第16話 休暇

 牧草地に点々と散らばる羊の群れが、呑気に草をんでいる。

 日中の陽射しもどことなく和らぎ、草地を渡る風には、わずかの砂塵とオイルの匂いが混じっている。


 ざわめきの向こうから、ジェットタービンの金切り音した。轟々と吹かされるエンジンの音に続いて、やじりのように尖ったシルエットが舞い上がる。

 羊飼いの少年が杖を振ると、その真上を影が横切った。



◆ ◆ ◆



 久し振りの惰眠をむさぼる。忙しさにかまけて、サボっていた部屋の掃除をする。貯めていた洗濯を片付ける。録画していた再放送の連続ドラマを一気に観る。

 SNSを覗けば、家族や友人が自分を気遣う言葉の数々が、放ったらかしになっている。


 草原の只中の基地では、街に繰り出しての気晴らしは望めない。しかしそれでも、任務からの開放感は味わえた。

 各々に休暇を過ごすのは、トルノ機の整備に忙殺されていたメカニック達だった。


 無事に戻っても、撃墜した敵機の破片を浴びるなどの損傷はある。無傷で戻っても、チェックすべき項目は山ほどある。

 超音速戦闘機は繊細な兵器だ。大雑把な仕事をすれば、そのせいでパイロットが死ぬ。


 割り当てられた4機の機体をやり繰りしても、ローテーションは崩壊し、格納庫の中で仮眠を取るハードワークに、彼らは困憊こんぱいしていた。


「バンクロイドが休暇を取らされた!」


 馬鹿げた頻度で飛んでいくエースパイロットを支え続けた彼らは、ようやくにも訪れた休みに歓喜した。その場で床に膝をついて、泣き出した者もいた程だった。


 その一方で、部外者の立ち入りを禁じられた格納庫では、昼夜を問わずの作業が続いている。

 小銃を構えた警備兵に守られた密室の中で行われているのは、大袈裟でなくこの戦争の行方を左右するA.W.A.R.S.計画の最終段階―――ストームチェイサー3号機のアップデートだった。



◆ ◆ ◆



 身体能力が高く、どんなスポーツも人並み以上にこなす。頑健な肉体と心肺能力維持のため、ジムでのウェイトトレーニングと10kmのロードワークは欠かさない。

 しかし、それ以外の時間は自室にもるのが、トルノの余暇の過ごし方だった。


 これという趣味もなく、母親への仕送りをする以外の給料は口座に貯まる一方。しかし、唯一の贅沢である映画と電子書籍のサブスクリプションは、どちらもプレミアムクラスの契約をしている。


 本音を言えば、書籍は紙が望ましい。映像作品もパッケージをズラリと並べたい。

 しかし、いつ空に散るとも限らない身としては、遺品整理の者に手間を掛けるさせるのも、趣味嗜好を他人に知られるのも嫌だった。


「俺とコンビを組むなら、最低限これには目を通せ。そうで無ければが通じない」


 そのトルノが、自室に持ち込んだジャグに課したのは、お気に入り映フェイバリット画のマラソン鑑賞だった。


「お前なら、不眠不休でも平気だろ?」

「これは人にとって、拷問ごうもんや洗脳と呼ばれる物では?」


 ジャグの率直な疑問を、拷問吏ごうもんりは一笑に付した。


「生きていくのに必要な事は、本と映画が教えてくれる」


 ジャグに足りないのは空戦技術でなく、それを行う人間への理解だ。とある状況に置かれた人間が、何を思ってどのように行動するかをシミュレーションするには映画に勝るものはない。

 本能と理性を対極に置くならば、人間は0と1のデジタルではありえない。しかし目の前の人間からそれを学ぶには、様々のバイアスが邪魔ノイズになる。


「その点、作品内のキャラクターはその人物像において完全だ。リアルよりもリアリティーに学べ。どうしたいかを考える前に、どうあるべきかを考えろ」

「これまでの僚機ウィングマンにも、同じような事を?」

「アイクは元々、似たような趣味の奴だったんだ」


 殺風景な男の私室で、それだけは金が掛かったテレビ画面の中に映画会社のロゴ映像が流れると、それまでの能弁が嘘のようにトルノは沈黙した。


 相棒が滔々とうとうと語った信念が、論理的に正しいかどうかの判定はできない。しかしそれを質せば高確率でトルノが怒り出すという演算結果を得たジャグは、黙って映画を見ることにした。



◆ ◆ ◆



 ソニア=アンナ・マーベルは寝起きが悪い。アラームの時間は5時にセットしてあるが、それを停止してから15分後には別のアラームが鳴る。

 電子音の波状攻撃に耐えながら、それでも20分から30分は覚醒しない。やっと上半身を起こすと、サイドテーブルにある携帯端末のスリープを解除した。


「…………は?」


 目をすがめて端末の画面を睨む。我が目を疑って裸眼だったのを思い出し、眼鏡を掛けてもう一度見る。

 仰天した彼女は、文字通りに飛び起きた。ついでにそのまま、部屋も飛び出した。



◆ ◆ ◆



 司令部棟と格納庫の間にある平屋の建物は、この基地に勤務する男性用の兵舎として使用されている。長方形のプレハブの中央を貫く通路の両側には、無個性な鉄の扉が並んでいた。


「ちょっとトルノさん! バンクロイド大尉! ボクのジャグに何をしてるんですか!」


 しんと静まり返る廊下に、けたたましいノックの音が響いた。

 トルノの部屋のドアを激しく叩きながら甲高い声で叫ぶソニアは、タンクトップにショートパンツという部屋着のまま、サンダルをつっかけている。

 ベリーショートの黒髪には、ブラシも入れていなかった。


「何だ。朝っぱらから近所迷惑だろう」


 建物の防音機能はジェットエンジンの騒音の中でも兵の睡眠を保証するが、内部の騒音までは防げない。億劫おっくうそうなトルノがドアを開いた時には、すでに何名かの隣人が安眠妨害の被害を受けていた。


「何だじゃありません! ジャグに何をしてるんですか!」

「何って、仲良く映画鑑賞だ」


 ソニアに対して、トルノの言った事は嘘ではなかった。ただし、全てを伝えてもいなかった。


 黙って作品を観たその後には、ここがいい、これがいいと、トルノのマニアックな講釈が始まる。

 他の作品との比較や分析、極めて個人的な想いも含めて語られるそれは、ともすれば映画そのものの情報量を超えている。

 それを延々と聞かされる事が、一般人には耐え難い苦行であるのは論を待たない。とは言え、それが原因かはともかく、昨夜からのジャグの活動記録は明らかな異常値を記録していた。


 あらゆる状況を想定して備えた大容量の記憶領域ストレージは、初期データにこれまでに学習したデータを加えても、全体の2割程度しか使用していなかった。

 それが昨夜だけで5%の増加を示し、プロセッサーの稼働率も跳ね上がっている。


「映画なんて、何十本ダウンロードしてもそんな容量にはなりません!」

「そいつは素晴らしい」


 観るだけなら誰にでもできる。しかし、問題はそこから何を学ぶかだ。一言一句セリフを丸暗記したところで、その内容を理解し、批判できねば意味はない。

 虚構フィクションを虚構と認識した上で、それを模擬演算シミュレートさせる。

 一を見て十を知る。類推と推測を重ね、一つの事柄から複数の価値観を獲得させる。

 データの増加がそれを裏付けている。自らの目論見もくろみが成功していると知ったトルノは、満足気に頷いた。


「笑い事じゃありませんッ!」


 ソニアの目には、そのニヤけ顔が邪悪に映った。

 やはりこの人にジャグを預けるべきではなかった。大佐の意向がどうであろうと、断固として拒否すべきだった。


 しかしこの期に及んでは、これ以上の狼藉ろうぜきからジャグを救い出すのが先決だった。大切なものを守るため、無知蒙昧むちもうまい野蛮人バーバリアンに対して、若干20歳の女性技術者は敢然と立ち向かった。


「こんのぉ〜!」


 どうにか部屋に押し入ろうとするソニアをはばんで、両手を拡げたトルノがドアの前に立ち塞がる。露わな肌に触れないために、野蛮人はかなりの苦心を強いられた。


 その頃には、私室の前での1 on 1を見物するギャラリーが徐々に増え始めた。

 始めは迷惑そうにしていた彼らは、いまは他人の痴話喧嘩と、ソニアの部屋着姿を楽しむ態勢に移行している。


「とにかく、この件は大佐の許可があっての事だ。文句があるならそちらを通せ」


 巧みなディフェンステクニックを披露しながら、問答無用と斬って捨てるトルノに、壁を突破できないソニアがぐぬぬと唸る。


「それに、いつまでもそんな格好でここにいるのは良くないと思うぜ」


 ふと我に返ると、怒りに紅潮していたソニアの顔が、今度は羞恥しゅうちあかに染まった。

 振り向くと、廊下に並んだドアからは無数のニヤケ顔が覗いているのが見える。


「ひきゃッ!」


 引きったような短い悲鳴とペタペタと鳴るサンダルの音を残して、天才エンジニアはそそくさと逃げ出した。

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