第19話 ミラとトルノ
頑健な肉体と精神力を維持するために、パイロットは日々のトレーニングを欠かさない。
休暇も3日目になると、連続出撃で落とした体重も戻り始めたトルノは、久し振りにジムを訪れた。
まだ人もまばらな午前中に、陸戦隊員と同じかそれ以上のウェイトトレーニングを黙々と
「おはよう、大尉」
「少佐……おはようございます」
最初はジョギングから始め、徐々にピッチを上げていくと、隣のマシーンで走り始めたのはミラだった。
まだ真新しい、空軍支給のトレーニングウェア。ストライドのたびに、蜂蜜色のポニーテールが揺れる。タンクトップから覗く腕は白い。しかし引き締まった筋肉は、彼女がデスクワークだけの軍人ではないと主張している。
やはり、パイロットの腕だとトルノは思った。
短い挨拶を交わすと、互いに前を向く。マシンの駆動音と、揃ったストライドの音だけが響いた。
「調子は、どう?」
「悪くない、です」
元々、不調があったわけでは無い。必要もないのに取らされた休暇だ。
また、しばしの沈黙。
「近々、大きな作戦があるわ」
周囲に人はいない。それを確かめて話すミラの声の調子は、これがオフレコだと
どのような作戦なのか、その内容に興味はない。パイロットは、言われたように飛ぶだけだ。しかしトルノは、ミラが自分にそんな話をする理由が分からなかった。
銃まで向けられた最悪の初対面。その後もトラブルを起こすたび、否、起こさなくても冷たい視線を浴びせられている。茶飲み話をする仲でもなく、雑談すら交わさない。話をしても、盛り上がらない自信がある。
この規律に厳しい女性将校は、自分を敵視していると思っていた。
「どうして、俺に?」
「さあ……死なれると困るから、かしら」
トルノが戸惑うのも道理で、この話をしているミラ自身が、行為にハッキリとした目的や理由を持っていなかった。
上官を上官とも思わない横柄な部下。無茶ばかりをする、無頼漢気取りのパイロット。良い印象は、ひとつも無い。
茶飲み話をする仲でもなく、雑談すら交わさない。話をしても、盛り上がらない確信がある。
しかし、何故か気になるのだ。無茶なようでいて、コントロールはされている。破れかぶれかと思えば、自制は効いている。
だが、生き残ろうという意識が、希薄に感じられる。死に急いでいるようにも見える。
命が軽い。
そう感じるミラは、どことなくざわめきを感じて、落ち着かない。だから、この話をした。
偶然にジムで見掛けただけだ。わざわざ寄って行って声を掛ける間柄ではない。相手も恐らく、それを望んでいない。
それより第一に、自分らしくない。しかし、何かを言うべきだと思った。
「俺は、そう簡単にはくたばりませんよ」
「……そうね」
嘘だ。
すべき事さえしてしまえば、いつ死んでも悔いはない。そういう男に見える。しかし、これ以上ミラにできる事はない。
設定した15kmを走って、トルノのマシンが停止した。後から走り出したミラのマシンは、まだ動いている。
「お先です」
「……ええ」
短く告げただけで、トルノはジムを出て行く。
ここでミラを待って、さらに何かの話をするというのは違う気がした。サンドバッグを叩くつもりでいたが、それは次回にしようと思った。
ミラもトルノを引き留めなかった。
これ以上の話があるわけでもない。これ以上何かを話せば、不要な事まで口にする恐れがあった。
「本当に、らしくもない」
ランニングを終えたミラはグラブを嵌めた。始めは軽く、徐々にスピードに乗って、サンドバッグにコンビネーションを打ち込んだ。
◆ ◆ ◆
クルカルニは得体が知れない男だ。
エース部隊の設立を提唱し、AI兵器の試験運用から、量産までを見込んだA.W.A.R.S.計画を推進している。
戦時のこととはいえ、また劣勢であるとはいえ、目立った経歴もないぽっと出の空軍大佐に可能な事ではない。
普段は呑気に構えている。シャープな容貌に反して、気安い印象もある。しかし、雑談でも自分の過去には一切触れず、時折垣間見せる眼光には鬼気迫るものがあった。
ミラがトルノに話した「大きな作戦」とは、無論、クルカルニによるものだ。
アッセンブルのパイロットたちに叩かれて、動きの鈍った敵を刈り取る。それを
言うは易しだ。しかし、これまでの事を考えれば、その作戦は成功するのだろう。否、させねばならない。
しかし、山地に控える敵とは何か。軍に流通する以上の情報。それ無くしては立案不能な作戦を、なぜクルカルニは立てられるのか。
そして、大きな作戦にはそれなりの
その成果として、ジャグは著しい成長を遂げたが、トルノがそのための犠牲になった可能性もある。
エースパイロットに課された、エースならではの任務。
しかし、それで何人が生き残るだろう。戦局が動く気配が、ミラの胸に不安を掻き立てる。渦巻く疑念が、脳裏を離れない。
サンドバッグを鳴らす、テンポが上がる。
鋭いパンチを突き出す腕から、飛沫が舞う。
どれだけ汗を流しても、ミラの気分は晴れなかった。
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