第36話 口笛

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黒鰐クラカディール01。口笛を止めなさい》


 女性管制官オペレーターの発する無機質な声に、黒鰐は思わず苦笑を漏らした。これなら、今どきの人工知能の方がよほど愛想がいい。


《いつお陀仏になるかも知れないんだ、口笛くらい好きにさせて欲しいね》

《無駄口を叩くな。レーダーレンジ内に敵機バンディッドを確認。迎撃せよ》


 暗闇の中にディスプレイが点ると、表示されるレーダー画面には4つの機影がある。高速でこちらへ接近するそれは、数分後にはこちらをミサイルの射程に収めると予測できる。


 高度とコースから判断して、こちらの戦力をあぶり出すための威力偵察なのだろうが、素直に手の内を見せてやる義理はない。


《こっちはずっと棺桶コクピットで待機してるんだ。すぐに上がる》

《無駄口はいい。復唱をYou copy?

《フッ……了解I copy。これでいいんだろ》


 管制官が肩をすくすくめる気配が通信越しに伝わった。機体を載せたトレーが2tを超える機体を載せ、きしみひとつなく動き始める。


 火器管制シFCSステム起動。レーダー電圧チェック。油圧チェック。

 闇に包まれた棺桶の中にディスプレイとインジケーターの光が次々と点る。低くうなるコンプレッサーがエンジン内の圧力を高めていくのを感じながら、フラップやラダーの稼働を確認した。


―――今日の獲物は、少しは活きが良さそうだ。


 音速の2倍近い速度で接近するのは、早期警戒管制機を取り逃がしたあの時の新型機と、データベースに登録のない機体―――これも新型機だ。


―――先日のリベンジを果たすとしよう。


 トレーの移動が停止して、エレベーターが上昇を始める。飛行甲板フライトデッキに現れた黒い機体が陽の光に輝いた。

 機首からコックピットを経て、翼面積の広い台形翼から二枚一対の垂直尾翼まで、線を引いたように無駄のないフォルム。尾翼に描かれた黒い鰐のマーキングは、その大顎おおあぎとを開いている。


《クラカディール01。離陸Take off


 デラムロ空軍の最新鋭制空戦闘機FFR-11“ナバレス”が電磁カタパルトに接続され、アフターバーナーの点火と共に射出された。

 文字通り弾かれたように加速する、その加重Gをものともせず、水蒸気の輪ベイパーコーンを置き去りにして音速に到達する。


 高度10,000mの虚空に飛び出すと、デラムロ軍が誇る空中要塞“ガルガンチュア”の威容が背後に遠ざかった。望遠レンズが捉える拡大映像には、敵の編隊が視認できる。


―――お行儀よく並んでいやがる。


 機首のレーダーを照射すると、敵機を示す4つの三角形がターゲットコンテナに囲まれる。捕捉ロックオン発射シュート


 同時に12の目標を追尾できる長距離空対空ミサイルが、白い尾を引きながら飛翔していく。この距離で命中するとは思わないが、敵が母艦ガルガンチュアを射程に収める前に牽制し、コースを変えさせるのが黒鰐の狙いだった。


 攻撃を感知した敵編隊が応射したミサイルは、黒鰐を狙っている。母艦を守る任務は達成として、後は敵を残らずとしてしまえば、晴れてお役御免だ。


 敵編隊はこちらの放ったミサイルを回避するべく、大きく旋回して速度を上げた。放出したチャフ―――レーダー電波を欺瞞ぎまんするアルミ箔の紙吹雪が、冬の陽光にきらめいた。


 スロットルを開いた黒鰐は機体をさらに加速させる。回避はせず、殺到する敵弾の隙間を縫うようにしてすり抜ける。4機のミサイルをやり過ごすと、敵の後ろ姿は目前だった。


 リーダー機は前進翼に追加装備を施した、例の新型に間違いない。

 残る3機は軽戦闘機程度のサイズで、コックピットには風防キャノピーがない。双発エンジンを懸命に吹かしてミサイルを振り切りながら、ピタリと組んだ編隊を乱さないのは、間違いなく無人機ドローンの動きだった。


《司令部より黒鰐。可能な限りのデータを収集し、可能であれば撃墜せよ》

《可能であれば、とは言ってくれる。デビューしたてのひよっ子に遅れを取るはずがないだろう》


 敵は迷っている。こちらが牽制で放った長距離弾の回避に成功して、そのまま逃走するか反転して再攻撃を仕掛けるか。

 しかし、戦場の空ではその一瞬が命取りになる。機動が甘くなったその姿は、後ろから刺して欲しいと言っているようなものだ。


 まずは1機を短距離空対空ミサイルAAMの餌食にする。味方にも言える事だが、安物の人工知能は機動が素直で行儀が良すぎる。


 残る2機の背後Sixを取ってミサイルを発射。

 予測通りの回避パターンをとった敵に照準を合わせ、武器選択アーマーセレクトを機銃に変更した黒鰐は、さらにトリガーを引く。

 20mmバルカンが軽快なモーター音を響かせ、高速回転する銃身から通常弾と徹甲弾のミックスを吐き出した。曳光弾の描き出す曲線が吸い込まれると、残弾カウンターが減るのに合わせて敵が破片を撒き散らした。


《……手応えの無い野郎だ》


 人工知能には意地も根性もない。そして何より外連味けれんみが足りない。あまりに予測通りの機動をする敵との空戦を、黒鰐は退屈だと感じた。

 空戦トンボとは良い勝負をするだろうが、自分の相手としては力不足だ。


 しかし、最後の1機は違った。両翼に装備したノズルから炎を吐き出し、空中戦ドッグファイトを挑んできた。

 これも無人機のはずだが、その機動は複雑でいかにも人間臭い。風防のないフルカバーのコックピットの内部から、こちらを見詰める視線を感じた。


 だが、敵は撃ってこない。攻撃ポジションを奪い合って互いの軌跡を絡ませながら、何度か誘った攻撃のチャンスにも手を出してくる様子がない。


《そういう事か……》


 これはやはり無人機だ。そして、有人機を攻撃できないようにかせをはめられている。その事実に、黒鰐は失望した。


 人が死ぬのが戦争だ。


 どんな綺麗事を並べても、その本質に変わりはない。人工知能が人に危害を加えないのは平時であれば当然だが、兵器にまでもそれを課すのは理屈に合わない。

 こちらの無人機攻勢に対抗する手段というのは理解できるが、それだけで終わる戦争などありはしない。


《善人ぶるのは勝手だが、気に入らないな》


 盛んに機動を繰り返すのは、恐らくデータが欲しいのだろう。しかしやはり、こちらの手の内を見せてやる義理はない。


 背面のエアブレーキを開いた黒鰐が、機体を急減速させる。それに合わせた相手が減速すると、

 クルビット機動―――鉄棒の逆上がりよろしく機首を上げてその場で360°の縦回転をしながら、背後に迫る敵機に向けて機銃弾を叩き込んだ。


 アストックの無人機が火を噴いた。


 自らを守る術さえ奪われた哀れな最新兵器が、にび色の空に破片を散らす。傾く機体を立て直そうと懸命に翼を動かし、生き残ろうと藻掻もがき、苦しみ、そして爆散した。


 口笛を吹いた黒鰐が機体を翻した。炎上しながら落下していく敵に背を向け、ガルガンチュアへ進路をとる。


《新型機は爆発も派手でいい》

《黒鰐01。報告を》

任務完了Mission complete帰投するReturn to base


 ロープの存在しないリングで戦う空の闘士が、ハンデを背負った相手に勝ったとしても、誇れるものは何も無い。

 歯応えのある相手に出逢う事が、そしてそれを打ち破る事だけが、黒鰐の望みであり存在理由だった。


 CODE:Assemble Sierra Oscar―――。


 いまだ正面から戦った事のない、敵の航空特殊部隊。そして、自分を仇と呼んだあのパイロット。

 今はただ、再び彼らとまみえる時だけが、ひたすらに待ち遠しかった。

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