第10話 麗しのハニーブロンド

 ブラインドの隙間から抜ける早朝の光に、蜂蜜色の髪が輝く。

 湯気の上がるマグカップを差し出したミラは、上官が目を落としている資料について意見を添えた。


「バンクロイド中尉とジャグの稼働率が高すぎます」


 言わずもがなの事だが、多大な戦果も長続きしなければ意味がない。健康はもちろん、コンディションに影響が出るほどの連続出撃は、有能なパイロットを損なう可能性が高い。


「使い捨てになさるお積もりですか?」


 マグカップを受け取ったクルカルニは、鋭いミラの視線に気づかぬ振りをして、コーヒーに口をつけた。


「彼は無鉄砲のように見えて、あれでなかなか計算のできる男だよ」


 他人の目からは無理でも無茶でも、彼からすれば無為無策でも無謀でもない。自分が思うを踏み外さずに走っている。


「彼の行動がこちらのと合致している限りは、好きにさせるつもりだ」


 若くして大佐の階級を持つ空軍将校。情報部の出身とも言われるが、その出自は謎に包まれている。

 場当たり的な対応に自信があるのか、深慮遠謀のなせるわざか、その余裕の理由がミラには分からない。


 敬礼を施してオフィスを出る。上官も部下も曲者揃いで、気の休まる暇がない副官は、自慢の金髪に白髪でも混じっていないだろうかと不安に駆られた。そして化粧室の鏡に向かうと、一本の白髪を発見した。



◆ ◆ ◆



 全面ディスプレイとなっている壁の前の演台には、部隊長であるクルカルニとその横にミラが立ち、それに向かい合う形で並んだ椅子にパイロットたちが着席する。

 最前列の右端には、居心地の悪そうなソニアがちょこんと座っている。


 この一ヶ月の間、トルノとジャグによる「無人機狩りドローン・ハント」の出撃回数は75回。それによって撃墜した敵機は、実に188機に上った。


「この戦功により、バンクロイド中尉には国防航空十字章が贈られる。これと同時に、中尉から大尉へ昇進する」


 パラパラと拍手が起こり、すぐに消えた。

 勲章メダルを貰って喜ぶほど、素直な軍人はここにはいない。昇進すれば給料ペイは増えるが、給料袋の重さの対価は切り売りした魂だ。

 だから、それは祝ってやるような事ではない。


 シャークバイト分隊エレメントによる敵のによって、シフト制で敵襲に備えるスクランブル要員の稼働率は激減していた。

 スピアオレンジに招集された当初の過酷さを考えれば―――特に生存に重きを置くガントなどにしてみれば、これは歓迎すべき事だったが、そのようには考えない者もいる。


 過重労働はゴメンだが、出番を奪われるのは面白くない。楽をするのは大歓迎だが、ムダ飯喰らいにはなりたくない。

 結果として、トルノとジャグをそねみ、出しゃばり扱いする空気が、一部のパイロットの中には少なからず存在していた。


「勲章まで貰っちまうとはねぇ」


 冗談交じりに笑ったリナルド・ホーク大尉はその急先鋒だった。

 人工知能であるジャグへの軽視と、その相棒となったトルノを揶揄やゆするのに、隊で随一のベテランは躊躇ちゅうちょも遠慮もない。


「お人形と組んでトンボ共を落としてくれれば、こっちは楽をできる。これからも頼むぜ大尉殿」

「ジャグは人形じゃねえ。取り消せよオッサン」


 鋭い語気。即座にやり返したのは、これを待っていたからに他ならない。リナルドを睨みつけ、獰猛に歯をむき出しながら、トルノはその内心ではほくそ笑んでいた。

 無駄口、軽口の類に鷹揚おうようなクルカルニの見ている前で、自分とジャグをあなどるリナルドに堂々と喧嘩を売る。

 引き下がれない状況を作り出して空戦に持ち込み、ジャグの実力を認めさせるのが目的だった。


 トルノは厭味たっぷりに、演台の上の黒い筒を顎で指した。


「あんたみたいなロートルより、そいつの方がよほど使ぜ」

「吠えるなよ、若造」


 リナルドはその喧嘩を買った。こうなると、売り手と買い手の区別はつかない。

 無人機狩りで少々活躍した所で、所詮は機械相手の空戦ごっこに過ぎない。ここにいる連中は、誰もが対ドローン戦闘のスペシャリストだ。ジャグとやらが相手でも遅れを取る事などあり得ない。


 前線に出る以前は、新人育成の教導隊にいた経験もあるリナルドは、敵の猿真似をして無人機導入するよりも、カルアのような若く有望なパイロットを育成すべきと考えていた。


「なら勝負しろよ、オッサン。理屈や理想は犬に食わせろ。戦場の空では強者が正義。俺の相棒を落とせるかどうか、自分の腕で試してみせろよ」


 トルノとジャグ、リナルドとカルナによる分隊単位の模擬空戦が提案されると、他のパイロットたちも色めき立った。


「いいぜ、俺は構わない」


 リナルドがクルカルニを見ると、放任主義の大佐が頷く。その横ではミラが、数匹の苦虫をまとめて噛み潰したような顔になった。


「ちょっと大尉、勝手に決めないで下さいよぉ」


 カルア・サンティーニ中尉は不満の声を上げたのも、トルノの予想通りだった。


 模擬戦など疲れるだけで一銭の得にもならない。面倒くさい上に、自分には何一つメリットがない。

 ペラペラと軽薄に口を動かし、鬱陶うっとうしい前髪をかき上げるカルアに対しても、トルノは策を用意していた。


「俺とジャグを撃墜したら、そこのミス・マーベルが1日デートに付き合うそうだ」

し、りましょう」


 まだ若く恋愛経験が乏しいカルアは、基地内の女性兵や士官、出入り業者の民間人に至るまでもを、盛んに索敵している。

 どうにか異性とデートを取り付け、あわよくば着陸ランディングと決めようという下心を、この基地内で知らぬ者はいなかった。

 そのターゲットリストの上位にいるソニアを、利用しないはない。


 ちなみに、ソニアの犠牲をいたむ良心もまた、トルノにはない。目的達成のためならば、親でも売るのがこの男の流儀だった。


「エエエー⁉ 何を勝手に‼」


 敵意をむき出しにしたトルノが怖い。大男で顔に傷のあるリナルドの大声が怖い。そもそも険悪な雰囲気や、ケンカ腰での言い争いは、足が震えるほど恐ろしい。

 突如として勃発ぼっぱつした決闘まがいの話を、ソニアは恐々と見守っていた。

 ジャグの時もそうだったが、どうしてトルノはこうも決闘が好きなのか。大盛りカレーをむさぼり食い、最先端の戦闘システムを駆使して戦う新種の野蛮人バーバリアンだ。

 などと、益体やくたいもない事を考えていたところに自分の名前を出されたソニアは、オロオロと狼狽うろたえた。


「あんたの可愛いジャグを信じろ」

「任せて下さい。必ず勝利します」

「…………」


 拒絶や反論の言葉を探す内に、取って付けたような理屈で逃げ道を塞がれた。

 何が「可愛い」だ。彼には最も似合わない言葉だとソニアは思う。そして、ジャグまでもがトルノと結託して、自分を賞品にした賭け試合を後押ししている。何が「必ず」だ。そんなAIに育てた覚えはない。

 ちなみに、前髪男はソニアの好みではなかった。


 しかし、とソニアはさらに考える。

 必ず、という100%を意味する言葉を、AIであるジャグが選択するはずがない。予測の確度がどれだけ高くても、失敗の可能性を排除する事など決してあり得ない。

 という事は、これは単なる「セリフ」に過ぎないのか。可能性とは別のところで、自分を安心させる。他人をコントロールするためのセリフを選択したのだろうか。


 これは成長なのか、それともバグか……。


 を忘れたソニアは、自らの思考に沈んでしまった。

 ほうけて反応がない事を了解と受け取ったトルノは、横槍が入る前にさっさと話をまとめてにかかった。


「善は急げだ。吠え面かかせてやるせ」

「教えてやるよ。年長者への敬意ってやつをな」

「ソニアちゃん。待っててね」

「…………」


 放心したようなソニアの前を、パイロットたちがぞろぞろと通り過ぎる。

 決闘には関係のないマーフィーとチェイニーは、この大イベントを告知するべく走り出す。ネリアは携帯端末を取り出し、ガントは我関せずと欠伸あくびをした。


 世にもたのしそうなクルカルニの横顔を見て、ミラは再び白髪の心配をした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る