な言い訳をする。
このままわたしはミラウェル聖王国に連れ戻され、影の聖女としてこき使われるのか。
逃げ出せればいいけれど、そう簡単ではない気がする。そんな風にグダグダ考えているうちに馬車がガタンと揺れ、発進し……。
「どうしたのよっ!」
マーシーの鋭い怒声が響いた。
それでハッと我に返ったわたしは急いで周囲を見回す。
馬車が揺れたのに動いていない。それどころか車体が思い切り横倒しになっている。
そしてその衝撃で不自然に歪んだ扉が開き、何者かが姿を現した。
「俺の恩人が連れ去られようとしているのをたまたま見かけたのでな。横槍を入れさせてもらった」
「あんた誰!?」
「貴様のような不届き者にあんた呼ばわりされる謂れはないが、答えてやろう。俺はキネシーの王だ」
「王ですって!」
堂々と登場したのは、つい二、三時間前に王城でわたしを見送っていたはずのウィルフリッド様。
彼は馬車へ乗り込んできて、マーシーへ短剣を突きつけながら言った。
「彼女を離せ。従わなければ斬る」
マーシーは美人だ。どんな男でも絆されてしまいそうなほど美人だ。
しかしウィルフリッド様は少しも躊躇うことなく彼女へ剣を向けている。そのことがわたしは信じられなかった。
「……あらまあ、失礼いたしましたわ。ご無礼をお許しくださいませ?
キネシー国の国王様、誤解なさっているようですのでどうか説明させてくださいな。この娘は私の妹ですのよ。勝手に家出したこの娘を連れ戻しにきただけですわ。誘拐犯ではございませんのでご安心くださいませ」
相手が王と知った途端にころりと態度を変えたマーシーが微笑みながら言う。
先ほどとはまるで違う理想の淑女の顔だった。
これを見せられれば、どんな男でも落ちると祖国では言われていた。
――けれども。
「では彼女の名前を言ってもらおうか」
「「……え?」」
わたしと姉の声が重なる。
姉は、ウィルフリッド様に投げかけられた予想外の質問に。
わたしは、姉の笑顔を見てもなお変わらぬ彼の超えの冷たさに。
「妹の名前はマティルダですわ、国王様。マティルダ・ブロードベン」
「……やはりただの誘拐ではないか。俺の恩人の彼女の名はティリーだ、マティルダではない」
「はぁっ!?」
わたしはもはや、なんと言っていいのかわからなくなった。
姉の言う通りで、わたしは確かにマティルダだ。ティリーというのはその愛称。それくらい、少し聞いたら馬鹿でもない限りわかるはずなのに。
もしかして、いいや、もしかしないでもウィルフリッド様は、わたしを庇ってくださっている?
「誘拐は重罪だ。詳しい事情は牢屋で聞かせてもらうとしよう」
「……どういうことですの! 私はただ!」
しかし喉元に剣先を向けられたままのマーシーはただ震えるだけで、ろくに反論できないようだ。
彼女は次の瞬間、どこからともなく現れたキネシー国の兵によって取り押さえられてしまい、馬車の御者と共に縄で縛り上げられて地面に転がされることになった。
そんな姉の姿を見つめるわたしはただただ呆然とするしかない。
あの姉が、こうもあっさりと捕らえられてしまったのだから当然だった。
「大丈夫か、ティリー。……足から血が出ているじゃないか、クソ、あの女」
何を勘違いされたのか、踏みつけられた足の激痛のせいで黙り込んでいるのだと思われたようだが、もちろんそんなわけはない。
わたしが「大丈夫ですっ」と叫ぶと、一瞬だけではあるが殺意を溢れさせていたウィルフリッド様はどうにか暴走しないでくれた。
代わりに、わたしの体は彼にぎゅっと抱きしめられることになってしまったけれど。
「近いです。離れてください」
「いいだろう、これくらい。きみ、震えているだろう」
確かにわたしは震えていたし、恐怖で体がガチガチになっていた。
しかしこれとそれとは話が別だと思う。
「で、ですが……。あんまりいっぺんに色々起こり過ぎて、わけがわからないんです!
ウィルフリッド様、わたしのこと尾けてたんですか? どうして彼女――マーシーからわたしを助けてくれたんですか?」
「ああ、そうだ。俺はきみのことが心配で、ずっと後を追ってた。護衛三人を従えてな」
信じられない。先ほど姉のことをあれほど厳しく断罪していたくせに、それでは変質者ではないか。
しかし彼に救われたのは事実なので不満は言えなかった。
あのままではきっと、わたしは姉に連れ去られ、祖国に戻され馬車馬のように働かされることになっていただろう。
「ありがとう……ございます」
「迷惑だとはわかっていた。でも今はきみを守れて良かったと思っている。これで、おあいこだな」
「……そうですね」
けれど後腐れなくさようならとはならないだろう。
案の定、彼は淡々とした調子で続けた。
「ティリー。あえてそう呼び続けることを許してくれるか?」
「はい」
ウィルフリッド様は、すでに全てを察しているのだろう。元聖女マティルダであることも、それをひた隠しにして今日までこの国で生きてきたことも。
その上で何を言われるだろうかとわたしは身構えた。
だが、告げられたのは信じられないほど甘い言葉ばかりで。
「どうやら俺はきみを諦められないようなんだ。恋の病というやつで、こうしてこっそり尾けずにはいられなかったほどきみのことばかり考えてしまうほどぞっこんになってしまった。だから」
今度は耳元で囁かれる。
「まずは婚約からでもいい。俺の婚約者になってくれないだろうか、ティリー。……きみのことは絶対に俺が守るから」
姉に襲われたことへの怯えが残っていたせいだったのか、助けられた安堵があったからなのかはわからないけれど。
わたしは思わず、頷いてしまっていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――さて、その後、彼は言葉通りにわたしのことを徹底的に守ってくださった。
ミラウェル聖王国の聖女ということになっているマーシー・ブロードベンが誘拐罪で囚われたとなった途端、トーマス殿下を筆頭にマーシーに買収された教会の連中などがキネシー国に乗り込んでこようとした。
マーシー、そしてわたしの身柄を求めて。
しかしウィルフリッド様は元聖女マティルダが冤罪をかけられたという証拠を示し、トーマス殿下たちの罪を容赦なく暴いていった。
「国際問題にしたくなければこの愚か者どもに相応の処罰を与えよ」
その旨を示した書簡を送りつけられたミラウェル側は真っ青になったらしい。
兵力はキネシーの方が上。到底ミラウェルが勝るはずがない。
聖王陛下はさすがに事態を重くみたのか、息子のトーマス殿下から王位継承権を剥奪かつ平民へ落としただけではなく、腐った教会を解体し、自分も王を引退。マーシーに同調していた多くの貴族も没落していった。
マーシーはミラウェル聖王国に送り返されたものの、聖女を騙ったとして極刑が決まった。
「私こそが誰もに尊ばれる者なの! なんで!! なんであいつがッ」
そんな風に牢で醜く喚き散らした挙句、舌を切られたという噂を聞いたが、その情報が正確かは定かではない。
ただ仮に真実だとすれば、誰もを虜にする美しさを誇っていた彼女が口から血をこぼす姿は、さぞ哀れなものだったろう。
聖女だけではなく、聖王と第二王子、教会を失って、ミラウェル聖王国は国としての力をなくした。
その結果、トーマス殿下の兄である王太子殿下がキネシー王国の属国になることを誓い、収まりをつけたようだ。
「どうだ、これでようやく安心できただろう?」
「はい。ありがとうございます、ウィルフリッド様」
ウィルフリッド様の手腕は鮮やか過ぎた。
この頃にはすっかり内乱にも決着がついており、キネシー王国は平和そのもの。
元聖女マティルダはどこへともなく消えたことになっており、わたしはただの治癒術師ティリーとして今も生きている。
そしてもうすぐ、ウィルフリッド様の妻となる予定だ。
最初こそ戸惑ったものの、今ではすっかり受け入れている。
ここまで行動で愛を示されてしまっては、惚れてしまうのは至極当然の話。
――それに、ウィルフリッド様は初めて姉よりわたしを見てくれた人だから。
「感謝してくれるなら、俺から一つきみにお願いがある」
「何でしょう?」
「俺のことは気軽にウィルと呼んでくれ。俺たち、もうすぐ夫婦になるわけだしな」
そんなことですか、とわたしは笑った。
「……ウィル」
「ティリーは可愛いな。きみの姉だった女より見た目も心もずっと美しい。
好きだ。今すぐ結婚しよう」
茶色ではなく色鮮やかなドレスを着せられ化粧を施されても、わたしはやはりマーシーより美しくなれたとは自分では思えない。
だがウィルフリッド様――ウィルが可愛いと言ってくれるだけでこんなわたしでも認めてくれるのだと嬉しくなった。
抱き寄せられ、唇にそっと口付けられる。
頬がカァっと急速に熱くなるのを感じながら、わたしは小さく微笑んだ。
「わたしも愛しています、ウィル」
かくして、姉に聖女の座も婚約者も奪われて国を出たわたしは、若き国王の妃となり、愛し愛されながら生涯幸せに暮らすことになった――。
姉に聖女の座も婚約者も奪われた妹は国を出る 〜隣国でひっそり旅の治癒術師をしていたら、若き国王に見初められました〜 柴野 @yabukawayuzu
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