第35話 ヒアリング

 アストック共和国の北側には、海が広がっている。わずかの砂浜ビーチを除いた海岸線のほとんどを起伏の激しい岩場に覆われ、海水浴には向かない代わりに水産資源には恵まれている。

 そこに鉤形に大きく突き出たナレイ半島に守られて、比較的波の穏やかなゲーリング湾の沿岸にあるのが、共和国の首都アスタビラだ。


 水深の深い湾内には貿易、漁業、そして軍と、幾つもの港が点在している。港湾地帯には工業地帯が隣接し、そこから内陸へ行くに従ってビジネス街と住宅地が混在していく。

 およそ300万の人が暮らすその空を、1機のヘリが飛んでいた。


 郊外にあるニューバートン空軍基地で連絡機を降りたクルカルニ・オーヴィッツ大佐は、ヘリの窓から眼下を流れるビルの群を眺めている。常には開いた軍服の襟がぴしりと閉じているのは、この先に待つ「お偉方」との会合のためだった。

 洗練されたデザインを競う商業ビルとは異なり、格式や権威を象徴する事を目的としたいかめしい石造り―――統合参謀本部ビルのヘリポートに着陸すると、待ち構えていたのは小銃で武装した警備小隊だった。



◆ ◆ ◆



「貴官の指揮する部隊の働きは、見事という他ない」


 午前10時15分。定刻通りに始まった会合は、蛍光灯の光に照らされる地下会議室で始まった。

 列席するのは、財務や外交、国防といった戦争に直接関わる省庁の次官クラスと、軍部からは陸海空軍を代表する高級軍人。そして、民間人ながらも有識者として参加している幾人かは、軍需産業や研究機関の代表者たちだ。


 総勢15名が楕円形のデスクに均等に座り、壁面モニターの前に立つ銀髪の空軍大佐に注視し、主に口を開くのは名目上の上官である空軍参謀長ベアード大将の役目のようだった。

 この「ヒアリング」と称される会合は非公式のもので、ここで話された事が表へ出る事はない。書記もおらず録音もされない。

 それが保証されねば本音の話ができないという者たちを前にして、表向きは神妙な顔を作ってみせるクルカルニは、内心で薄笑いを浮かべていた。


「これまでは、君の言った通りの筋書きで事態は推移している。正直を言うと私は半信半疑だったが、本当にデラムロが宣戦布告を寄こすとはな」


 空中要塞セルケトヘティトを破壊してから、この時点ですでに3日が経過している。

 セルケトが境界線を跨ぐと同時に、デラムロ王国の大使によって大統領府へ持ち込まれた書簡は、これまで一向に認めてこなかったアストック共和国との戦争状態を追認する内容だった。

 戦端が開かれてから2年越しの宣戦布告に、政府や軍部の上層部は驚きを禁じ得なかったが、それを予見した者が居ないわけではない。そのひとりがクルカルニだった。


「これで、セレンディル氏が王国に持つパイプが確かな物であるとお分かり頂けたと思います」


 セレンディル家はアストックが共和制に移行する以前、まだ王政を敷いていた頃の侯爵家だった。

 古来より連綿と続く武門の家柄は、近代に至っても軍高官や国防大臣を排出している。現当主は老齢のために表舞台を退いたものの、国内外の軍関係者に、いまだ隠然とした力を誇っていた。


 そして、クルカルニの母親リアナの旧姓が、そのセレンディルだった。デラムロ王国を出奔したクルカルニは母の実家に身を寄せ、その権力と人脈によって作り出されたのが、実在しない空軍士官クルカルニ・オーヴィッツという男だ。


「これまでの2年間は、残念ながら後手に回った我が軍ですが、氏のもたらす情報と人工知能技術の有用性は、皆様の信頼を得るに充分な成果を得たと考えます」


 ここに居並ぶ高官たちは、クルカルニを飼い犬だと考えている。セレンディルが国内での影響力を強化するために、経歴を捏造して軍部に送り込まれた傀儡くぐつだと思っている。


「それに関しては、認めざる得ないというのが我々の認識だ。しかし―――」


 次に口を開いたのは国防次官だった。軍務経験のない初老のエリート官僚は、ずれてもいない眼鏡を直した。


―――この後の敵の動きは掴めているのか。

―――2年間の戦果に加えて、さらに王国からの宣戦だ。市民の動揺は大きい。

―――しかし、戦争となればこれまでの曖昧な武力衝突とは異なり、講和という手段が取りうる。

―――負けっぱなしで講和など、それこそ政権が傾くぞ。まずは戦闘における優勢の確保を。

―――敵の空中要塞を撃破というが、それでこの先も勝ち続ける保証は?

―――こちらの無人機の量産はまだなのか。


 その後は発言が相次いだ。提案とも質問ともつかない言葉を口々に発しながら、それが誰かに向けての事なのか、声の大きな独り言なのかも分からない。

 回答がない事を承知の上で議論を演じ、自分の関与しないところで話が進む事を期待している。彼らが求めているのは事態の進展や解決ではなく、実質的な責任を負わずに形式的な責任を果たしたという結果のみだった。

 それを眺めるクルカルニは、表情を殺すのに苦心していた。


 まったくこの国の連中は扱いやすい。ここにいる官僚や軍人には各々に繋がる政治家がいて、ここでの聞いた話を元に、それぞれの野心や保身のために動くだろう。

 自分は彼らが他力本願な決断を下す、そのための手助けをしてやればいい。


「提案します」


 空虚に紛糾する会議室にノックの音が響いた。

 上位者ばかりの場において、テーブルを叩いて注目を集める行為は叱責の対象となってもおかしくなかったが、それを咎める者はいなかった。

「皆様のご懸念はごもっともと思いますが、セレンディル氏においては無論、全ての対応策をお持ちです」



◆ ◆ ◆



 セレンディルから託された1枚の写真がディスプレイに投影され、それに付随する情報をクルカルニが読み上げると、ようやく本物の危機感を味わった高官たちは色を失い黙り込んだ。


「そんな事が、本当に可能なのか」

「可能です」


 そうでなければ、この国は御仕舞おしまいです―――そう続ける必要もなく。それは明白な国家存亡の危機だった。


にお任せ下さい」


 この一言で、会議は終了した。



◆ ◆ ◆



 秋は終わりに近づき、そろそろ霜が降りるかという気温の日が続いている。滑走路の向こうに未だ解体、撤去中のセルケトを見ながら、第19仮設空軍基地は引っ越しの喧騒に包まれていた。

 次々と輸送機に積み込まれていくコンテナを、司令官オフィスの窓から眺める基地司令は、湯気の上がるマグカップを口に運んだ。アスタビラで購入した豆は、軍支給の物とは比べ物にならない香りを漂わせている。


「これで、また色々とやりやすくなる」


 経歴不明の空軍士官。セレンディル家を後ろ盾にした出所不明の戦隊司令官。政治家や高官たちのクルカルニに対する認識は、しかし巧妙に操作されたものだ。

 クルカルニの裏にセレンディル家がいるのではない。クルカルニこそが裏でセレンディルを操る黒幕なのだ。


 王国による不法占拠を退けた後、マドレグ山地が再び不可侵となる事はない。多国間の分割管理に移行する時、最大の権益者になるためには最大の功労者である必要がある。

 策もあれば、その策を実現する手段も提供する。そう言ってアストック共和国に軍事行動をそそのかしたのはクルカルニだ。


 開戦直後の反撃による打撃とその後の苦戦を予測しながら静観し、その効果が最大化するタイミングを狙ってアッセンブルを設立し、空戦用人工知能ジャガーノートを投入した。

 戦況の好転によってアストック軍が山地に進めば、それを好機とした他国が軍を動かす。介入を良しとしないイルール・クラムが、他国への見せしめ――示威行為としてアストックを攻めるのも読めていた。


 敵の侵攻にきゅうした軍部は、現在の最高戦力「アッセンブル・スピアオレンジ」をようするクルカルニに対して、さらに大きな裁量権を与えざるを得ない。

 いち戦場の行方を左右する戦術から、戦争全体の趨勢すうせいを決める戦略を動かす立場を手に入れた。


 ハリケーンアイズNFX-23-3ADVの投入によって、空戦用人工知能”ジャガーノート”は完成を見た。イルール=クラムが持つ切り札を、打ち破るための戦力は整いつつある。

 稀代の復讐者クルカルニ・オーヴィッツの思うがままに、事態は進行している。

 それらは全て、母を殺したイルール=クラムとその一党に、自らの手で直接手を下すための手段に過ぎない。


「そろそろ相手も本気で来るか」


 しかし、こちらはうの昔に本気の喧嘩を挑んでいる。いまさら怖気おじける事などありはしない。

 冷めたコーヒーを飲み干すと、クルカルニは部屋を去った。



――――――第一部 完


Attention Please(機長よりのお願い)――――――

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 第二部は鋭意執筆中、そこで完結する予定です。しばしの間お待ち下さい🙇

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