第60話 黒い山

 最長にして最後の通過店であるデルタ・トンネル。ほぼ半円を描くような長いカーブをクリアしたアッセンブルの8機は、ついに空の下へと飛び出した。


《こいつは……壮観だな》


 一瞬、そこが戦場であることを忘れたトルノが呟きを漏らすほどの眺望だった。

 それぞれに威容を誇る険しい山々でさえ近寄り難いと避けたように、そこだけが平坦な大地がトルノたちの眼前に広がっている。

 草も木もない砂色の盆地は半径300kmほどもあり、そのほぼ中心に天を衝くのがマドレグの最高峰にして聖域の主“セレナ”と呼ばれる山だった。


《本当に。でも真ん中のあれ・・は場違いよね》


 確かに神秘的で美しい光景だとミラも思う。しかし、トルノの感想に全面的に賛成はできなかった。

 時刻が昼に近づくにつれて雲が湧き出し、その切れ目から差し込む光に照らされる山体は、およそ聖域とは呼び難い禍々まがまがしさに満ちていた。


 標高9000mに近い岩山は、その半ばから上半分を万年雪に覆われている。しかし、黒っぽい岩が剥き出しの下半分は、人工の構造物によって侵食されていた。

 巨体のそこかしこには穴が穿たれ、そこには対空ミサイルや機関砲の銃座が据えられている。より大きな開口部は、くり抜かれた内部に無人機の発着場や滑走路が建造され、それ以外の山肌全体にも無数のパイプやケーブルが這い回っている。


 そして、中腹から麓にかけて縦に大きく開いた亀裂の中には、マグマの熱を利用した発電システムと、その電力を利用して稼働する金属精錬・精製のためのプラントが稼働していた。


《ラスボスっぽくて実に結構》

《セーブポイントは無いのか?》

《……バッカみたい》


 時と場所、場合Time-Place-Occasionわきまえない、トルノとジャグのいつものおふざけだ。このふたり・・・は、むしろTPOを無視するから良いのだとさえ思っている節がある。

 そして、これもいつもの呆れるようなネリアの溜息。しかしそこには、紛らせきれない苛立ちが滲み出ていた。


《マジになんなよ、ネリア》

《これ以上、仲間が死ぬのはゴメンなのよ》

《他はともかく、俺は平気だ》

《また、あんたはそうやって……》


 ネリアが言葉に詰まると《それは俺の台詞だぜ》と口を挟んだのはリナルドだった。カルアもマーフィも、そしてミラまでもが口を揃える。


―――他の誰がとされても、自分だけは生き残る。


 これが、この戦争の最前線で生き抜いたエースパイロットたちに共通する矜持プライドだった。

 他の誰にも成し得ない不可能任務をこなし、敵を倒して味方を救い、負け戦をひっくり返すまであと一歩。ここまで来て勝利の美酒を味わわなければ、せっかくの苦労も水の泡というものだ。

 

《だからお前も、こんなところで死ぬなよ》

《……言われなくなって!》


 横を並んだトルノが風防キャノピー越しに手信号を送ってくるのを、ネリアは無視した。

 これだから頭に来るのだ、この男は。ひとつ鼻を啜ったネリアは、操縦桿スティックを握り直した。


《さて、こちらの準備も整ったところで、そろそろ敵の歓迎が始まるぞ》


 クルカルニの言葉を聴いて、全員の空気が変わった。こんなところで終わる気などさらさら無い。傲慢と不敵を旨とする8騎のアッセンブル寄せ集めは、ふたつのダイヤモンドを組む。

 各々のヘッドアップディスプレイに“標的TGT”と標示されるのは、クラウドブレイカーの射出機ランチャーだった。


 前代未聞の曲芸飛行を敢行したのは、敵の切り札であるクラウドブレイカーを無力化するためだ。極超音速に加速して広範囲に誘導弾をばら撒く兵器は、本拠地の至近では使用できない。


 敵の懐へ入り込んでランチャーを潰し、味方の増援を呼び込む道をひらくのが、彼らに与えられた役どころだった。


 セレナ山のあちこち、火山が立ち上らせる白煙に紛れて対空ミサイルが打ち上がり、無人機が射出されるのが見える。


攻撃開始Attack!》


 クルカルニの号令と共にスロットルが開放され、全機がアフターバーナーに点火する。

 要塞と化した火山へ向って、8筋の白い軌跡が加速していった。



◆ ◆ ◆



《流石のあんたも、穏やかじゃあいられないか?》


 コックピットの闇の中にひとつ、またひとつとディスプレイの明かりが灯る。レーダー画面には、こちらへ向けて加速する8つの機影が映っている。


《勝率は?》

《97.5%》

《ならば、私が慌てる理由はひとつもないな》


 イルール・クラムの声の淡々とした調子からは、その言葉が嘘ではないと伝わってくる。しかし黒鰐クラカディールは、それこそがこの男の弱点なのだと考えていた。


 自他ともに認める優秀さを持ち、計画の立案から実行までも自分ひとりで行えてしまう。他者の能力を正確に把握した上で期待をせず、想定外がある事をも想定している。

 何があろうと対応できるという自信は、この男に関しては自惚れには当らない。それがイルール・クラムという男だった。


《あのクルカルニとその部下たち。たった8機の戦闘機さえ撃墜してしまえば、敵の攻撃はもう届かない。残りの有象無象をクラウドブレイカーで一掃し、共和国の首都近辺に弾道ミサイルの数発も落としてやれば、敵は顔を青くして停戦の合意書にサインをするさ》


 しかし、本人も気が付かない内に、やはりクラムは追い詰められている。表情や口調に変化は無くとも、この多弁がその証だと黒鰐は考える。

 対応策があるのを理由に、すぐにその場を引いてしまう。ここが最後と踏み止まる事をしないでいる内に、無数にあった対応案も先細りになっていく。


《逆だろうクラム。撃墜してしまえば、じゃあない。撃墜できなければ、俺もあんたもお仕舞いだ》

《馬鹿を言うな。君がしくじったとしても、私にはどうとでもやりようがある。戦争が駄目なら外交がある。経済力がある。この戦闘の結果ひとつで、私の王国は小ゆるぎもしない》


 コンプレッサーの低い唸りが、エンジンの圧力を上げていく。電圧チェック。油圧正常。全武装のセイフティを解除。

 黒い機体を載せたトレーが僅かな振動と共に移動する。電磁カタパルトに接続すると、カウントダウンが開始された。


《そうだと良いがな……》

《心配はしていない》


 推力偏向ベクターノズルの排気炎が赤から青へ変わると、採掘基地の大電力が黒い機体を弾き出した。

 前方ではすでに、空戦無人機の群れと共和国の8機が空中戦を演じている。その中にトルノとジャグの姿を確認して、黒鰐は小さく笑った。


《……攻撃開始Attack

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