第54話 マーカス・セレンディル

 ランバージャックに対して行われた総攻撃、ジャベリンスロウ作戦から3日が過ぎた。


 人類史上最大の人工構造物だったメガフロートはその巨体を3つに割られても浮力を失わず、くすぶりながら黒煙を上げ、穏やかな波に洗われるその姿は、いびつな火山島のように見える。


 ミサイルだけに飽き足らず、接近して76mm速射砲を散々に打ち込んだアーチボルドとファーレインは、その後に行われた救助活動で、大破壊を生き残った敵兵約300人を救出した。


 復讐心を満足させた水兵たちは、煤に汚れ、全身をずぶ濡れにして項垂うなだれ、うずくまる敵兵を見て、何故か後ろめたい気分になった。

 温かい食事と毛布を振る舞われたデラムロ軍の士官は、それを配る二等兵に立ち上がって敬礼をした。


 デラムロ海軍には大型の空母2隻を含む機動艦隊がある。しかし、ランバージャックの危機にもそれらは姿を見せず、警戒をしていた共和国軍の参謀本部は肩透かしを受けた気分だった。



◆ ◆ ◆



 海での戦いが終結した頃、国境地帯を含むロミナ回廊での戦闘は、小康状態を保っている。


 マドレグ山地の尻尾にあたる峰を貫通するトンネルの出口を爆破して塞ぐと、山を越えて現れたのはデラムロ軍の無人兵器だった。

 四足歩行するロボットに攻撃ユニットを搭載した人馬型の歩行戦車が森から現れて先陣を切り、無限軌道を装備して悪路をものともしない戦車がそれに続いた。


 アストック軍は、陸軍と空軍が協力してこれに当たる。

 敵の上空を援護する無人機をスティングレイが駆逐し、自走砲や野戦砲の陣地からは山の地形が変わるほどの榴弾りゅうだんの雨を降らせる。

 仮にそれを突破しても、次に出迎えるのは戦車隊の砲列だった。


 しかし、無尽蔵に湧いてくると思われた敵も、この数日はその数がめっきりと減った。

「そろそろ敵さんも弾切れか?」と兵たちはタバコを吹かして笑いあったが、弾に限りがあるのはこちらの方で、いつやって来るか分からない敵の総攻撃に怯えてる。

 穏やかとはほど遠い内心を誤魔化して、誰もが威勢の良い事を言ったが、人目のない場所では溜め息を吐いていた。



◆ ◆ ◆



 しかし、そんな兵たちの預かり知らぬ所では、すでに停戦に向けた話し合いが持たれていた。


 戦争状態になってすでに2年を経過したアストック共和国は、軍もそれを支える経済も限界を迎えつつある。

 資源とそれを活かした重工業で、周辺の一等国である王国を相手にして、長く戦争を戦えないのは自明の事だった。


 当事者である共和国はもとより、マドレグ山地占有の非を鳴らす他の国々も王国への経済制裁を行っているが、制裁を加える側の方が疲弊して、当の王国はけろりとしているという有り様だ。

 その状況で軍事的な成果を上げられずにいる共和国に対して、各国の対応は冷淡なものにならざるを得ない。同志国からの資金、物資の援助は尻すぼみに減少してきている。


 国内に目を向ければ、長引く戦争に対する国民からの非難も、日増しに声が高まっていた。

 王国への軍事行動は、そして生活物資の不足とそこから来る物価の高騰は、真綿で首を締めるように国民生活に伸し掛かっている。莫大な戦費の拠出は社会福祉の分野にも影響を与えていた。


 国家間の協定を破り、聖地を侵略した者に対する正義の執行というお題目は、当初はある程度の好意をもって評価されたが、それが王国を排除した後にやってくるマドレグ山地分割統治において、イニシアティブを取ろうという政府の目論見である事は明白だった。


 兵士の遺族の嘆きが毎日のニュースを賑わしたが、最初は敵への怒りを掻き立てていた報道も、最近ではその責任を政府に帰する論調が強い。


 海上ではランバージャックを攻略し、ロミナ回廊での戦闘が膠着こうちゃくしている。スティングレイの投入によって航空優勢も取り戻しつつある。

 この状況でならば、マドレグ山地の利権を要求しつつの停戦、果ては終戦に持ち込む事も可能というのが、共和国政府の皮算用だった。



◆ ◆ ◆



 一方のデラムロ王国、つまりイルール・クラムもの側も、ランバージャックを失った痛手は小さくない。しかし、修正の効かない程の事ではなかった。


 圧倒的な戦力で相対しながら、王女アマリエと第二王子ガルグドレンを失ったのは心情としては苦しい。血肉を分けた兄弟は、もうひとりも居なくなってしまった。

 しかし、それすらも国民の戦意高揚に繋げてしまうのがイルール・クラムという男だった。


 仮にアストック軍との総力戦になったとしても、純軍事的に敗北する可能性は皆無と言って差し支えはない。それだけの戦力、国力差が両国にはある。

 しかし、相手を善戦させていること自体が問題だ。


 東に国境を接する共和国に対する軍事行動が長引いたからと言って、西側への防備をおろそかにするわけにはいかない。

 よもやこの戦争に介入してくる他国があるとは思えないが、そのような野心を他国に抱かせないためにも、この状況は早急にリセットするのが望ましい。


 マドレグ山地の開発と資源採掘は、この2年間だけでも王国に相当の富をもたらした。

 それを元手にした経済的優遇をチラつかせ、今は指をくわえてそれを眺めている各国を、そのまま指を咥えさせたままにさせるのが王国にとって最善のシナリオだった。


 元より共和国の領土に関心はない。ならば、苦境にあえいだ相手が苦し紛れに差し伸べた手を、こちらは上から取ってやれば良い。


 イルール・クラムは、そう考えていた。



◆ ◆ ◆



彼奴きゃつの思い通りになど、させるものかよ」


 手入れの行き届いた庭園を望む窓を背にして、布張りの椅子に深く腰掛けた老人が唸った。

 オーク材でしつらえられた重厚な書斎机の上のディスプレイにはクルカルニがいる。


 共和国政府とデラムロ王国の動向を聞かされて、老人は激怒した。

 イルール・クラムの思惑に関しては、状況から鑑みた憶測の域を出ないという前置きも、老人の怒りを緩和する役には立たなかった。


 シガーカッターがバチりと鳴り、ギロチンのような刃が葉巻の端をぽとりと切り落とす。その吸い口を口に含み、マッチの火を移した老人―――マーカス・セレンディルは、口腔に溜めた煙を勢いよく吹き出した。


 90歳を越えた肉体は健康で、思考も明晰。しかし、顎髭を蓄えた顔は頬がけ、元より贅肉とは無縁だった手脚は筋肉が削げて細くなり、手の甲の薄い皮膚の下には血管が透けて見えている。

 かつての好々爺こうこうやは、愛娘であるリアナを失って以降は急坂を転がり落ちるように老け込み、今では神経質で気性の激しい老人へと変貌していた。


 アストックが王国であった頃の侯爵だったセレンディル家は、君主制が共和制に移行してからもその権勢を保っている。


 幾つかの都市を含む広大な領地は、それをそのまま私有地として保有し、かつてのように税収はなくとも地代だけで相当の収入が転がり込んでくる。

 農場や牧場などの産業は法人化してそのオーナーとなり、軍需産業や情報産業にも食指を伸ばし、その莫大な資産と領地内の有権者に対する影響力をもって、政財界に強力なコネクションを築いていた。


「あれは、本当に良くできた娘だったのだ……」


 その現当主であるマーカスの一人娘が、クルカルニの母であるリアナだった。





 

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