第17話 ソニアの憂鬱
身嗜みを整えたソニアが再び部屋を訪ねても、トルノは顔を出さなかった。完全無欠の居留守だった。
思わずカッとなるが、パンプスでドアを蹴ってやりたい気持ちをぐっと堪える。ドアをドンドン叩くのにも、気後れを感じる。
あらゆる意味で冷静さを欠いていた早朝の失態は繰り返せない。かといって、いつ出てくるかも分からないトルノを、部屋の前で待つわけにもいかない。
舌打ちしたい気持ちを抑えて、ソニアはその場を後にした。
◆ ◆ ◆
パイロットだけで戦争は戦えない。
戦闘機の運用とそれに伴う施設管理は、多大な人員を必要とするため、仮設と名のつく第19基地でも、そこに勤務する人員はゆうに6000名を超えている。
一度に400人の食事を
娯楽の少ない前線基地では、食事を一番の楽しみにする者も多い。また、最近は空襲が減った事もあり、食事を摂る職員の表情も明るい。
無論、目先にあった死の恐怖がわずかばかり遠ざかったのみで、戦況の改善や逆転と呼ぶには遠い。しかし、ほんの少々でも日々の任務、業務に余裕ができることでストレスが軽減すれば、味気なく感じていた食事も美味く感じる。雑談にジョークを交える余裕も、他人に様子に注意―――この場合は好奇の目を向ける余裕も出てくる。
目を充血させたトルノがふらりと現れて、配膳台の列に並んだのは、午前10時を過ぎてからだった。明らかな徹夜明けで、常から良くない目つきが輪をかけて悪い。
特大のハンバーガーとコーラをトレーに乗せて、もはや指定席となっている奥の席へ陣取ると、遠巻きにした者からの視線が集まった。
良くも悪くも、彼は基地の有名人だった。
そこにやってきたソニアが、トルノの対面に座ったのは、もちろん偶然ではない。私室では居留守を使えても、食事の時にはここへ来るはず。そう考えた彼女は、待ち伏せ戦術を選択したのだった。
昨日の模擬戦騒ぎに続いて、今朝の兵舎での「痴話ゲンカ」はすでに全ての基地職員に拡散されて、ソニアも有名人になっている。トルノが来たら教えて欲しいという彼女の頼みを、目つきの鋭い厨房係は快く引き受けた。
「しつこいな、あんたは」
ソニアの「追い詰めた」という顔を見て、心底げんなりする。
「ジャグに会わせて下さい!」
甲高い声を無視して、目の前にはある特大ハンバーガーを攻略する。
体重その他のコンディションはまだ戻りきっておらず、これを食べ終わらない事には逃げ出す事もできない。
「ジャグと話をさせて下さい!」
「ちょっと待て」
恋人を
「あんたがジャグにご執心なのはよく分かる。仕事熱心も良いけどな」
肌見放さず
「子離れのできない母親じゃあるまいし、いっつもオフクロ同伴じゃあジャグはダチも作れねえ」
「…………」
ソニアが黙りこくると、トルノの食事の手が止まった。その瞳に涙が溜まるのを見て、しまったと思う。
責める気は無かった。言葉がキツくならないよう、らしくもない優しさを発揮して、オブラートに包んだつもりだった。
しかしそれでも、
「……ごめんなさい」
傷ついたような、そしてその事を責めるような眼差しが、眼鏡の奥からトルノを見た。
反発したい気持ちはある。言いたい事は山ほどある。自分がいつもの調子でやり返すのを期待しての会話なのは、ちゃんと分かっている。
しかし、謝罪の言葉が口をついた。噛みつく心が急に
飛び級で大学を卒業したソニアは、研究者になった。人工知能開発の
いっぱしの技術者を気取り、周囲の反対を押し切り、意気揚々と前線基地に乗り込んだ。しかし、思い通りにはならなかった。
年長者とのコミュニケーションには自信があったが、ここではまるで子供扱い。これまでの自分が、単にチヤホヤされていただけの世間知らずと思い知った。
この基地に来てから、心が安らぐのはジャグと話をしている時だけだった。それに依存していると言われれば、否定はできない。
「最悪ですよ」
ソニアは、トルノの事が嫌いだ。
大きな声と乱暴な口調が怖い。自分にそれが向かわないと分かっていても、思わず身が
しかし、そのトルノがジャグの学習効率を上げた。実力を認めさせて孤立を解消し、ストレスを取り除いた。
「よりによって、ですよ」
身勝手で横柄で
ソニアは、それがムカつく。
「俺にも傷つく心があるんだぞ」
「その言葉、そっくりそのままお返しします」
ボクの事を子供扱いしたくせに。
鼻を
「しかし、それが泣くほどの事かよ」
「……そういう所ですよ」
著しいデリカシーの欠如。言わなくても良いことを、わざわざ言う。
人見知りを指摘されて悔しかった。図星を突かれて
落ち込まされて、恨めしいのは事実だ。しかし、とソニアは思った。
痛いところを突いて来るのは、それだけ自分を見ているからではないか。
仕事さえ
至らぬ自分を見兼ねての辛口アドバイスと考えれば、へこたれている自分に対しての
そう思えばこそ、言葉に詰まり、涙が出た。
いま目の前で、大口を開けてハンバーガーを
再び潤む瞳を、
◆ ◆ ◆
しかしトルノは、単に思った事を黙っていられないだけの男だった。
「そんなに淋しけりゃ、今朝の格好で基地内を練り歩けばいい。そうすりゃ「お友達」が山ほど釣れて、一躍人気者になれるだろうよ」
咀嚼したバーガーをコーラで流し込んで、フンと鼻で笑った。
ソニアは朝の兵舎を思い出す。
顔が赤くなるのに反比例して、胸に生まれたトキメキは瞬時に鎮火した。潤んでいた瞳には、職業病のドライアイが戻ってきた。
トルノの愛情が歪んでいたのではない。歪んでいたのはこちらの方だったと気がついた。
「やっぱりサイテーですね! そんな事はどうでもいいので、早くジャグを返して下さい!」
「そうはいかんね。未だアイツは
迷惑顔のトルノが、食事を済ませて席を立つ。食器をカウンターに戻す動作も素早く、一刻も早い食堂からの離脱をはかる。
ソニアがそれに追いすがる。
逃がしてなるものかと
キャンキャンと吠える声は遠ざかる。今回の
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