ASSEMBLE SIERRA OSCAR / アッセンブル・シエラオスカー

マコンデ中佐

第1話 トルノ・バンクロイド中尉

 Y.Tに贈る。




 かすれるような薄雲に、ふたつの機影が走っている。


 鋭角的なフォルムの三角デルタ翼機は、アストック空軍の制式戦闘機MRF-17C“バラクーダMark-Ⅲ”のものだ。


 第108飛行隊所属のトルノ・バンクロイド中尉は、進出してきた敵のドローン編隊の撃墜任務を終えて、僚機と共に帰投中だった。

 砲火が閃き、引っ切り無しに爆発が起きるのが雲下に見える。友軍地上部隊の戦車が燃え上がっている。


《こちら537戦闘団。敵の長距離砲に狙い撃ちされて前進不能。後退の許可を乞う》

司令部HQより537。後退は許可できない。繰り返す。後退は許可できない》

《損害が増している。このまま前進すれば全滅の恐れがある》


 眼下の部隊が発する通信をヘルメットに聴いて、トルノは溜め息を吐いた。ひと仕事を終えて機体の残弾は150発程度、ミサイルはない。


《ヘイ、アイク。そっちの残弾は?》

《約200、ミサイル無し。やるんですか先輩?》


 僚機のパイロット、アイク・ディーガン少尉の返信は、スピーカー越しにも呆れた風に聴こえる。


 航空戦技アカデミーの後輩である彼を、トルノが無茶に付き合わせるのはいつもの事。危険を感じればキッパリと反対する後輩がそうしないのは、何だかんだでノリ気な証拠だ。そう判断した。


 風防キャノピー越しに手信号を送り、機体をひねったトルノが逆落さかおとしにダイブすると、2番機もそれに続く。


《フェンドラルよりHQ。これより537を援護する》

《こちらHQ。勝手なことをするな。速やかに帰投せよ》

《測的ドローントンボを追い払うだけだ。心配すんな》

《こちら537。フェンドラル、恩に着る!》


 雲を突き抜けると、そこは地獄だ。遮蔽物のない平原を進む戦車と装甲車両、それに随伴ずいはんする歩兵たちが砲火に逃げ惑っている。


 炎上する車両が吹き上げる炎と黒煙を縫って飛ぶのが敵のドローンだ。ライトグレーの機体は鉛筆のように細く、そこから水平に伸びる翼がトンボのように見える。


 その人工知能が指定したポイントに砲弾が落ちる。誰から死ぬのか、その順番は機械の気分次第。


《まったく冗談じゃねえ。そうだろアイク》

《先輩、ますよ》


 高度を利用して速度を上げたアイク機が突っ込むと、それを察知した敵機が回避に移った。


 エンジンを吹かしてパワーを上げる。生身では耐えられない荷重を機体に掛けて旋回する。それが連中ドローン十八番おはこだ。


 その急機動に人の操る機体は追随できず、背後を取られて多くの仲間が撃墜―――殺された。


 アイクの突進をやり過ごして背後に回り込もうとする敵の、さらに背後をトルノが取る。急機動中の相手はそれ以上の回避機動を取れない。


 照準に捉える。トリガーを絞る。150発の機関砲弾が吐き出されるのに、一瞬の時も掛からない。


 蜂の巣になったドローンは爆発もなく四散した。

 バラバラと舞い落ちる破片がぼやけた日光を反射するのを見ながら、トルノは操縦桿スティックを引いて機首を上げた。


 これでのひと仕事も終わり、今日は旨いコーヒーが飲める。


 トルノが気を抜いた、ほんの一瞬。


《後方警戒!》


 切迫した声にアイクの声にロックオン警報のけたたましい音が被る。

 赤外線追尾を撹乱かくらんするフレアをバラ撒きながら左へ急旋回したのは、咄嗟の判断というよりは反射に近かった。


 機体の右を掠めるように飛び去るミサイルを見て、しかし冷や汗をかく暇もない。背後を取った敵はピタリと貼り付いていて離れず、ジグザグに飛んでも振り切れない。ドローンではない。有人戦闘機だ。


「こいつ、かなりの腕っこきだ」


 戦場の空をドローンが支配するようになってしばらくが経ち、生身の人間と戦うは久々だが、こちらが丸腰なのが悔やまれる。


 どうにか振り切って逃げ延びるか、敵のケツを取り返してビビらせるか。生き残るにはどちらかしか無い。


 しかし敵機は隙を見せずに接近してくる。こちらを狙う機関砲の銃口が見える。敵がトリガーの指に力を込めればとされる。


《一番機、右旋回!》


 声に反応したトルノが操縦桿を倒すと、アイクの2番機と正面からすれ違う。一瞬の交差の中で互いの視線が絡んだ。そんな気がした。


《貸しですよ。これは》


 真正面ヘッドオンからの一騎打ち。しかし敵の発砲がわずかに早かった。

 キャノピーが真っ白にひび割れ、主翼とボディに弾痕だんこんが走る。そして、爆散。


 脱出ベイルアウトなどする余地などない。ジェット燃料のやけに赤くまばゆい炎が薄雲を照らし、直ぐに黒煙に覆われた。


「くそったれ!」


 反転して反撃。体当たりをしてでも後輩の仇を討つ。その衝動を抑え込んで、トルノはスロットルを全開にして逃げた。

 飛散る相棒の機体をミラーに見ながら、真っ直ぐに加速した。


 犬死にはできない。後輩アイクの犠牲を無駄にはできない。頭を過った言い訳を即座に振り払う。


「くそったれ!」


 理屈が許しても、感情が自分を許さなかった。最大加速で戦域を離れるトルノ機を、敵は追わなかった。翼の付け根から煙を吹いているのは、2番機が放った最期の置き土産だ。


《…………ッ》


 通信の向こうでわらう気配がした。こいつが敵だという直感に、操縦桿を倒したい衝動がまた湧き上がる。


《テメエ……誰だ》


 消火剤の霧が翼を舐めて、煙の収まった敵は機首をひるがえした。尾翼に描かれた黒いワニを見せびらかすように、大きく旋回して戦域を離れていく。


 黒く塗られた双発の大型機は、デラムロ王国の制空戦闘機“ナバレス”だ。


 司令部が派遣した迎撃機の編隊がと飛んでくるのを見て、タイミングの悪さにトルノは歯軋はぎしりをする。


「くそったれ……」


 薄暗くなり始めた戦場の空を、基地へ向かって飛ぶ。


 飛行機雲コントレイルの直線はパイロットの感情とは無関係に美しく、煤とオイルに塗れた地表の兵は、羨むようにそれを見上げた。


 この復讐を果たすまで、旨いコーヒーは飲めそうも無かった。

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