第32話 フライング・スタッフ
「ほこら」に続く絶壁は手足をかける鎖がある以外、なんの安全策も講じていないただの崖だった。
私は自分の上をすいすいと登ってゆくキャンディにハラハラしながら、下見ちゃだめ、下見ちゃだめと自分に言い聞かせた。
――とにかく登ってしまえばなんとかなる、何も考えるな、私!
無我夢中で手足を動かし続けていた私はしばらくすると、指先に痺れと痛みを感じ始めた。
――だめだ、小休止しよう。
鎖と一緒に崖の中腹でゆれていた私を異変が襲ったのは、そろそろ崖登りを再開しようかとため息をついた時だった。
岩肌にへばりついていた私が背後の風のような物を感じた瞬間、背中と手の甲を鋭い痛みが襲ったのだ。
「痛っ……なに?」
首を捻じ曲げて後ろを見た私は驚きと恐怖のあまり、鎖にしがみついたままその場に固まった。
「ぎぎ……ぎ」
私のすぐ後ろで羽ばたきながら不気味な鳴き声を上げていたのは、鳥の身体に人間の頭を乗せたような異様な生物だった。
――また「キメラ」なの?
私は人面鳥の攻撃を身体をよじってかわそうとした。が、敵は私のそんな防御を嘲笑うかのように無防備な脚や脇腹を容赦なく攻撃した。
「やめて……落ちちゃう!」
「お姉さん、鎖を離しちゃだめっ」
私は上から降ってくるキャンディの叱咤に応じることもできず、ひっきりなしに襲う痛みに呻き声を上げ続けた。
――もうだめ……ごめんんさい、久里子さん!
私が力尽きて鎖を離そうとした、その時だった。
「――ぎいっ!」
突然、人面鳥の悲鳴が響き渡ったかと思うと、あたりに焦げ臭いにおいが立ち込めた。
「な……何?」
思わず振り返った私の目に映ったのは火のついた羽根をばたつかせ、もがくような動きで飛び去って行く敵の姿だった。
私が敵の残した煙をぼんやりと見つめていると、やがて視界の下から光る「羽根」を背負った人物がゆっくりと上って来るのが見えた。
「――ヒッキ!」
「……ボス、大丈夫ですか?」
光る羽根を背に浮かびながら私を見ていたのは、古森だった。彼女は仲間がピンチになると、重力を操る羽根で空を舞う『アンジェ』になるのだ。
「ヒッキ、あなたがあの「鳥」を、燃やしたの?」
「はい。……ちょっと残酷かなとは思ったんですが、このままじゃボスが危ないと思って……」
古森は眼鏡を外した顔で、ぼそりと漏らした。
「とにかく助かったわ、ありがとう。これで何とか上まで這いあがれそう」
「ボス、ここからは私が運んで行きます」
「えっ、嘘、あなたが?……私、結構重いわよ」
「大丈夫です……たぶん」
古森はそう言うなり私の腰に腕を回し、両手で抱きかかえるようにして上昇を始めた。
「んっ……ぐうっ」
「――わっ、危ないっ」
古森に引っ張り上げられながら、私は何も掴むもののない空中で手足をばたつかせた。
「ボズ……あんまり暴れないでぐだざい」
「お願いヒッキ、無理しないでっ」
古森の苦し気な呻き声を聞いた私は、やはり自力で登ればよかったと改めて思った。
「だ……だいじょうぶでぶげぐおうう」
ゆっくりと上昇する私たちの視界にやがて、棚状に切り崩された平らな場所が飛び込んできた。古森は「ぶぎゃっ」とひと声呻くと私を放り出して平らな岩場の上に転がった。
「ヒッキ、大丈夫?やっぱり重かったんでしょ?」
「だだ……ぐえっ」
古森は羽根の消えた身体で腹ばいになって呻くと、獣のように荒い息を吐いた。
「少し休みましょ。……ほら、あそこに見える横穴がたぶん、「ほこら」の入り口よ」
私が数メートル先の岩肌にぽっかりと開いた黒い穴を指さすと、古森は「ざぎに行ってぐだざい、ボズ……」と途切れ途切れの声で言った。
「――ほらあっ、二人とも何やってんの若いくせにいっ。さっさと行かないとお掃除のおばちゃんがピンチになっちゃうよっ」
私が声のした方に目を向けると、あれだけの絶壁を登ったにも拘らず息一つ乱していないキャンディが仁王立ちになって私たち睨み付けていた。
――うそ……だって「中身」は石さんでしょ?エネルギー使いすぎじゃないの?
私は変身が解けた後いつも石亀が口にする「はあ、年甲斐もなくはしゃぎすぎました」という台詞を思い返しながら、「変身の力って偉大だわ」とぼやきに似た感想を漏らした。
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