第2話 食らいがい無い位がいい、さぁBremen
才能のある器用な人は、どこにでもいるもので。
兎馬美海とかいう人間は、やっぱりその部類の人だった。
「みみ、最近ギター始めたって嘘っしょ」
ベースの
それは正しく、私たちが初めて音を合わせた直後のことだった。
「え?」
兎馬さんが、目を瞬く。
だが、私はうんうんと首を縦に振って見せた。
彼女曰く、ギターを始めたのはヴィルヘルムにハマってから。
つまり最近。
だけど、彼女のギターの音は、既に洗練されていた。
特段上手いわけじゃないし、誰もが息を呑むほど天才的なわけでもない。
だが、なんというか……無駄がない。
拙いところはあるけれど、一音一音が丁寧に弾かれている。
ギターについては素人の私にだって、そう分かった。
おまけに、彼女はギターを弾きながら歌も歌わなくてはいけないのだ。
右手と左手と、そして口。
全てでバラバラに音を奏でていくなんて____きっと、私には到底できない。
私に出来る精一杯は、この10の指で鍵盤を叩くこと。
「ほんと上手いよ、美海ちゃん!」
ドラムの
「えへへぇ、ありがとう」
兎馬さんは、自分のギターの弦をいじりながら言う。
横目で見ると、彼女の耳がほんの少しだけ桃色に染まっていた。
……嬉しそうだな。
クラスの中心でニコニコしてるのとは、また違う表情。
あんな明るく低俗な笑顔なんかじゃなくて、もっともっと、自然な笑顔。
少しだけ左右非対称に上がる口角は、彼女の喜びを何よりも表していた。
「すごいね、本当に」
そんな表情まで、出来るなんて。
私なんかとは、決して違う生き物なんだろう。
「しのちゃんの方が凄いよ〜」
そう言った彼女の言葉すら、嫌味に聞こえてしまう私なんかとは……ね。
* * *
光陰矢の如しとは、誰が言った言葉だろうか。
授業中、ふとそんな事を思った。
少し歪んだ字で綴られる、黒板の古文。
子守唄にでも録音したくなるような教師の声を聞き流しながら、そんな事を考えていた。
古い中国の人だろうか。
故事とかよく聞くし。
そうしたら、随分と上手いことを言ったものだ。
戻れもしなくて、あっという間に去ってしまう。
__大会は、今週末だ。
あぁ、光陰矢の如し。
今のところ、出来はまあまあと言ったところだ。
私に出来ることは、全部やってる。
何度も何度も練習してきた。
飽きるほどに楽譜を読んできた。
今だってほら、指が机を弾いている。
それでも、何か足りない気がするんだ。
私たちのバンドには、何かが。
……何が?
ループする旋律だというのに、まるで一期一会のように表情が変わるベース。
このバンドを組んで初めて会った人だけれど、凄くサバサバしていて、私でも話しやすかった。
それでも、彼女が弾いている時の表情は、まるで喰らいつくかのように情熱的だ。
高速でタムを叩き上げるドラム。
楽器数の少ないバンドにとって、盛り上がりは
体育でペアを組む時、3回に一度くらいは圭と組んでる気がする。
……だけど、ヴィルヘルムにハマってドラムを始めただなんて、知らなかったなぁ。
そしてとにかく______とにかく、楽しそうなギターボーカル。
練習するたびに、兎馬さんのギターは腕を上げていた。
彼女の指に増える絆創膏と比例して、激しさを増していくギター。
それは、圧倒的な存在だった。
全ての音楽を、彼女に向けたいと思ってしまう。
スポットライトが、彼女にだけ向いているかのような。
……じゃあ、私は?
私は、何?
こんなに上手なのに。
こんなに頑張っているのに。
こんなに弾いているのに。
こんなに、
……それでも、私は何もないのだろう。
バンドのメンバーも、音も、キーボードも。
大好きになってしまったのに。
「……じゃあ次の文章を、犬飼」
先生に名前を呼ばれた私は、ワンテンポ遅れて椅子から腰を上げた。
「……」
どこまで読んでたっけ。
ゆっくり立ち上がりながら、思い出す時間を稼ぐ。
ええっと、確か2行目の最後は読んだ気がするから______
その時、ふと兎馬さんと目が合った。
彼女は手をこっそりと私に見せてくる。
親指だけを曲げた、手。
……4?
「犬飼?」
「あ、えっと」
不機嫌そうな教師の声に、私は慌てて教科書の文をなぞった。
「……之れを知る者は之れを好む者に如かず」
論語の一節。
読むところは合っていたようで、ふんっと鼻息をつきながら、教師は文の説明に入った。
ある物ををよく知っている者は、それを好きな者には敵わないという意味で______
私にとってあまりに皮肉めいた、一文だった。
* * *
そして言葉通りあっという間に、本番はやってきた。
「どうしよう、緊張してきたよぉ……っ」
人がごった返した舞台裏で叫んだのは圭。
「それみんなそうだから!」
バンっと彼女の背中を叩いた伊音さんは、すでにベースを肩にかけていた。
……今のバンドの、次か。
狭い舞台裏にも聞こえてくる、ロックチューン。
上手いな、このバンド。
この後にやるのか、私たち。
そう考えただけでも、少し憂鬱だった。
……だが。
「大丈夫だよ、やってきたんだから!」
兎馬さんが大声を上げた。
花のような笑顔。
普段の彼女より、ワントーン高い声。
「頑張ってきたもん、私たち」
そう言って笑う彼女の手は___震えていた。
「……」
それでも、彼女は笑っていた。
……あぁ、そういうことなんだ。
怖かったんだね、兎馬さんも。
そうだ。
初めてのギター、初めてのボーカル。
自分の憧れを叶える為に、私たちを巻き込んだ。
だからこそ、引き返すことができないんだろう。
もしかしたら、もう彼女の中ではバンドの情熱は終わっていたのかもしれない。
それでも、私たちはバンドだから。
一つのチームだから。
だから、兎馬さんは___兎馬美海は、笑ってきたのか。
彼女の指を埋め尽くす、絆創膏。
それが、彼女の全てを表していた。
鳴り響いた拍手が、前のバンドの演奏が終わったことを告げる。
次は___私たちだ。
私たちの演奏だ。
演奏の終わった少年達が、私たちの横を帰っていく。
……ここからは、私たちのステージだ。
私は、そっと兎馬さんの手を掴んだ。
「行こう、美海」
彼女はちょっと固まった後………強く、手を握り返した。
「うん!」
『次のバンドは___ヤーコプです』
アナウンスが、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます