2023 02 03

 私の父親の中学(旧制)の同級生にSさんがいました(既に故人)。外科のお医者さんで、病院の院長でした。面白い人で、大酒飲みで、スケベでした。診察室には二人の美人看護婦(それも相当な美人)がおりまして、いつも看護婦のお尻に触ってました。昼間から診察室で酒飲んでまして、酒臭さかったです。

 外科の腕は大したものだったようです。調理師の免許もあって、特にフグの調理はフグの名人級で審査委員長をやっていたことも。時々、「トラフグのええのが入ったんで食いに来い」なんて電話があって、食べに行ったこともあります。

 

 ある日、病院の前に広告があり「美人看護婦二名、急募求む。なるべく30歳以下」なんて貼っていたことを覚えてます。今だったら、えらいことになってます。それから、しばらくして、二名の看護婦が入りました。若い方は岩下志麻似で、もう一人は35歳頃で栗原小巻にそっくりでした。S先生は、「30歳以下とか書いたんやけど、離婚して、子供も二人いて、大変やろ」と言ってましたけど、私には「先生違うやろ、栗原小巻やろ」と思いましたが、何も言いませんでした。

 半世紀前は、無茶苦茶な先生もいたのです。


 前置きはこの辺にして、本編にします。

 S先生には「わしは小学校を卒業したら大阪の丁稚奉公に出されるとこやったんや」と言ってました。今治の大島で、いわゆる半農半漁(昔は時々海賊)の家で中学なんかは行けなかったんですが、父親が、ある日、300円の札束を持って来て、今中(現在の今治西高)に行けるぞといった訳なんです。昭和の初めですから、300円は今ではだいたい500万円です。村上海賊のお宝を見つけて中国の壺を京都の骨董商に売って来たと言う。高等学校(旧制高校)に入学しても札束を持って来る。大学に入学しても札束を持って来たのだとか。医学部に卒業して勤務医になったのだが、給与はほとんど使って懐には金は無い。10年したら開業するつもりだったが、お宝にすがっていたら何とかなると、親父に言うと、「病院なんか二軒や三軒できるわい」と言うので大船に乗ったつもりでいたら、親父がポックリで死んでしもたんやと言ってました。地図とかヒントとかも何もないという事で、病院の借金で10年ほどは貧乏したらしい。

 S先生が、村上海賊のお宝を探しに行かへんかと私に声を掛けてきたんです。25年前の頃ですから、私も40歳で若かったのでやる気になってました。しかし、その後は音沙汰ありません。S先生は卒中で、お宝探しどころではなかったのです。5年ほどしてあの世に旅立たれました。S先生はどこかの島の何か所に怪しい所があると言ってました。他は忘れたのですが、先週書いた「大突間島」は怪しい処の一つです。

 大突間島(おおつくましま)は、周囲1キロの無人島で、戦国時代に小さな砦のようなのがあったのですが、それが廃墟になって440年間、誰も来ていない。怪しい島です。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る