第29話 転換点

 前線基地は失陥しっかんした。さらに、それを罠に利用した作戦は何の成果も上げずに失敗。王国軍マドレグ山地東部方面軍司令部は、始まって以来の緊張感に包まれていた。


 極度に自動化された作戦情報室では、明度を抑えた照明の中で音を殺して口も効かず、一切の表情を消した士官たちが職務に集中するをしていた。


「戦略的に大した損失はない。そう気に病むな」

「ですが、お兄さま。これではわたくしの気が収まりません」


 モニター越しの会話に思わず声が高くなり、細い拳がデスクを打つ。


 とばっちりを恐れる部下たちは、怒気の揺らめく指令席を遠巻きにしている。時折、上官の顔色を盗み見るのみで、近寄ろうとする者はいない。


 王国の第一王女であり方面軍司令官のアマリエは、怒りに吊り上がった目尻を痙攣させ、少将の肩章を小刻みに震わせている。

 ピンと背筋の伸びた細身を濃紺の軍装に包み、常に鷹揚おうようで貴婦人然とした立ち居振る舞いをモットーとする彼女をこうも神経質にさせているのは、モニターに表示されたハートマークだった。


「クルカルニめ。裏切り者め」


 無人機から送られた映像を拡大すると、ストームチェイサーのノーズにある槍の乙女スピアオレンジの赤いエンブレムは、彼奴きゃつの母方の実家の紋章だ。

 マドレグ山地侵攻のドサクサで姿をくらました父の後妻の息子は、要領の良さだけは見上げたものだった。野垂れ死にもせず、いずれ何処かでと生きているとは思っていたが、まさか敵に寝返って祖国に弓を引くとは。


「あの恥知らずめ!」


 柳眉を逆立てる妹をモニターの向こうに見ているのは、王家の長子であるイルール・クラムだった。

 未だ壮年と言ってよい容姿の総司令官が、口ひげを撫でる手で隠した口元は不快感に引き結ばれている。


 自分では何も考えずに王家の地位に甘んじている妹は、彼にとって決して心地良い存在ではなかった。

 幼い頃から周囲の評価を受けたクラム。それに気に入られ、認められる妹であるという子供じみたアイデンティティがいい歳になっても抜けきらない。


 大きくは国と王家の繁栄であり、しいては国民の幸福。小さくはこの戦役の勝敗や、それに関わる戦略。弟を裏切り者と指弾し、大袈裟に怒って見せる女の頭の中に、恐らくそのような視点は皆無であるに違いない。

 眼中にあるのは、自らの失点を取り戻すという、その一事のみ。血を分けた妹の近視眼に、優秀な兄は失望していた。


「このような愚弄を受けては黙っておれません。これ以上、彼奴の跳梁ちょうりょうを許さぬためにも」


 セルケトを使わせて欲しい。その懇願こんがんをクラムはれた。

 国土防衛の要として作り出された、2機の巨大な空中母艦。勝つにしても敗れるにしても、その性能テストはしておきたい。


 戦局は動いた。対アストックのみに留まらず、この戦役の行方を見守っている他国に対して、牽制をしておく必要もある。

 兄に尻尾を振るだけが取り柄の妹。生きるにしても死ぬにしても、少しは役に立つだろう。



◆ ◆ ◆



 オペレーション・ブレイクショットは終了した。


 境界線上に建設されたデラムロ軍の前線基地を破壊するという大目標は果たされたが、期待された捕虜と情報は得られなかった。

 また別の側面では、敵自身の攻撃によるほぼ自爆のような基地破壊は、長く続いた苦戦からの反攻作戦に意気上がっていた味方が、一弾も撃たずに作戦を終えるという不完全燃焼をもたらした。


「出番もないまま退散かよ」

「そう悄気しょげるな大将。戦争はまだ終わらねえ」


 戦車に揺られながら愚痴ぐちる中隊長―――マニング大尉をトルノが慰めた。


 燃料切れの機体を捨て、2日連続のパラシュート降下をしたエースは戦車隊レッドロータスに拾われている。成果もなく基地へ戻る戦車は、ガスタービンエンジンにも心無しか元気がない。


 勝負はまだついていない。次も、それが駄目ならそのまた次も、活躍をする機会はまだ残っている。

 しかし、トルノの言葉の半分以上は自分に向けたものだった。


「そうでなくちゃ、俺も困る」


 ようやく見つけた相棒の仇、黒い鰐のエンブレムを取り逃がした。脳が沸騰するほど頭にきている。地団駄を踏んで叫びたい。


 次に遭ったら、その時は必ず。

 カッと喉が熱くなるのは、コーヒーに混ぜたウイスキーのせいだけではない。抑えつけた怒りに目を光らせる男を見て、マニング大尉は首をすくめた。



◆ ◆ ◆



「その通り、まだこの戦争は終わらない」


 その翌日。作戦の最終評価を行うデブリーフィングの終了間際に、クルカルニは宣言した。


「敵の占領地域の1平米すら奪取だっしゅしていない状況には、何らの変化も起きていない」

「それがこの先の作戦展開、という事なんじゃ?」

「無論、そうなって行くだろうよ」


 リナルドとカルアの言葉はその通りだが、クルカルニの予想はそれと異なっていた。


「純軍事的に考えれば、縄張りテリトリーとして掌握しょうあくした山地に我々を引き入れ、殲滅せんめつするのが上策だ」


 険しい地形に地上部隊の進行は阻害され、待ち伏せするに容易い。高所に設置したレーダーと地対空ミサイルは、航空戦力の脅威となる。

 そして、見通しの良い平地でもあれだけこちらを苦めた無人機隊は、複雑な地形も苦にせず襲ってくるだろう。


「しかし、敵はその有利を捨てて境界線を越え、アストック領内への侵攻してくる」


 馬鹿な、というのが、その時ブリーフィングルームに居合わせた者たちの反応だった。


 アッセンブルのメンバー以外にもレッドロータスや第57飛行隊のルーキー達はもちろん、参謀本部から派遣されたスカイ・ギャンビットですら、そのような話はにわかに信じ難い。


「戦闘における有利もそうですが、デラムロはアストックとの戦争状態を認めていません。その方針が今になって変わると?」


 キルシュが椅子を鳴らして立ち上がると、鮮やかな金髪をシニヨンにした美女に視線が集まる。カルアを始めとして、彼女の騎士を志す者は多い。

 このブリーフィングに先立って、女王を撃墜の危機から救ったジャグは褒美のキスをたまわったが、その代償として、羨望と嫉妬の眼差しをダース単位で浴びせられたものだった。


「これはブレイクショット作戦の承認時、今後の有力なシナリオとして、すでに上層部に説明したものだが……」


 王国はマドレグ山地を実効支配しつつも、併合へいごうは宣言していない。つまり、自国領ではない土地に軍を進駐させつつもそれに対する批判を無視し、そこへ侵入する者あらば撃退する、という道理の通らない状態を素知らぬ顔で決め込んでいる。


 だからと言うべきか、唯一表立った敵対行動をとるアストック共和国に対する武力行使は、山地の防御を目的とした予防的な先制攻撃に留まっている。

 圧倒的に有利な戦局にあってもアストック領内への侵攻は一切行わず、その独善的な無欲によって「手出し無用」の状況を他国に対して押し付けるのが王国の戦略だった。


「ただしそれは、我が軍を領域外に釘付けにできていてこその戦略だ。こちらが山地へ兵力を送り込むのに成功すれば、取り巻く状況に変化が出る」


 王国のマドレグ山地侵攻を良しとしない国は多い。三千年の不可侵も、一度誰かが破ってしまえば元通りには戻らない。それは各国の為政者の共通認識と言っても過言ではなかった。

 真っ先に開戦したアストックがしたたかにやり返されるのを見て、資金や物資の援助でお茶を濁していた周辺国も、我々が山地へ進軍するのを見れば、引っ込めていた食指を伸ばすに違いない。


「そうなると、敵としては厄介だ」


 無尽蔵の無人機軍に、敵は多大な自信を持っている。仮に仮想敵国の全てを相手にしても、負けるつもりは無いだろう。

 しかし、負担は軽いに越したことはない。

 そして、戦争とは外交における一つの手段に他ならない。

 防御に有利な山地で籠城戦紛まがいの戦争であれば、恐らく幾らでも持ち堪える戦力はある。味方の損害を敵のそれが上回れば、攻め手が先に音を上げるであろう算段は立っているはずだ。


 しかし、実際にほこを交えてしまえば、今後の外交に禍根を残す。上っ面では仲良くできても、これまで通りという訳にはいかない。傍観者には傍観者のままいて欲しい。


「ならば、いっそアストックを徹底的に叩いて、威を示すのが得策。と敵は考える」


 その飄々とした雰囲気の下に興奮を隠したクルカルニは、ブリーフィングルームの演台に身を乗り出した。

 

「その敵の先鋒を迎え撃つ。ここに居並ぶ諸君には、そこまで付き合って貰うつもりだ」


 今度は敵が、本腰を入れて攻めてくる。


 分からない話ではない。いち軍人の視野であれば、戦争の趨勢すうせいは戦略とそれを支える戦術、戦闘の積み重ねと映りがちだが、正面の敵を横から見れば、見えてくる事情はなるほど説得力がある。

 これまで苦戦を続けた相手だ。国境線にタッチダウンを決めるまでに2年を要した。兵だけでなく国民の士気をくじくのに、充分すぎる犠牲も出た。

 しかし、その話を聞いて怯む者は、ここにはいなかった。


「付き合うも何も、命令とあらば戦うまでだ」


 あのナバレス。“黒鰐クラカディール”があちらの方からやってくるなら、探す手間が省けていい。片眉を上げたトルノが獰猛な笑みを浮かべると、それが周囲に感染していった。

 これまでは散々な目にあわされたが、ここからは先はそうはいかない。


 人とは現金なものだ。アッセンブルの活躍とブレイクショット作戦の成功は、厭戦えんせん気分を吹き払う絶好のカンフルになった。

 味方はおろか敵までもが、思惑通りに動いている。この戦争の行方を左右する駒は、すべて手の内にある。

 空調の効くブリーフィングルームが静かに熱を帯びていくのを見ながら、クルカルニは満足そうに目を細めた。

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