第2話 ミラ・アミッシュ少佐

 相棒の葬式に参列したトルノが、空の棺桶に土を掛けたのは、戦闘から2週間後の事だった。

 出席したのはこなし仕事の儀仗ぎじょう兵と神祗しんぎ官、疲れ切った表情の両親。そして堪えきれずに嗚咽を漏らした若い女性は、アイクの恋人だった。


 交際相手の惚気のろけ話も、それを揶揄やゆするのもパイロットには縁起が悪い。

 照れ屋だったアイクは、迷信とは無関係にあまり彼女の話をしなかったが、コクピットに写真だけは貼っていた。


 写真では笑顔だった彼女の瞳が、今は濡れている。

 目を合わせることもできず、一緒に飛んだ相棒と名乗ることもできず、会釈だけしたトルノは、逃げるように墓地を去った。


「まったく情けねえ」


 航空戦技アカデミーの首席卒業者。この戦争が始まる前の1年と、開戦後の2年を通してのエースパイロットが聞いて呆れる。

 アクセルを強く踏み込むと、八つ当たりに抗議するように、車が吠えた。



◆ ◆ ◆



「転属……ですか?」


 葬儀の翌日。呼び出しを受けたトルノは、基地司令のオフィスで怪訝な表情を抑えようともせず、頭に「は?」と付いても違和感のない口調だった。

 普段から愛想の良くないトルノはいま、輪を掛けて機嫌が悪く、初老の上官の言葉を鸚鵡おうむ返しにする声も棘々しい。


 上官を上官とも思わない態度は不快だが、怒鳴られてかしこまる男ではない。それを承知している基地司令の大佐は、デスクの前に直立不動の中尉を見上げ、必要最低限の要件だけをまくし立てた。


「この度、奪われたままで膠着こうちゃくした航空優勢を奪還するべく、空軍に特殊任務部隊が新設される」


 各航空隊の戦績上位者による少数精鋭。方面軍の指揮下には入らず、指揮系統は参謀本部の直轄ながら、事実上のフリーハンドを与えられたエリート部隊。

 話は以上と言わんばかりに司令が放ったファイルの表紙には「アッセンブル・スピアオレンジ」の文字と「極秘トップシークレット」のスタンプがあった。


「午後31500には迎えが来るそうだ。すぐに荷造りをしておきたまえ」


 仏頂面のトルノが無言でそれを拾い上げると、眼鏡を直した司令は、デスクの書類に視線を落とす。


 優秀な撃墜数スコアのため、またそれが戦時であるがゆえに無礼を見逃してきた。ようやく厄介払いができると清々した初老の大佐は、最後に一矢報いてやろうと顔をあげた。


「次の上官は私のように甘くはないぞ、若造」


 敬礼もなく去ろうとしていた背中に厭味いやみを浴びて、トルノの足が止まる。ドアノブに掛けた手をそのままで顔だけで振り返り、上官の期待を裏切らない表情で嘲笑わらった。


「甘いっていうか、ただの腰抜けですよね、大佐は?」


 これまでの鬱憤うっぷんを別れ際に晴らしてやろうという、その発想自体が小物なのだ。

 衝突の不利益ばかりを言い訳にしてのらりくらりとやっているから、俺みたいな若造に舐められる。

 鼻を鳴らしたトルノがオフィスを出ると、防音ドアの向こうから、微かに何かの音がした。



◆ ◆ ◆



 小型のレシプロ連絡機は定刻通りに到着した。

 オリーブグリーンのずんぐりした機体。垂直尾翼にある女の横顔と槍のマーキングが、この国のお伽噺にある“スピアのオレンジ”だった。


 滑り込むような着陸と、誘導路から駐機場へのスムーズな移動は、最近では滅多に見掛けなくなったベテランパイロットの手並みで、それを見たトルノは「へぇ」と感心する。


 空戦ドローンとの戦闘で良いようにやられた空軍はパイロット不足で、これだけの腕前を持つ者は希少だ。

 待ち構えていた地上クルーが車輪止めをはめて給油を開始すると、機体の横腹にあるハッチを開いて降りてきたのは女だった。


 タラップを軽い足取りで降りつつ、ヘルメットを外すと、オイル臭の混じる風に蜂蜜色の髪がなびく。色の濃いサングラスの下から現れたのは、成層圏を映したようなブルーの瞳だった。


「アッセンブル・スピアオレンジのミラ・アミッシュ少佐です」


 呆気に取られるトルノの正面に立ち、地上クルーの視線も集めたままで、一部の隙もない敬礼をする。

 じっと見つめる青い瞳に非難の色を察したトルノは、慌てておざなりな敬礼を返した。


「さっきの着陸、中々やるじゃないか」


 トルノからすれば美人で腕の良いパイロットに対する賛辞だ。

 仲良くやろうという気持ちで発した言葉だったが、彼の笑顔をニヤけと受け取ったミラは、眉間に皺を寄せた。


「まずは申告をなさい。上官に対する口の効き方がなっていない」

「関係ねえよ。歳もたいして違わねえのに、ちょっと階級が上だからってお高くとまるな」


 不躾な好意をね付けられて、面白くないトルノが食って掛かる。

 それを遠巻きに見る地上班ギャラリーはいつもの事と呆れたが、金髪碧眼の少佐は眉を吊り上げた。


「命令違反軽視の上に僚機を失った貴方あなたがおとがめ無しなのは、我が隊から声が掛かったからよ」

「そりゃあそっちの都合だろう。味方がポコポコ落とされるから、特殊部隊とやらに俺の技量うでが欲しいんだろうが」


 軽口を正論に叩き落されて面白くない。そこにアイクの件まで持ち出されて、トルノの眼つきが険を帯びる。

 叱責に対しての反抗どころか、規律をあざけるような態度に、ミラの声が硬さを増す。


「ハッ! そんな豆鉄砲が怖くて戦闘機乗りファイターパイロットが務まるかよ」


 腰の拳銃を抜くミラの動作は、ポケットのハンカチを取り出すようにスムーズだった。撃鉄ハンマーは既に起きていて、照準と同時に安全装置セーフティーを解除している。


「跳ねっ返りのパイロットひとりしつけられなくて、空軍将校は務まらない」


 誘導路から滑走路へ入った戦闘機が、離陸へ向けてエンジンのパワーを上げる。高まるタービンの金切り音が耳を圧する。

 ピタリと眉間を狙う自動拳銃オートマティックの黒光りと、その向うにある青い瞳を見れば、これが脅しでないのがトルノには分かる。

 男社会の軍隊で、女とあなどられれば後はない。軍人としての正当な評価を放棄して、お飾りの将校となることを良しとしない。

 目の前にいるのが、そういう種類の相手だと気が付いたトルノは、彼女が引き金トリガーを引くのを躊躇ためらわないと理解した。


 そして何より、ここで意地を張るのは間違いだ。部下におもねる上官を腰抜け呼ばわりする自分が、階級通りの対応を求める相手に楯突くのは理屈に合わない。いわゆる二重規範ダブルスタンダードというやつだ。


 戦闘機が離陸した滑走路に静寂が戻った。

 5メートルの距離で睨み合うふたりを取り囲む、整備員の誰かが喉を動かした。


「トルノ・バンクロイド中尉、貴隊へ着任いたします。失礼はどうかお忘れ下さい」

「了解よ中尉。この件は水に流しましょう」


 ふっと息を抜いたトルノが踵を合わせ、非の打ち所のない敬礼を施した。

 ミラの方でも、トルノが銃口にひるんで態度を変えたとは思っていない。自分の技量うでに自信を持つパイロットとして、敬意を向ける相手を選ぶ男と理解した。階級社会の軍においては厄介者だが、力関係に折り合いが付けば、優秀なパイロットになるだろう。

 とは言え、ホッとしたというのが本音なのは間違いない。


「燃料の補給が済んだらすぐに離陸よ。操縦は任せても?」

「もちろんです。マム」


 微笑むミラの目元のホクロに気がついて、トルノは肩を竦めた。


「おっかないひとですね。少佐は」


 足元のズタ袋を担いで機に向かう、トルノの肩をミラが叩いた。


「貴方は面倒くさいひとね。中尉」


 エンジンが軽快な音を立ててプロペラを回す。午後の太陽にキャノピーを光らせて、連絡機は飛び立った。

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