第38話 Death of the sky

 暗灰色が低く厚く垂れ込めている。前線から遠く離れた町のアスファルトに、みぞれ混じりの雨を降らせる冬の雲を、ひとりの少女が見上げた。

 滅多に使う機会のないお気に入りの長靴を履き、ビニールの雨ガッパの上を水滴が流れるのを楽しんでいると、どこからともなく唸るような音が聴こえる。


 音の塊が雲の上を走っている。目には見えない何かが通り過ぎるまで、少女はずっと空を見上げていた。



◆ ◆ ◆



 グレーの雲を眼下に見ながら、高度8000mの雲上を飛ぶ編隊がある。

 輸送機を改造した寸胴の給油機を先頭にして、その後に続く8機は、配置転換によって移動する“アッセンブル・スピアオレンジ”の戦闘機だった。


《バイパーバイト02、給油完了Refueling OK。さあ、さっさと交代してちょうだい》

《OK、ミルクピッチャー。そんなに急かさないで下さいよ》


 蜂の針のように突き出したブームから給油を終えたカルアのバラクーダは、給油機の後部からそそくさと離れた。

 デラムロ王国からの正式な宣戦布告を受けたアストック共和国の陸海空軍は、大規模な配置転換を行っている最中だった。

 局地戦に終止していたこれ迄とは打って変わり、航空機の移動が急増したため、空中給油機“ミルクピッチャー”はあちらこちらで引っ張りだこになっている。


《お次はスーパーエースね。ニューバートンへようこそ》

《いいや、ソルベラミだよ》


 ハリケーンチェイサーをブームに寄せると、給油機とのデータリンクに機体の操縦を預けたトルノは、コックピットの中で腕を伸ばした。


 フライングブーム方式による給油オペレーションでは、位置を固定した機体に対して給油機側が操作するブームを接続する。

 先端にある小さな翼を使って、長いストローのようなブームを空力的に操作する。以前は専門オペレーターを必要としたその繊細な作業も、今では人工知能にその役割を譲っていた。


《それは残念。サインをねだる機会はなさそうね》

《戦争が終わってお互い生きてたら、サインでも自撮りセルフィーでもどうぞ》


 機体背面の中央にある給油口からジェット燃料が流れこむ。

 給油機とのやり取りをしながら横を向くと、相棒であるジャグのハリケーンアイズが並んで飛ぶのが見える。

 その同型機の撃墜をソニアから聞かされて以来、あの“黒鰐”がトルノの中に占める割合はさらに大きくなっていた。


《でも気を付けてね。水兵さ海軍んはあたした空軍ちよりも荒っぽいみたいよ》

《そいつは怖い。もし虐められたら慰めてくれ》


 給油機の女性パイロットが「いつでもいいわよ」と請け合うと、給油を終えたストームチェイサーからブームが離れた。

 翼を振った“ミルクピッチャー”が機体を緩くバンクさせて遠ざかる。

「どうしてトルノさんばかり……」というカルアの不満の声と共に、ふたつの4機編隊ダイヤモンドは速度を上げた。



◆ ◆ ◆



 北の海に大きく突き出た鉤形。ナレイ半島の中程にある丘陵地帯の狭間はざまにあるのが、ソルベラミ海軍基地だった。

 海軍の基地と言っても内陸部に軍港などあるはずも無く、一見すると空軍基地と大差はない。

 しかし、滑走路の脇に整然と機首を並べる戦闘機や攻撃機を見れば、それらが海軍仕様の艦載機だと分かる。


 クルカルニが、第19仮設空軍基地を引き払ったアッセンブルの根拠地を、内陸の空軍基地でなくここに定めたのには無論、理由があった。


「宣戦を布告したデラムロ軍は、恐らく陸海空の全ルートから侵攻してくるだろう」


 パイロットと主だったスタッフが到着するや否や開かれたブリーフィングで、クルカルニは今後の予測と対抗方針を発表している。


 数ヶ月の間とはいえ、仮設ゆえに真新しかった19基地に慣れていた隊員たちは、年季の入った海軍基地の設備に若干の居心地の悪さを味わいながら、それでも指揮官の話に集中した。


「連中の狙いは我が国の領土ではない。単に政府を屈伏させれば戦争目的が達せられる以上、敵は必ず首都陥落を目論もくろむ」


 他国への見せしめとしての効果をより高いものにするために、大軍をもってこちらの抵抗を粉砕し、早期に決着をつけようとするだろう。

 そして、それを可能にするための兵力が、敵にはある。


 共和国の首都アスタビラの南西には、空軍最大規模のニューバートン基地がある。

 離陸から戦闘、帰還までに要する燃料消費と機体整備などを踏まえて考えるならば、首都防衛の作戦にはそちらの方が適している。


 だが、とクルカルニは言葉を区切った。


「諸君には言っておくが、我々をニューバートンに配置しようとする政府や軍首脳からの意向に、私は反対した」


 ミラが端末を操作すると、壁面のディスプレイにナレイ半島を中心とした戦域図が表示された。

 半島に左半分を覆われるゲーリング湾の南側には首都アスタビラがあり、まずは海からの侵攻ルートが赤い矢印で表される。


「敵の海上戦力がゲーリング湾に入るには、半島の突端にあるミリアム岬を回り込むしかない」


 次に矢印が表示されたのは、半島の付け根にあたる部分だった。


「地上軍がアスタビラへ向かうには、必ずロミナ回廊を突破してくる」


 南側にはマドレグの山々がそそり立ち、アストック共和国とデラムロ王国を東西に見て、細く伸びる平地がロミナ回廊と呼ばれる地域だ。


「もう諸君には分かるだろうが、我々アッセンブルはこの半島に展開し、陸海双方の敵に対して打撃を与える」


 突出面積の大きいナレイ半島には湾内に面する内浦にも、外海と接する外浦にも、大小の港湾と市街地がある。

 半島の背骨のような稜線を形成する山地や丘陵では、農業も林業も、そして牧畜も行われており、そこにもやはり人の生活がある。


 古来よりアストックとデラムロ王国を結ぶ街道だったロミナ回廊にも、宿場街を由来とする複数の都市があった。

 半島側とマドレグ山地側にそれぞれハイウェイが開通し、二国を結ぶ長距離鉄道が通る回廊は、農業と牧畜が主な産業となる共和国の中でも、商業と観光が盛んな地域として人口も多い。


 19基地とマドレグ山地との間にも市街地はあったが、敵の方針が山地を目指すアストック軍の妨害である以上、それらが標的とされる事は無かった。


「しかし、これからはそうも行かなくなる。アスタビラ攻略の前段階として、敵がこれらの都市の全てを素通りする事はあり得ない」


 侵略者の汚名さえ考慮しなければ、敵がこれらの街を占拠もしくは破壊するメリットは極めて大きい。そして恐らく、敵はそれを躊躇ためらわない。

 避難民が発生すれば、その対応に労力を割かれる。戦災に対する補償や支援に必要な額を試算すれば、行政官僚は震え上がるだろう。


 国民の生活と安全を蹂躙じゅうりんされるがままにすれば、敵に向かう憎しみと同等の不信、不満が政府への政治的なダメージとなり、経済的にも深刻な影響を受けるのは目に見えている。


「こうして敵は、首都アスタビラを攻撃の射程に収める以前に、共和国の首に手を掛けることになる。それを防ぐのが、諸君に課せられた任務だ」


 言葉を切ったクルカルニが見渡すと、パイロットたちの表情に大きな変化はない。与えられた任務をこなす事に対して、不平も不満も、恐れも怯えもない。


「隊長の方針は分かった。海へ山へのハイキングに、この基地が都合がいいのも納得だ」

「しっかし、19基地の時よりこき使われるっぽいですよね〜」


 本音を隠さないカルアに、リナルドが「それはしゃあない」と肩をすくめる。


「ハムリット市には妻と子がいる。せめて最低限の避難が済むまでは、奴らデラムロの足留めはしたいな」

「足留めなんて控え目過ぎませんか。あんな連中、全員揃って地獄に突き落としてやればいい」

「開戦の時みたいに上手くいくと思ってるなら、痛い目に遭うと教えてやろう」


 リナルドに次ぐベテランのガントは、半島の外浦に暮らす妻子と故郷を守る決意を固め、マーフィーとチェイニーは常と変わらず好戦的な態度を崩さない。


「欲しくもねえ勲章がまた増えちまうな。こりゃ」

「老後の資金の足しにはなるんじゃない」


 トルノが頭の後ろで腕を組むと、溜め息混じりにネリアが応える。老後の事など考えた事もないスーパーエースが、盲点だったとばかりに「それもそうか」と呟くと、元恋人の女パイロットはやれやれとかぶりを振った。


「また無茶をして、周りを困らせるなよ」

「そ、そうですよ。またジャグを困らせないで下さいね!」


 人工知能とその開発者。ジャグとソニアは、それぞれ角度が微妙に異なる釘をトルノに刺した。

 一見、いつも通りの軽口の応酬。しかし、仲間パラスカインの撃破を知ったソニアが沈みがちになっているのに、トルノは気がついていた。


「そう心配すんなよ。俺とジャグならやれるさ」

「べ、別に、トルノさんの心配なんて、してませんけど……」

「そうだろうとも」


 笑うトルノを、水筒ジャグを抱き締めて上目遣いのソニアはキッと睨む。しかしその視線はすぐに力を失い、弱々しく床に落ちた。


「大丈夫だソニア。トルノはともかく、オレに心配はいらない」

「……うん」


 ジャグの言葉にコクリと頷くソニアを見て、これは処置無しだとトルノが天を仰ぐ。普段の行いのせいだとリナルドが笑えば、それに釣られて他の者も声を上げて笑った。


 その笑顔の奥に潜む闘志を見て、クルカルニもまた、その口元が歪むのを自覚している。


 ある者は守るべきものの為に、またある者は失ったものへの精算を胸に秘めて笑っている。

 それらの感情は、あるいは闘志と呼ぶにはどろりとして醜く、また生々しくに過ぎる物かも知れない。


 しかし、彼らが目指すは破壊と殺戮。慈悲、博愛などお呼びではなく、神に背を向け悪魔と手に手を携える。最新鋭の翼を駆る空の死神たちは、獲物が来るのを今や遅しと待ち受けている。


「諸君の活躍に期待する」


 心からの言葉と共に、ブリーフィングは終了した。

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