第30話 思惑
「敵の先鋒を務めるのは、恐らくこれだ」
壁面にあるモニターに表示されたそれを見て、高揚する戦意にざわついていた室内が静まり返った。
「……んん?」
その場にいる全ての者が、怪訝な顔で首を
しかし違和感がある。ブーメランのような機体を真上から撮影し、その下には雲と山がある。その距離感がおかしい。
「デラムロ軍の防空の要として配備されている、航空要塞“セルケトヘティト”だ」
全長約400m。全幅約1,000m。スクラムジェットの燃料を空中給油で補いながら成層圏を巡航し、その体内に150機の無人機を飲み込んだ空飛ぶ空母。
無数の対空機銃とミサイルで針ネズミのように武装した、それはまさに超空の要塞だ。
驚いたか。
我が事のように誇ってみせるクルカルニだが、他の者は唖然として言葉も出ない。このような怪物が空に浮くこと自体が信じられず、そのような化物が攻めてくると言われても現実味がない。
「いや残念だ。俺にかかればこんな奴はお茶の子さいさい。だが、機体が無いんじゃ仕方がない」
それにしても残念だ。返す返すも残念だ。俺がいなくてもみんな頑張れ。
不敵な笑みを固めたトルノは、その口元だけがヒクついている。後ろに座っていたネリアがその椅子の背を蹴った。
しかし、実際にトルノの機体が無いのは事実だった。作戦中に2機を失い、残る予備機のひとつは分解整備に回り、ひとつはパーツを抜かれてスカスカだった。
「心配はいらん。俺のお古を貸してやるよ」
「お前のお古って、
「フッ……そいつは後のお楽しみだ」
出逢った当初の人工知能らしさを、ジャグはすっかり失っている。その勿体つけた物言いにトルノはしかめっ面を返すが、しかし今は、それどころではなかった。
この規格外の巨人機が本当に攻めてくると言うのなら、まともな戦法が通用するとは思えない。トルノが周囲を見渡せば、そこにあるのは茫然自失と意気消沈の顔ばかりだ。
まったくしょうがない連中だ。一度の勝ちに浮かれていたかと思ったら、次の瞬間にはこのザマだ。
演壇からこちらを眺めるクルカルニの顔を見ろ。
部下の顔が赤くなったり青くなったりするのを見て、顔は真面目を保っていても目が笑うのを隠せていない。いつもふざけて指揮官らしさの欠片もなく、軍人らしい
いち大佐でありながら航空戦力による特殊部隊を設立し、トップダウンが当たり前の軍の中でフリーハンドの作戦権を握っている。結果として、散々だった全軍の対無人機撃墜レートを五分に戻し、国土の制空権を取り戻した。
「で、当然、策はあるんでしょうね?」
その男が、策を持たないはずがない。
命懸けの空中戦で曲技を披露し、
ふざけていないで、さっさと手の内を
トルノが視線で催促すると、椅子にふんぞり返ったトルノを見る目が「バレたか」とでも言いたげに、今度ははっきりと笑った。
「無論、勝つための算段はできている」
常に
それを垣間見たトルノが返したものは、やはり同種の笑顔だった。
「そうこなくちゃな」
見つめ合った男がふたりが悪そうな顔で笑っている。それを目撃したミラは、ゾッと背筋を凍らせた。
◆ ◆ ◆
そして、航空要塞セルケトを迎撃のための作戦は提示された。
その説明を受けたブリーフィングルームは再び茫然自失の空気に包まれたが、その意味合いは絶望ではなく「呆れてものも言えない」という
「よくもこんな作戦を考えたものだ」
「それはともかく、よくもこんな作戦を
「とは言え、勝ち目はありそうだ」
クルカルニが開いて見せた手札を見れば、確かにこれなら勝負になるという気がする。感想の大半は「頭がおかしい」の一言に尽きるが、当の立案者はその評価を喜んでいる。
「何を運ばされているのかと思ったら、そういう事かよ」
「倉庫に山と積まれたアレは、このための物か……」
しかも、準備はすでに万端整い、後は敵を待つばかりとなっている。その事を知った部下たちは、白髪の大佐の周到さと人の悪さに苦笑いを禁じ得ない。
軽々に開示できない情報ではあるのだろうが、半分以上は悪戯心だ。誰もがそう直感し、それは実際正しかった。
「しかし、敵がこの基地を目指して来るのは間違いないんですか?」
この作戦はその点を疑わない前提の上に立脚している。それがもし見当違いであれば、アストック共和国の国土は敵の
「ここは、唯一にして最大の損害を敵に与えた基地だ。敵が放って置くはずがない」
方針を変えた敵が境界線を
侵攻するには航空戦力だけでは不十分。しかし、地上部隊が展開するには、やはり制空権の確保が重要になる。
第19仮設空軍基地までの数百kmなど、音速機にとっては
「50程度の無人機隊では歯が立たないのは、先日の戦闘で立証済みだ。よって敵は戦力を小出しにする愚を犯さず、要塞を担いでここに来る」
純軍事的に、非の打ち所のない正論だった。
そして、その論理の通りに敵がこの基地を狙うならば、クルカルニの張り巡らせた
しかしこれは、事態の半分を説明しているに過ぎない。クルカルニの中には、また別の計算があった。
第19基地攻略の戦略的な優位性は間違いがない。
しかし、その論理が正しければ正しいほど、その通りにならないのが戦争と言うものだ。誰の目にも明らかな目標ならば、相手も相応の対策をするのが道理。バカ正直にそこを攻める
例えば近傍の都市に部隊を送れば、アッセンブルは対応せざるを得ない。誘引して分断し、各個撃破の餌食にするも良く、部隊が不在の基地を叩くのも良い。
よって実際には、
しかし、そうはならないとクルカルニは考えている。
方面軍の司令官は第一王女のアマリエだ。あの戦場のハートマークは、腹違いの姉に対するメッセージであり、
あの
つい黙考したクルカルニが、ざわつく室内に視線を巡らせると、ヒソヒソと、しかし興奮気味に言葉を交わすルーキーたち。リナルドは敵の戦力評価に余念がなく、ガントは妻と娘の写真を眺めている。
マーフィーとチェイニーは派手な作戦に期待を膨らませ、どうにかアピールしようと首を伸ばして覗き込むカルアに、キルシュは無視を決め込んでいる。
そして、
良いメンバーが揃ったものだとクルカルニは思う。常には薄ら笑いを貼り付けている口元が僅かに
罠は仕掛けた。猟犬たちの士気は高い。獲物にかける慈悲はない。
この戦争に勝つための、そして亡き母の無念を晴らすため最後の切り札は、すでに手の内にある。
「細工は粒々、後は仕上げを
司令官の起立の声に、雑談を止めた部下たちが一斉に立ち上がる。
この後に起こるであろう
Attention Please(機長よりのお願い)――――――
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