第26話 トルノ・バンクロイドという男
周辺の敵機は全て撃墜されさらなる増援の気配はない。
《もしかしてバカなのかも知れないと思っていたけど……》
《これで疑いは晴れたわけだ》
体当たりにヒヤリとしたアッセンブルの面々―――特にネリアがトルノの無茶をチクチク責めても、当の本人はケロリとしたもので、あちらこちらに笑いが起こった。
しかしその中で、第57飛行隊のルーキーたちは黙りこくって一言も発さなかった。
見せつけられた圧巻の空中戦と、直後にやってきた自身初の空戦。初撃墜に浮き立ったその直後には、敵を取り逃がして味方を危機に晒した痛恨のミス。
それをカバーしたのがミサイルを機銃で撃ち落とす
ほんの半日足らずの間に起こった出来事は、目まぐるしいという言葉では到底追いつかない。右に左に揺さぶられて、最後にやってきた最大の感情は恐怖だった。
自分のミスで人が死ぬところだった。トルノとジャグがいなければ、2両の戦車とその乗員が犠牲になったと考えると、心臓が絞られるようだった。
しかも、それをフォローしたトルノ―――空軍の最大戦力とも言えるスーパーエースが、その身を犠牲にするところだった。
《おい、ルーキーども》
戦車隊に拾われたトルノは、複合装甲の角張った砲塔から上半身を乗り出し、マグカップを片手に機嫌がいい。しかし、呼び掛けられた方は生きた心地がせず、ビクリと震えて次の言葉を待った。
《良い子は真似すんなよ》
来たるべき𠮟責や
いまだコクピットに押し込まれている仲間たちより一足先にコーヒーにありつけたのが愉快なのか、マイクが拾って伝える声には笑いの成分が含まれている。
《ドヤ顔のところを済まないが、こればかりは本当に真似して欲しくないものだ》
味方を救うためとはいえ、このような危険行為は本来ならば許されない。少なくとも褒められた事ではないし、蛮勇を誇られても具合が悪い。
しかし、クルカルニの口調に責める調子は感じられず、いつもの面白がるような含み笑いが目に浮かぶ。
命懸けと無謀は似て非なるものだ。トルノがそこを
《空戦中にお絵描きする上官様には言われたくないね》
《上官侮辱は営倉いきだぞ?》
《おいおい、これはパワハラだ。そうだろ、ギャンビット?》
《話をこちらに振らないで下さい。開いた口が塞がらないのはどちらも似たようなものです》
スカイ・ギャンビット―――キルシュが聞えよがしに溜息を吐けば、それは最もだとレッドロータスが賛同する。この恩知らずめとトルノが怒鳴ると、再びあちこちで笑いが起こった。
こうなるとスラスト、スラッシュの両小隊も強張った顔をしているわけにはいかなかった。
許されたとは思わない。仕方がなかったと開き直る気にもなれない。
しかしこの場の誰もが、ヒヨッコである自分たちに「気にするな」と言っているのが明白な以上、いつまでも暗い顔をしては、相手の好意を無にしてしまう。
気を遣われるのは情けないが、それは甘んじて受け容れるしか無かった。
《
燃料と弾薬を補充して次なる敵に備えるために、撤収の命令を受けたアッセンブルの各機は次々と機首を
《できれば、それも止めておけ》
ブリーフィングで「トルノに学ぶな」と言った矢先の危険行為に、そら見た事かと言わんばかりのジャグは、トルノが陣取る戦車の上を爆音と共に
《こんな不良パイロットは空軍に一人いれば充分だ》
《何だとテメエ、降りてこい!》
腕を振り上げて怒鳴るトルノの上を、ある者は翼を振り、ある者はからかうようにロールをしながら、仲間たちが飛び去っていく。
クルカルニを始めとして、ジャグの意見に反対する者は一人もいない。しかし、トルノの
《いいえ、それでも尊敬しますよ。バン
ピシリとした編隊を組んだ57飛行隊は、僅かに機体をバンクさせるとトルノの姿を視界に収める。
誰が号令するでもなく全員が敬礼を送った。
◆ ◆ ◆
命令に従い任務を果たす。常にベストを尽くして当然。己が命を対価にして、他の命を守って戦う。
士官だからという理屈を超えて、軍人だからというレッテルにも収まらず、彼は一人の戦士だった。
無意識に、何となくでは決して辿り着けない境地。他人のお陰でも誰のせいでもなく、戦う事を己の意思で選択した。その選択の積み重ねが、今の彼を形作った。
人は“現実”を言い訳にして“当たり前”に背を向ける。
世の中はままならないもの。綺麗事は通用せず、理想論は苦労知らずの世迷い言。正論は他人を殴る凶器に過ぎず、悪はあっても正義はない。
他人の世話より己の保身。しゃしゃり出るな、出しゃばるな、得はせずとも損はするな。
セコいくらいが丁度いい。
そうして人は当たり前の正しさを手放していく。すべき事から目を背け、楽な方へと擦り寄っていく。
優しさを装って摩擦を避け、合理を
しかし、それら全てを
それが大人というのなら、大人になどなる気はない。それは馬鹿だというのなら、賢くなくても構わない。
粗にして野だが、卑ではない。彼の辞書には卑怯や卑屈の言葉はない。
トルノ・バンクロイドとは、そういう人物だ。
彼を見ていると、落ち着かない気持ちにさせられる。
自分なりには持っていると思っていた。捨てたつもりは毛頭ないと、密かに誇ってすらいた。時が来れば、力があれば、いつか発揮できると思っていた。
そんな条件つきの“正しさ”を心の中で唱えるだけの自分が、酷く惨めなものに感じられる。
彼はただ、彼としてそこにいるだけ。なのに、自分のあり方を問われているような錯覚に
自分がそこまで行けないと認めてしまえば、気持ちは楽だ。あの人は特別なのだと切り離せば、呑気に憧れることも許されるだろう。
だが自分は、少しでも近づいてみようと思う。
◆ ◆ ◆
これは後に、とあるパイロットがトルノについて語った言葉だった。
多少はアルコールも入っていたのだろうが、感涙にむせぶルーキーによるこのトルノ評は、一定の評価を得ながら拡散していった。
ある日、これを伝え聞いた本人は顎を上げて胸を張って「まあな‼」と見栄を切り、周囲の溜め息と失笑を誘ったものだった。
卑屈と卑怯はともかく、トルノの辞書には“謙遜”という語も記載されていなかった。
「この方はカウンセリングを受けるべきです。何ならボクが
事実誤認に基づく人物像の曲解である。怒りに顔を赤くしながら、ソニアが息巻いた。
「あんなのただの見栄っ張りの意地っ張りよ。意固地になってんのよ。馬っ鹿馬鹿しい」
馬鹿を調子に乗らせてどうする。他人はともかく、迷惑を被っている者の身にもなれ。ネリアの手の平がテーブルを音高く打った。
「戦士(笑)は結構だけれど、規律を乱す理由にはなりません」
自ら発した
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