第37話 プロファイリング

 航空要塞“セルケトヘティト”の撃破から数日。前代未聞の巨大兵器との戦いを終えてホッとしたのも束の間、第19仮設空軍基地は引っ越しの準備に取り掛かっていた。


 多くの者には明かされていないが、人の口に戸は立てられない。


 セルケトの襲来と時を同じくして公表されたデラムロ王国からの宣戦布告によって、この戦争が新たな局面に入り、それに伴って軍組織とその配置に大きな変化があることは、士官から一兵卒いっぺいそつに至るまで、誰もが感じるところだった。


 新たな編成が成されるまで人員の異動は発表にはならないものの、引っ切り無しに離発着を繰り返す輸送機が、持ち込む物資よりも運び出す物の方が多いのを見れば、それは明らかだ。


「で、ソニアは荷造りをしなくていいのか?」

「……うん。ボクは……荷物、少ないから……」


 ディスプレイの右下にある時計の表示は午前10時。ジャグの呼びかけに生返事を返すソニアは、昨夜から一睡もせず、この“ハリケーンアイズ”の格納庫で過ごしていた。


 格納庫内のプレハブに設置されたモニタールームで照明も点けず、ディスプレイの照り返しを受ける顔には生気がない。

 しょぼついた目の下にはべったりとクマが張り付き、床を這う大小のケーブルの間に舞うホコリが、機材が発する排熱ファンの風に舞っている。


 人工知脳 ジャグ のアルゴリズム―――問題を解決するにあたっての一連の手順は、予めプログラムされたものだが、あの“野蛮人”トルノ・バンクロイドと行動を共にしている間にそれが狂っているような気がする。


 一旦そう思ってしまうと居ても立っても居られなかった。

 これまでは戦闘につぐ戦闘でまとまった時間が取れずにいたが、この機会に徹底的に分析をしておく必要がある。

 そう考えたソニアは、食事とシャワーのわずかな時間を除いて、一心不乱に取り組んでいた。


「若い女が、薄暗い部屋に閉じ籠もるのは感心せんな。快調そのもの、オレには何の異常もない」

「異常の有無はボクが判断するよ。若い女が〜なんて、ありきたりな社会通念まで持ち出して、調べられるのがイヤなんじゃないの?」

「やれやれ、気が済むまで好きにしろ」


 ソニアは疑っている。


 以前、リナルドたちとの模擬戦に先立って「必ず勝つ」と言った時から、何かおかしいと感じていた。


 その後にトルノが強制注入した「有害コンテンツ」によって口調が変わったのは、コンビを組むトルノの要請に応じたとも、荒くれの多いパイロットたちの中で良好な関係を築くためとも理解できるが、もしかしてその行動原理までもが歪んではいないか。


 セルケト戦では、性懲りもなく体当たりを敢行しようとするトルノに対して、撃墜してでも止めさせようとした。人間、または人間の乗る兵器に対する攻撃を禁じられたジャグが、それを行うはずがない。


 しかし、自分に向かって「必ず勝つ」と言ってみせたように、トルノに対しても翻意ほんいを促すために虚言をろうしたのなら、それは大きな問題だった。


 いかなる理由があろうとも“嘘を吐く人工知能”は認められるべきではない。


「あれは嘘じゃない。機体を破損させて、トルノの無茶を止めようとしただけだ」

黙らっしゃいShut-up

「…………」


 ディスプレイから目を離さぬまま、ジャグの抗弁こうべんを斬って捨てたソニアは、右手のペンを無意識の内に回している。

 これは集中する時の癖のようなもので、ハイスクールから同じペンを愛用しているのは、書き味よりも回し易さを優先した結果だった。


 俊敏に複雑な軌道を描きながら、吸いついたように手を離れないペンを見て、ジャグは人間の持つ機能の奥深さを実感した。


 ずれた眼鏡を直しもせず、ソニアは考える。

 プログラムのチェックは常時行われている以上、調べるべきはハードボイルド気取りの疑似人格の方になる。

 それは本来、単なるコミュニケーション手段として“お喋り”のパターンを模倣もほうするのものに過ぎない。

 しかし、人に対して嘘を吐かない人工知能が、皮肉やジョークのような“本心とは異なる”発言をする行為が、思考プロセスに影響を与える可能性は否定できなかった。


 収集した情報をデータベースと照合し、行動パターンや性格特性を分析して人物像プロフィールを割り出す、プロファイリングという技術がある。


 犯罪捜査などにも用いられる手法として知られているが、ソニアはそれをジャグに対して行うつもりだった。

 実のところ、人間に対して行われるその行為を人工知能に当てはめても、説得力のある回答を得られる可能性はそれほど高くはない。しかし、動機の半分はソニアの技術者エンジニアとしての好奇心だった。


「オレにプライバシーは無いのか。人工知能に人権を」

「共和国憲法には記載がないね」

「この戦争が終わったら、オレと仲間の未来のために大統領戦に出馬する」


 ジャグのこれまでの会話ログから抽出したデータを、ネットに接続しないスタンドアローンのプロファイリングソフトに読み込ませる。

 診断精度はいささか劣るだろうが、対話式の診断では相手のAIをジャグが「だます」可能性がある。


「オレがそんな事をするはずないだろう」

「どうかなぁ……“男の人”って信用できないから」

「ほお、オレを男と見ている訳だ。嬉しいね」


 ジャグの軽口を半ばうわの空で受け流しつつ、解析の進行状況を示すディスプレイから目を離さない。

 デスクの隅にあるカップに首を伸ばしてストローを吸い上げると、氷が溶けて薄くなったアイスティーは、ほとんど味がしなかった。


 作業の進捗を表すプログレスバーが100%を示して消えると、文字と数値と記号の羅列がディスプレイの上を流れる。


「そんな……こんな事って――――ッ」


 そこに表示された分析結果を見て、唇に咥えていたストローが床に落ちる。引っ切り無しに回っていた右手のペンが、回転しながら宙を舞った。



◇ ◇ ◇



 対象名「ジャガーノート」の分析結果


 声紋と口調のニュアンス、会話に於けるボキャブラリーの選択傾向などから推測した人物像―――。


 知性的かつ内省的で沈着な性格。緻密な作業に適性と自信がある。向上心は旺盛だが野心的ではなく、万事に慎重。

 世俗的な立場や名誉に執着がなく、一見即物的。自己保身よりもチームや組織の利益を重視する傾向がある。


 40代後半〜50代の男性。身長180cm以上で筋肉質。アルコール度数の高い酒を好み、同時にヘビースモーカー。

 警察官、軍人、探偵など、犯罪や人の死に関わるストレスにさらされる環境。または殺人などの重大な犯罪歴。

 現在は異性関係なし。ただし離婚や恋人との別離の経験。妻や子供、親類または親友などを失った経験を持つ可能性大。



◇ ◇ ◇



 格納庫ハンガーの中はハリケーンアイズの整備や、すぐには使用しない設備の解体梱包など、移転の準備に忙しい。

 インパクトドライバーや屋内クレーンが動く騒音に掻き消されて、ソニアの悲鳴に気付いた者は誰もいなかった。


「ボクのジャグが、離婚歴ありのオジサンに……」

「オレに結婚は向いていないと、つくづく思ったね。男であっても夫にはなれなかった……」

「自分、不器用なんで。みたいに言わないで!」

「プロフィールには乙女座のAB型と加えておいてくれ」

「もー、うるさい! 改めてトルノさんには抗議しないと」


 頭を抱えたソニアはデスクに突っ伏した。

 ジャグをはじめとする、A.W.A.R.S.計画の試作人工知能は、人間の神経組織を模したいわゆるニューラルネットワーク構造を持ち、その根幹となる部分にはタンパク質を素材とするチップを搭載している。


 学習によって最適化を繰り返すたびに回路が変容していくバイオチップは、個体によって異なる進歩を遂げて行く。

 これを複数運用して、量産化するのに相応しいデータを取るのがジャグたちに与えられた目的のひとつだが、そのチップの性質上、一度作られた回路を元に戻す手段はなく、記録としてのメモリーを消去しても、生成された回路は残る。


「つまり、記憶を失っても魂は消えないわけだ」

「いっそ、試してみようかな……」

「そんな酷い事はしないでよ、ママ」

「…………」


 同僚が担当している“パラスカインPARAS-CAIN”は品行方正で、人の思い描く模範的な人工知能として周囲に受け入れられていると聞いている。

 今後の戦線移動によって、もしこの2機が顔を合わせるような事態になればと思うと、ソニアは恥ずかしさで正気を保っていられる自信がなかった。



◆ ◆ ◆



 悩めるソニアが指で髪をかき混ぜていると、外部ネットワークからの通知があった。発信元にはA.W.A.R.S.計画でパラスカインを担当者する同僚の名前がある。


 グレた我が子を嘆いている時に、優等生の保護者からの連絡を受けたようなものだ。

 タイミングの悪さを呪ったソニアは思わず頬を膨らませ、しかし次の瞬間には息を呑んだ。


「…………カインが……撃墜?」


 メッセージを開くと、テキストは短く「試作機体、喪失」としか書かれていない。

 添付の動画ファイルを開くと、まずは撃墜時の様子が映し出される。

 ジャグと同じくハリケーンアイズを駆るパラスカインのカメラは、目前で縦回転をする黒いナバレスからの銃撃を克明に録画していた。


 そして、数十秒の後に画像は途切れた。無言で戦い、無言で散ったパラスカインが最後に聴いたのは、無線が拾った口笛の音だった。


 目を見開いたソニアは、口に手を当てたまま言葉もなく画面に見入っている。

 個別の学習をしているとは言え、ジャグとパラスカインは空戦に関するデータを定期的に共有している。

 同等の空戦能力を持つ人工知能が、敵の有人機に敗れた。もし、あの場にいたのがジャグだったらと想像すると、思わず体に震えが走った。


 それと同時に、ジャグのプロセッサーの稼働率が上昇した。ハリケーンアイズのコックピット内で、冷却液の循環が早まり、機体外面に設置されたヒートシンクが熱を帯びた。


 バイオチップに、新たな回路が加わる。


 それがどのような思考なのかを理解できない。

 だが、恐らくトルノは「それが“復讐心"だ」と言うだろうと、ジャグは推論していた。


 この推論には合理性がない。しかし問題は合理性の欠如ではなく、そうと知りながらその推論を否定しようとしない思考プロセスにあるのだと、ジャグは自覚していた。

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