第3話 前に進め私の痛みよ、愛した光よ

「初めまして、“ヤーコプ”です」


マイクを持った彼女は、とても綺麗だった。


いち早くギターをアンプに接続した兎馬さんは、流れるようにマイクを手に取った。


「私たちは、結成してまだ2ヶ月の新参者です」


その言葉を聞きながら、私はキーボードをコンセントに繋いでいく。


「……私、この大会が初めての演奏なんです」


辿々しい言葉が、マイクから広がっていく。


私はシールドを本体に刺した。


「他のメンバーよりも、すごく自分が下手なことは分かっています。

まだまだ自分じゃ、足りないんです」


今度は、ペダルを。


「だけど……想いだけは、みんなと一緒でいたいから。

この演奏に、全てを尽くしたいと思います」


私はキーボードの前に立つ。


「私と……圭ちゃんと、伊音ちゃんと、しのちゃんを繋いでくれた、この曲で」


そして、深呼吸。


大丈夫だよ、兎馬さん、圭、伊音さん。


私は___もう“ヤーコプのキーボード”だから。


兎馬さんが、ピックを構えた。


「聞いてください、 Bremenブレーメン!」


直後に始まるギターソロ。


そこに完璧なタイミングでキックが入る。


入りは完璧。


____上手いな、兎馬さん。


正直に、私は思った。


前回の練習よりも、もっとずっと上手になっている。


拙さなんて、そこにはなかった。


彼女が不安になる心配なんてなかったんだ。


私は手を鍵盤の上に載せる。


任せて、兎馬さん。


あとは私がから。


___Bremenのイントロの主旋律は、ピアノだ。


合図は、シンバルが叫んだ瞬間。


その瞬間、私は鍵盤に指を押し込んだ。


練習してきた。

何度も何度も。


ずっと弾きたかったんだ。


こんな風に!


何度もなぞった旋律は、ステージ上で奏でるとまた違うように聞こえた。


……それが、良いんだ。


思い出した。


合唱祭のステージで、私はこんな風に弾いたんだった。


音が生きているだなんて感じられるのは、ステージの上だけだ。


しかも、今日は。


今日は、私一人じゃない。


兎馬さんのギターが、圭のドラムが、伊音さんのベースがある。


私だけじゃない演奏だ!


あっという間に私の旋律は終着にたどり着いて、代わりに兎馬さんのボーカルが入った。


「嫌いになった貴方の

優しさにまた縋って泣いてをループして

痛い 痛いなら飛んでいけ

貴方は一人で生きていける」


低音を掬い上げるベースライン。


激しく上下した旋律を、その重低音が落とし込む。


「嫌った私の

苦しさをまた知らんぷりで見ないのね」


そこで入ってきたのは、カッティングギター。


メロディーと異なるリズムを、兎馬さんがその手で奏でていった。


「期待 期待なら置いてきて

諦めんのは得意だから」


私はもう一度鍵盤に指を触れた。


次の部分からは、私も参加するパートだ。


「私の最善はいつも

貴方の当たり前に満たないな」


ジャジーな旋律。

歪んだリズム。


このメロディーにおいて、私のキーボードは不協だ。


調和を乱す音程。


「私の愛故に胸が痛むから」


……でも、それが必要なんだ。


歌詞に合わせて落ちたテンションを、私のリズムで高尚に引き上げる。


「きっと貴方のせいなのね」


高速のドラムと共に、一気にスポットライトが明滅した。


さぁ聞け、これが私たちの音楽だ!


「悔やんで生きるが良いわ

貴方らしい さぁ真新しい世界で」


踊るベース、吼えるドラム、歌うギター、鳴いたキーボード。


全てが、一つになった瞬間だった。


「思い出してくれないか 私のことを

なんて」


観客達よ、一生忘れられない日にしてやろう。


何度も何度も思い出すよな、そんな日に。


「マイナスが尽きない才

喰らいがい無い位が良いわ 手を取って

前に進めよ僕の光よ」


あとは、私がアウトロを締めるだけだ。


大丈夫、何度もやってきたのだから。


なぞる旋律は、迷いようがない。


___そのはずだった。


そのはずだったのに。


その瞬間、ほんの少しだけ___本当に僅かに、指がずれた。


駄目___


そう思った時には、私は隣の鍵盤を押してしまっていた。


演奏に混ざった、一瞬の不協和音。


……ダメだ。


今のは、駄目な音だった。


明らかに音。


完璧だったはずの演奏を___一瞬にしてぶち壊した、音。


兎馬さんと目が合ったんだ。


間違えた音を出した直後。


彼女の目は見開かれていた。


気が付かないわけがない、私が間違えたことに。


彼女の夢を壊してしまった、そのことに。


……取り返しがつかないことを、してしまった。


そんな言葉が脳裏にまとまった時には、すでに私は舞台裏で立ちすくんでいた。


どうやって曲が終わったかも、どうやってステージから降りたのかも、覚えていない。


兎馬さんに謝らなくちゃ___ただ、そう思った。


私が、失敗した。


私のせいだ。

私のせいで……彼女の頑張りは、無に帰したんだ。


目の前でギターのコードを巻く兎馬さんに、手を伸ばす。


「兎馬さ___」


「しのちゃん、


彼女は……笑った。


「ぇ……」


差し出した手を、彼女はぎゅっと握る。


「ありがとう、しのちゃん!

凄く……凄く良かった!」


何が?

どこが?

なんで?


彼女は目の前にいるというのに、遥か遠くに感じた。


私は失敗したんだ。


貴方の夢を壊したんだ。


そんな笑顔をしないで。

そんなに優しい言葉をかけないで。


罵って、罵倒して、怒って。


フォローなんて、いらない。


「ごめん、私、先帰る」


口をついて出たのは、そんな言葉だった。


「ちょっと体調悪いから、ごめん」


そんなことを謝りたいんじゃなかった。


ただ、もう耐えられなかった。


彼女がこれ以上私に優しさをくれるのも、結果発表で落胆する彼女を見るのも。


凄く、嫌だった。


「え、ちょっと待っ___」


半ば振り解くように、私は彼女から離れた。


「しのちゃん…?」


荷物を早く纏めてしまおう。


聞きたくない、見たくもない。


___もう二度と、バンドなんてやれはしない。


夢を壊した私に、そんな権利なんてないのだから。




だから、思った。


「バンドを辞めよう」と。

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