第18話 ネリアとトルノ

 翌日、目を赤くらせたトルノが食堂に現れ、のそのそと配膳台の列に並び、トレーを取ったのは、昨日と同じ午前10時だった。

 大皿に盛った大量のライスを円錐形に成形する。その先端をえぐった空間に、これも大量のカレールーを注ぎ込む。食の細い者ならば、見ただけで胸焼けを起こすであろう、文字通りの山盛りカレーライスだった。


 万人向けに作られたルーに辛さを足すべく、大量に振りかけられたトウガラシが赤く色を添える。

 後ろに並んだ通信兵はそれ見て「うへぇ」という顔になった。


 昨日は結局、ソニアの執拗しつような追撃をかわしきれなかった。ジャグとの定期的な面会を約束する事で、ようやくお引き取りを頂いた。

 ソニアは「収監中の恋人に、面会を許された乙女のように」喜んだが、トルノにとってはたちの悪いクレーマーに絡まれた気分だった。


 今日は落ち着いてメシを食える。いつもの席に陣取ったトルノは、スプーンで山を切り崩しに掛かる。一口目を口に運ぶと、何者かが目の前に座った。

 山盛りのサラダが乗ったトレーをドンとテーブルに置き、湯気の立つマグカップを口に運ぶのは、ネリア・シャンダルク中尉だった。


「おはよ」

「…………」


 また面倒なのが現れた。ァンとも、ゥンとも、言葉にならない声を発してカレーを頬張るトルノは、まともに返事をする気が無い。基地に赴任してから、何かにつけて絡んでくる彼女は、トルノの元恋人だった。


「野菜も食べなさいよ」


 トレーを滑らせて寄越したサラダには、トルノが好むドレッシングが掛かっている。自身は何も食べずに、再びコーヒーを口に運ぶ。


「余計なお世話だ」

「米ばっか食べてんじゃないわよ」

「うるせえ、お前は俺のオフクロか」


 トルノがようやく返事をすると、ネリアはフンと鼻を鳴らした。他人行儀は大人気がないが、気安くするのはわざとらしい。

 喧嘩別れをしたわけでは無いが、不満はある。

 未練はないが、愛着はある。

 どのように接すれば良いのか、迷った結果がこの態度だった。


 トルノとは、士官学校から航空戦技アカデミーの同期だった。最初の3年はトップを争うライバルとして、残りの2年は恋人として時間を過ごした。


 トルノという男は、一見して粗野な部分が目立つ。

 そして実際に粗暴、乱暴極まりなく、その立ち居振る舞いは、軍人、士官というようりも、街にたむろする不良のそれに近い。

 澄まし顔のエリートよりも、男は少々なくらいが好ましい。それがネリアの嗜好しこうだった。


 しかし、付き合ってみれば、これで意外に繊細な一面も見えてくる。放埒ほうらつなように見えて責任感が強く、情に厚かった。

 士官学校では、融通の効かなさで孤立していたネリアを、の的に掛けていたグループのリーダーを殴った。しかも手酷てひどく。


 航空戦技アカデミーでは、ネリアの主張する空戦機動マニューバを「できっこない」と馬鹿にした者を見返すために、それを実演してみせた。しかし、性能を超える機動によって練習機はお釈迦になった。そんなトルノにネリアは惚れ込んだ。メロメロという表現が相応しいほどだった。


 しかし、私生活の不一致は如何ともし難かった。


 トルノは、声高に信念を語るような男ではない。主義や主張を振り回すような事もしない。

 しかし、己がこうと決めたことは絶対に曲げない。是が非でも意地をつらぬかたくなさがある。つまり頑固だ。


 恋人よりも男友達――つまりアイク――との付き合いを優先し、たまの休みにデートの約束をすっぽかされる。ふたりで過ごしている時でも、男友達からの電話があれば飛んでいく。

 映画を観たり、本を読んでいる最中に邪魔をすれば、烈火のごとく怒る。記念日はおろか、ネリアの誕生日ですら覚えなかった。


 愛されていなかったとは思わない。呆れこそすれ、腹が立つようなような事はない。そういう男なのだと思ってしまえば、諦めもつく。

 しかし、アカデミーを卒業して互いの配属先が決まると、自然と関係は消滅した。


 連絡を取ろうかと、一度ならずは考えた。

 しかし、戦争が始まった。



◆ ◆ ◆



「無茶な出撃、もうやめなさいよ」


 待機時間中にも関わらず、ネリアがここへ来たのは、これが本題だった。トルノが来た事を知らせたのは、目つきの鋭いコックだ。


「俺の勝手だろう」


 生意気なパイロットと人工知能のコンビに対して、他のパイロットやクルーたちも冷笑的で、勝手にやらせておけという雰囲気だった。

 クルカルニには幾度となく掛け合ったが、全く取り合われなかった。


 トルノと会っても、その度にすれ違う。再会を果たしてもぶっきらぼうな元恋人が、何を言った所で聞く耳は持たれないだろう。そうと分かっていても、ネリアは言わずにはいられなかった。


「そんなんじゃ、長くは保たないわよ」


 疲労の蓄積がミスを呼ぶ。空戦ではそれが即座に死に繋がる。トルノひとりが気を吐いたところで、全体の戦況は動かない。


「アイクの敵討ちは結構だけど、それで無理をして無駄死にしたら、意味ないわよ」


 こんな言い方をしたいのではない。している事にケチをつけたいわけではない。しかし、その思いとは裏腹に、ネリアの声と言葉は硬く、石礫いしつぶてのようにトルノを打ってしまう。


「無駄、無理、ムラ。そんな事を気にしていて、戦争なんてやっていられるか」


 それまではうるさそうに聞いていた、トルノの容貌かおが変わった。怒ると片眉が上がるのは、昔からの癖だった。

 その強い語気に、ネリアの顔が強張こわばる。周囲の空気が凍りつき、誰もが食事の手を止めた。


 スポーツでも遊びでもない、命の取り合いだ。やっているのは戦争で、しかも今のところは負け戦だ。無駄なくスマートに、無理なく合理的にやって勝てるなら、死んでいった連中が間抜けとでも言うのか。


「無理でも無茶でも押し通して、道理をひっくり返す。それが俺やお前の仕事だろうが」


 俺が正しいとは言わない。真似をしろとも思わない。しかし、仲間の被害を減らせるならば、無理でも無茶でもやるしかない。

 敵を減らして味方を助ける。たったそれだけの単純な作業に、効率もへったくれもありはしない。


「お前の言いたい事は、分かっているつもりだ」


 賢い男なら、こんな言い方はしないのだろう。それはトルノにも分かっている。

 相手の話を聞いて、一度は迎合してみせるのもいい。あれこれと理由を並べて、心配を取り除くというやり方もあるだろう。


 しかし、それは流儀に反する。


 忖度そんたくも誤魔化しもなく、思った事を相手にぶつける。適当な言葉でお茶を濁し、その場をやり過ごすのは性に合わない。


 だから――――。


「俺にはもう、構うな」


 静かな、しかし一切の反論を許さないその一言で、ネリアは席を立った。

 涙を隠すようにきびすを返し、そのまま無言で立ち去る彼女を、トルノは一瞥いちべつもしなかった。

 しんと静まった食堂で、スパイスの弱いカレーを掻き込み、サラダのボウルを空にして、食堂を出た。





Attention Please(機長よりのお願い)――――――

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