第53話 Time to payback

もりを放て》


 アストック海軍所属、攻撃型潜水艦ASS“コーネリア”は、ナレイ半島の外房の某所、深度150mの海底でその通信を受け取った。

 秘匿されたドックから人知れず出港し、砂地に着底してから丸4日もの間、息を潜めて作戦の時を待っていた。


 デラムロの潜水艦隊が辺りをうろつき、盛んに無人機を射出するのを黙って見過ごしたのは、予め定められた作戦行動のため。敵にその位置はおろか、存在すらも悟らせるわけにはいかなかったからだ。


「全艦浮上。バラストタンク排水、アップトリム5°、微速前進」


 艦の姿と名称を刺繍したキャップを被り直した艦長の指示が、復唱と共に実行される。

 艦体各所に配置されたバラストタンクに圧搾空気が送り込まれ、タンクを満たす海水を押し出す。浮力を得た艦はわずかに仰角を取り、バッテリーの動力で進み始めた。


 海中で通信を受け取るためのフローティングアンテナを巻き取りながら、防音ゴムに覆われた涙滴型の艦体が動き出すと、周囲を漂っていた魚の群れが弾かれたように逃げ出した。


「…………」


 ソナー室では、ヘッドフォンを着けた水測員ソナーマン身動みじろぎもせずに水中の音を拾っている。数km先を泳ぐ魚の種類すら言い当てるその耳は、動き始めたランバージャックの水流ジェットの音を手に取るように把握した。


 正六角形の巨体が4基のエンジンを使って方向を変える。こちらに背を向けたランバージャックが一際大きな音を発せば、それが主推進機関だ。


「諸元入力。発射管1番から6番まで装填完了」

「発射管注水完了。扉を開け」


 2年前の敵の奇襲をまぬかれて以来、沈められた友軍の復讐を果たすこの機会を待ち望んでいた。出港を間近にして壊滅した艦隊の無念を晴らすのは、いまこの時をおいて他にない。


「1番から4番発射。30秒の後に5番6番発射」


 そう命じる艦長の声は冷静そのもので、そこには一欠片の感情も籠もっていないように思える。

 それを復唱する副官にも、コンソールの発射ボタンを押す水雷長も、機械のように定められた手順を遵守じゅんしゅしている。


 しかし、その場の誰かがぼそりと呟いた。


「行け……奴らのケツを蹴り上げろ」



◆ ◆ ◆



 嵐の通り過ぎた朝の海はまだ荒れていた。その高い波に舳先へさきで斬り込むように、2隻の艦が疾走している。


 嵐が収まった夜半に命令を受けて出港し、そこから作戦のタイミングに間に合わせるには、4基のガスタービンエンジンが悲鳴を上げても最大戦速を維持しなくてはならない。

 35ノット―――時速65kmで走る艦が波に乗り上げて跳ね、落ちる。自らの巻き上げた水柱で甲板を洗いながら走る艦内は、最大45°を越える傾斜で揺さぶられる。

 しかし、それに不満を漏らす乗組員はひとりとして居なかった。


 艦隊が無人機の襲撃を受けたあの日。出港の直前になってエンジンに不具合を生じた巡洋艦“アーチボルド”は、屋内ドックの中にいた事で、その難を逃れた。

 デラムロ軍は民間人の巻き添えを嫌って軍艦のみを標的に設定し、あらゆる地上の建造物は攻撃の対象外だった。


 ミサイル駆逐艦“ファーレイン”は、無人機の放った対艦ミサイルを甲板に打ち込まれた。艦首の速射砲とミサイルの垂直発射システムVLSが使用不能となったが、空襲をいち早く察知した艦長の機転と卓越した操舵手の技量によって、湾外へ逃れることに成功した。


 艦隊のたった2隻の生き残り。1時間にも満たない空襲で多過ぎる仲間を失った彼らは、生き残った幸運を喜ぶ言葉を投げかけられても、素直に受け止めることができずにいた。

 背中にへばりついて離れない後ろめたさを洗い流す、今日がその日だ。


《銛を放て》


 作戦の第2段階を告げる符牒を受信した時、全速力で半島を回り込んだアーチボルドとファーレインは、岬の陰からその姿を表した。


「全艦に戦闘態勢を発令」

「空軍とのデータリンク接続オンライン。目標、敵メガフロート“ランバージャック”」

「撃てぇーッ!」


 艦内にサイレンが鳴り響いた。

 水平線の向こうにいる敵の姿を視認できないのと同様に、艦に搭載されたレーダー波も惑星の丸みの向こうを捉える事はできない。

 しかし、水上要塞の攻撃ポイントをジャグから受け取ったアーチボルドとファーレインは、ありったけのミサイルをそこへ向けて発射した。


 甲板のハッチが開き、わずかの時間差をつけて16機のミサイルが垂直に打ち上がる。

 左右舷側げんそくのランチャーが巡航ミサイルを釣瓶つるべ打ちにし、艦尾の発射管が艦対艦ミサイルを吐き出した。


 塊になったミサイルの群れが、嵐の去った青い空に白い噴射煙を引いて飛び去る。

 ライフジャケットを着たアーチボルドの艦長は、艦橋ブリッジの窓から双眼鏡を覗いた。

 甲板に出てきた乗組員たちが敬礼でそれを見送る。その中の誰かが、思い切り指笛を吹いた。


これでも食らえ  Take that , you fiend  !」



◆ ◆ ◆



《まったく、人工知能使いの荒い職場だ》


 文字通りの身を焦がす活躍で仲間をクラウドブレイカーから守った後はトンボ返り。

 ソルベラミ基地へ取って返して燃料弾薬の補給をし、電子戦パックを搭載してまた戦場へ取って返した。

 今度の任務は海軍飛行隊と無人機スティングレイお守り・・・だ。


《これじゃあ身体が幾つあっても足りん。戻ったら労働環境の改善を……っと、おいでなすった》


 無論ジャグは、このボヤきがソニアやクルカルニの耳に入る事を分かって言っている。

 しかし、そろそろランバージャックの防空圏が迫っている。北東方向からは、味方の艦の放った多数のミサイルが飛来している。

 さらに下を見れば、魚雷の航跡が水面のすぐ下を一直線に走っているのが見えた。


 無数の無人機ドラゴンフライが向ってくる。

 無人機スティングレイがそれを迎え撃つと、海軍飛行隊の編隊がその脇を猛スピードで通り過ぎた。


 整備や補給で地上にいたのが幸いして、クラウドブレイカーの攻撃を生き延びたパイロットたちは、恨みを込めてミサイルのトリガーを引いた。


《花火の礼だ。くたばれデカブツ》


 完全にタイミングを合わせた飽和攻撃だった。


 方向転換を行う4基のジェット推進に、そして主推進力となる大型ジェット推進にも魚雷が襲い掛かる。

 高性能炸薬が生み出す水中衝撃波は、デリケートな推進システムの機能を容易く奪い去った。


 身動きの取れなくなったランバージャックに、アーチボルドとファーレインが、そして戦闘機隊の放ったミサイルが、海中の魚群に急降下するカツオドリのように降り注いだ。


 その完璧な射撃管制を行ったのがジャグだ。


 殺人を禁じられた人工知能は、有人兵器を攻撃できない。より厳密に言えば、人間を害する可能性があれば攻撃を行うことができない。

 よってこのランバージャックのように、どこに人が配置されているのかが不明な場合は、主体的な攻撃行動を取ることができない。


 だから今回のジャグは、セルケトヘティト戦のように多標的捕捉誘導   メタトロン   システムを使ったミサイル誘導を行っていない。

 目標を設定し、効率的に割り振ったその情報を味方に提供する“目”の役をこなしたに過ぎない。

 それを撃つのは、そして復讐を果たすのは、人間の兵士の役目だった。



◆ ◆ ◆



 迎え撃つ対空砲火も、圧倒的な密度の一斉攻撃の前にはさほどの役にも立たなかった。


 生き残っていた武装構造物が破壊される。支えていたリフトが機能を失うと、それが落下してメガフロートの内部にも大規模な損害を与える。

 射出した空戦無人機ドラゴンフライはすでに全滅し、無人機スティングレイの白く平べったい機体が屍肉を狙う禿鷹のように上空を旋回している。

 第2、第3波のミサイルが容赦なく襲い掛かり、無敵と思われた移動式水上要塞は、いまや射的遊びの的に成り下がっていた。


 火の海と化した甲板には出られず、始まった浸水によって下層へも逃れられない。ランバージャック内の兵士たちは、司令部のある中央付近の地下部分に避難するしか無かった。


 もはや降伏もやむ無し。しかし、その決断は遅すぎた。ガルグドレンの判断が遅かったのでは無い。ただ、復讐に熱狂するアストック軍の火力がその暇を与えなかった。


 命令を受けた通信士官が敵との通信を試みたその時、非常灯の赤い光が消えた。

 鼓膜を破るような大音響と強烈な振動に襲われて、デスクを掴んで転倒を免れたガルグドレン以外の者は、残らず床を転げ回った。


 質量およそ7億トンのメガフロートは、それがいかに苛烈であっても、既存の兵器による攻撃で揺らぐようなものではない。

 しかし、側面攻撃によって侵入した大量の海水は、ユニットを連結して建造された巨大な構造体の重量バランスを崩し、歪みを生じさせた。


 大樹のような鉄骨が捻じれ曲がり、それを繋ぎ止めていた鋼鉄のフックが弾け飛ぶ。厚さ数mのコンクリートが、石膏パネルも同然に破断する。

 規格外のランバージャックに相応しく、そこにやってきた破壊の規模もまた人智を越えるものだった。


「何が起こった‼」


 あらゆる破壊音に塗り潰されて、ガルグドレンの声は誰にも届かず、また誰の声もガルグドレンには届かない。

 瓦礫ガレキよりは岩盤とでもいうべき物にその肉体を押し潰される瞬間、第二王子の脳裏に浮かんだのは、子供の頃に遊んだ兄と妹の姿だった。

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