姉に聖女の座も婚約者も奪われた妹は国を出る 〜隣国でひっそり旅の治癒術師をしていたら、若き国王に見初められました〜
柴野
前編
「今までずっと僕を騙していたな、マティルダ・ブロードベン! 真の聖女であるマーシーを虐げ、己が偽聖女ということを隠していたのだと聞いた。これは断じて許されることではない! よって、婚約を破棄する!」
本来婚約者であるわたしをエスコートするべき社交場で、別の女性を伴って現れた第二王子トマソン殿下はわたしに指を突きつけた。
ざわめくパーティー会場。皆の視線がわたしたちに集まる。
「ついにマーシー様とトマソン殿下、婚約なさるのね」
「美女美男でお似合いのお二人ですね」
「マティルダ様とは大違い」
ヒソヒソと囁かれる声の数々は、しっかりとわたしの耳まで届いている。
老婆のような白髪の地味なわたしを皆が嘲笑うのだ。
「……殿下、わたしは偽ってなどおりません。偽聖女というのは姉からお聞きになったのですか」
声が震える。悔しさと哀しさで、全身が氷のように冷たくなっていくのを感じた。
やはり皆、わたしのことなんて見てくれないんだ。わがままで嘘吐きな彼女の方が正しいことにされるんだ。
そんなわたしを見て、トマソン殿下の隣に寄り添っていた女性が青緑色の瞳を細めながらニヤリと笑う。
ようやくこれであんたの上に立てたわという声が聞こえてきそうなほど、愉しげな笑みだった。
「ごめんなさいね、マティルダ」
こうして彼女――わたしの姉は婚約者と聖女の座を手に入れ、代わりにわたしは全てを失った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――思えば、奪われてばかりの人生だった。
聖王国ミラウェルのそこそこ裕福な貴族家であるブロードベン伯爵家の娘として生を受けたわたしだったが、その半生は決して幸せなものとは呼べない。
わたしは常に窮屈な思いをしていた。
「それは私が持つべきものでしょう。よこしなさい」
「あら、あんたみたいなのが私に口答えしていいと思ってるの? バッカじゃない!? 私は姉なのよ!」
一年だけ先に生まれただけで、姉という地位を盾にしてわたしのものを横取りする。
耐えられずに泣けば叱られるのは姉ではなくわたし。妹だからって甘えてる、そう言われて。
こっそり買ったお気に入りのドレスも、社交界デビューの歳だからと婚約者に贈られた宝石も、全部姉のものになった。
「あんたは聖女なんだから、いいじゃない。あんたは何でも持ってるんでしょ」
姉はいつもそう言って笑っていた。
わたしだって聖女になんて、なりたくてなったわけではないのに。
わたしの姉のマーシーは、とても美しい人。
キラキラ輝く金髪も、青緑色で切れ長の瞳も、女性らしい凹凸の多い理想的な体つきも、絶対わたしには真似できない色香たっぷりの仕草も。全てが他の人を惹きつける。
両親は姉を愛し、後から生まれたわたしなんて知らんぷり。両親に冷遇されていたせいで侍女にすらわたしは馬鹿にされ、ろくに世話をされることはなかった。
幼い頃はまだマーシーはましだった。
「私の方が愛されてるのよ」と自慢はしてきたが、ただそれだけで。
でもそれはわたしが七歳の時、教会の神官によって聖女であると告げられたことで変わってしまった。
姉にはない奇跡を起こす力がわたしにはあった。蘇生はできないものの、人々の傷を癒やす力。
神に選ばれ、この聖王国において誰からも崇められるべき存在だとされている聖女になってしまったわたしを姉は嫉妬した。いや、憎んだと言った方が正しいかも知れない。
どうして自分じゃないのかと喚き立て、次々にわたしのものを奪うようになった。
両親も使用人も、誰も彼女の暴挙を止めようとはしない。わたしが少しでも抵抗しようものなら、わたしが一方的に糾弾されるばかり。
そんなわたしの心の拠り所になったのは、聖女になったことで婚約者に宛てがわれた聖王国第二王子トマソン殿下。
彼はまともに服も与えられないボロボロのわたしを憐れみ、幸せにすると約束してくれ、優しくしてくれた。……もっともマーシーに会うまでの話ではあったけれど。
わたしと彼、二人きりのお茶会でのこと。
「お邪魔させてもらうわ」と言って当たり前のような顔で割り込んできたマーシーは、一瞬で彼の心を鷲掴みにした。
次のお茶会からトマソン殿下はマーシーも同席したらいいと言って、何度も三人でお茶会をするうち、いつの間にか主役はマーシーになっていた。
わたしはただのおまけ。話しているのは殿下と姉だけで、本来彼の婚約者であるところのわたしは誰にも構われずただただ笑顔を張り付けているだけの人形。
ボロ雑巾のわたしより姉の方がいいと思われることはわかっている。
色素が抜け落ちたような白髪はボサボサだし、瞳も灰色の混じった薄青。胸は平たく、幼く見える丸顔は姉と比べると見劣りする。
それでも、わたしに女性的な魅力がないとしても、殿下とわたしには多少なりとも情があったはずなのに。
それを簡単に覆されて、殿下が帰った後に「あの方も私がいただくから」と言って姉にくすくす笑われたことが、悔しくて仕方なかった。
トマソン殿下はわたしの婚約者なのに。
なぜ奪われなければいけないのかわからない。わたしが何をしたというのだろうと、枕を涙で濡らす夜が続いた。
思い切って国王陛下にこのことを言ってみた。教会にも。
けれど結局誰もかもが「気の迷いだろう」とろくに話を聞いてくれず、時間が経っていって。
そしてとうとうとう、殿下との婚姻があと半年に迫ったある日、婚約破棄を告げられることになってしまった。
しかも何をやったのか、教会関係者を言いなりにさせたマーシーは自分こそが真の聖女であると宣い、わたしを聖女の座から追い落としたのである。
奇跡の力を持たない彼女が本来聖女になっていいわけがないのに。
トマソン殿下の婚約者でもなく、聖女でもないわたしは行き場をなくした。
ブロードベン伯爵家に帰ったところで、用済みとして捨てられるか、あるいは姉の代わりに裏で奇跡の力を使わされるだけ。
そんなの、嫌だ。
美しいだけが取り柄の姉にこき使われて一生を終えるなんて、絶対にしたくない。
その時、とある考えがふと閃いた。
本当は何度も何度も思いつきそうになって、しかし寸手のところで「わたしには聖女としての務めがあるのだから」と己に言い聞かせてあえて目を向けないようにしてきた選択肢。でもそれが今なら何の躊躇いもなく実行できる。
――端的に言えば家出。それどころか、こんな国なんて出てやろうという考えだった。
もうどうにでもなればいいと思った。
トマソン殿下の侮蔑のこもった視線、そしてパーティー参加者たちの好奇の視線を浴びながら、わたしはパーティー会場をそっと抜け出す。
そしてそのまま、迎えの馬車に乗ることなく最寄りの街へ向かって歩き出した。
地味でありながらもそれなりに金になるドレスやヒールはさっさと売り払ってしまうに限る。
そしてわたしはマティルダ・ブロードベンという名を捨てて生きてこう。好きにすればいいのだ。
どうせわたしは全て失ってしまったのだから、何も気負う必要はない。
そう考えたわたしの心は、ほんの少しだけ軽くなっていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「治癒術師さん、ありがとう!」
「ティリー様。おかげで娘の命が長らえました。ほんの心ばかりのお礼ですが」
目を潤ませて喜ぶボロボロの母娘からパンを受け取ったわたしは、「嬉しいです」と微笑んで、静かにその場を立ち去った。
旅の治癒術師ティリー。
それが今のわたしの名前と、立場。ティリーというのはマティルダの愛称の一つだ。だが今まで愛称なんて誰からも呼ばれたことはなかったので、たとえ聖王国にまで名を知られるようなことがあってもわたしだとは気づかれないに違いない。
ミラウェル聖王国の東側、隣国のキネシーに入国したわたしは、馬車も使わず足だけで方々を巡り歩いた。
最初はただ目的もなく旅をしていたのだが、道中で怪我や病に苦しむ人々に出会い、せっかくなのだからと神に授けられた自分の力を有効利用することにした。
治療するのは平民がほとんどで、報酬は雀の涙だ。
でもわたしは構わなかった。手持ち金はそれなりにあったし、底をつきれば新たな職を考えればいいだけの話。
今のわたしはどこまでも自由だ。奪われることも制限されることも何一つとしてない。
――姉が、マーシーがここにはいないのだから。
キネシー国の様々な景色や人々を見た。
貧しいながらも支え合って生きていく農民たち。息を呑むような美しい花畑。幸せそうな家族。
そのどれもが、わたしにとっては新鮮だった。この世界にはこんまものがあるのかと毎日驚かされるばかりで。
そんな中、わたしは一人の青年と出会うことになる。
とある村のはずれで、彼はどぼどぼと血を流して倒れていた。右足がざっくりと抉れており、相当ひどい怪我とわかる。
「大丈夫ですか」
「……ぐっ」
どうやら意識はあるらしいが、痛みで答えられないようだ。
わたしは患部に手を当て、癒しの力を流し込んだ。
「傷が深い。それに……毒もありますね。すぐに完治は難しいでしょうが、これで痛みは和らぎます」
わたしが通り掛からなければ、間違いなくこの青年は死んでいただろう。
きっと毒矢で射られたのだろう。誰かに恨みを持たれていたとすれば、どこかの商家の人間など、ある程度身分の高い者かも知れない。
少し危惧はしたが、このまま彼を放っておくわけにはいかなかった。毒抜きにはそれなりの時間がかかるので、宿にでも連れ帰って治療するべきだからである。
青年はかなり身長が高く、小柄な上に老婆のようにガリガリなわたしには運ぶのは困難だ。
それでもどうにか、青年を肩に担ぎ上げた。
「きみ、は」
掠れた声で青年が言った。
担いでいるため、わたしの胸元まで垂れ下がっている青年の顔をチラリと見やると、ペリドット色の瞳がじっとわたしを見つめている。
目が合った瞬間、わたしは彼がとんでもない美丈夫であることに初めて気がつき、小さく息を呑んだ。
薄茶の髪は血やら土やらで汚れているが、美術品かと思うほど整っている顔立ちの優美さは言葉に表せないほどだった。
聖女として、そして伯爵家の娘として今まで大勢に会ってきたけれど、こんな美しい人には出会ったことがなかった。
わたしは内心大きく動揺したが、それを隠して淡々と答える。
「わたしはティリー。姓はありません。少し治癒魔法が使えるだけのしがない旅人ですよ」
「俺は……」
「あまり話さないでください。命が縮んでしまいますから」
一体誰なのかだとか、どうしてそんな怪我をする事態に至ったのだとか、色々聞きたいことはあったが、何より治療が最優先。
青年がおとなしくなってくれたので、わたしはホッと安堵の息を吐いた。
――それから半日後。
徹夜で看病し、ようやく体内の毒を全て抜き切ることができた。
一応青年をベッドに寝かせて安静にさせてはいるが、明日の朝には体調は万全になるだろう。
「もう喋ってもいいだろうか」
「いいですよ」
「……助かった。ティリー、きみには大きな借りを作ってしまったな。感謝する」
なんとも仰々しい言い方だ。「ありがとう」くらいでいいのに、とわたしは思った。
「いえ、治癒術師として当然のことをしたまでのことですから。ところであなたのお名前を伺っても?」
「俺は……そうだな、ウィル。ウィルだ」
明らかに偽名である。が、わたしはそこを追求しない。
「ウィルさんは、毒矢に射られたのですか」
「よくわかるな」
「治癒術師ですので」
などと言いつつ、聖女だった頃にこのような知識は全て身につけた。どのような原因で負った傷や病かで、使う奇跡の力が違う故のことだった。
「事情があり、賊に襲われた。命からがら逃げたが毒矢に射られた。そして瀕死だったところにきみが現れたんだ」
「そうなのですね。お役に立てたようで何よりです」
「後日きちんと礼がしたい。いいだろうか?」
別にわたしは報酬なんて求めていない。
ただ、奇跡の力があるのに目の前の人を救えないことが嫌なだけ。でも、多くもらえるのであれば生活に余裕が出るのは確かだったし、たとえ無報酬のまま逃げられても大した痛手にはならないので頷いた。
「お急ぎであれば、明日の明け方にこの宿を発つことをおすすめします。ですがウィルさんは何者かに狙われているご様子。大丈夫なのですか?」
「相手は俺がすでに死んでいると見込んで死体探しをしているだろう。早いうちに戻れば大丈夫だ。……きみはしばらくここに滞在するだろうか?」
「三日くらいはこの近辺を散策して、その後は東の方へ向かうつもりです」
「わかった。ではそれまでに必ず戻る。待っていてほしい」
ウィルと名乗る美青年が一体どんな報酬を持って来てくれるつもりかはわからない。
魅力の欠片もない老婆のような小娘であるわたしにいいものが与えられるとは思わなかったけれど、わたしは少し、ほんの少しだけ期待してしまっている自分に気づき、苦笑した。
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