第15話 二体の敵を呼ぶ男


 道場の中を玄関目指して移動していた私たちは、中庭を臨む縁側でぴたりと足を止めた。


「ぐあっ……ああっ」


 庭の真ん中で異様な生物に組み敷かれていたのは、髭を蓄えた三十前後の男性だった。


「武部さん?」


 男性を見るなりそう叫んだのは、あゆみだった。


「あの人が、武部哲史?」


 私は杖を盗んだ人間がなぜここに戻ってきたのか訝しむとともに、男性を襲っている奇怪な生物に目を奪われていた。生物の外見は猿のような身体から甲殻類を思わせる手足が伸び、なめくじのような頭部には巨大な「人間の目」がついていた。


「どうしよう……」


 私が誰に助けを求めればいいのかパニックに陥っていると、傍らから誰かが風のように飛びだし怪物の方へかけてゆくのが見えた。


「――あゆみさん!」


 男性を組み伏せていた怪物があゆみの方に「目」を向けた瞬間、私は無意識に縁側を飛びだしていた。加勢しようとしたわけではない、あゆみを怪物から遠ざけねばと思ったのだ。


 だがあゆみの脚は男性の手前で止められ、手にした木刀には怪物の口から伸びる半透明の舌が絡みついていた。


「武器を離して、あゆみさん!」


 私があゆみの腰に抱きつき、怪物の舌から引き離そうとしたその時だった。何かが私の首に巻きつき、私はそのまま強い力で後ろに引き倒された。


「う……ぐうっ」


 仰向けで引きずられながら背後を見た私は「嘘っ」と声を上げていた。私を背後から襲ったのは、先ほどダクトから現れて杖斎を襲った黒い生物だった。


「きゃあっ」


「あ……ゆみさ……」


 二体の怪物に襲われ、私がこれまでかと覚悟しかけたその直後だった。


「ぎゅおおっ」


 不気味な叫びと共に首を縛める力が緩み、放り出された私は芝生の上で激しく咳き込んだ。

 

――一体何が?


 起き上がった私の目に飛び込んできたのは、目に当たる部分を押さえている黒い怪物の姿だった。


「やれやれ、レースは中止だし、パチ屋は閉店だし、仕事しかすることがないとはね……」


 縁側でパチンコ玉を弄びながらぼやいていたのは我が事務所のエース――荻原だった。


「テディ!」


 私はふいに現れた予想外の援軍に、しぼみかけた勇気が甦るのを感じた。黒い怪物はぶるぶると身体を震わせると、分が悪いと思ったのかそそくさと敷地の外に姿を消した。


「テディ、もう一体の方もなんとかならない?このままじゃ武部……杖を盗んだ犯人が怪物にやられちゃう」


「え? ……ああ、あれですか」


 私が畳みかけると、荻原は武部を組み伏せている怪物に向けてパチンコ玉を弾いた。


「――ぎえっ!」


 巨大な目にパチンコ玉の直撃を喰らった怪物は、武部を離すとなめくじのような頭部をのけぞらせた。だが次の瞬間、頭部の別な場所から同じような「目」が現れぱちぱちと瞬いた。


「――まさか!」


 怪物は再び蟹に似た手で武部を組み伏せると、頭部に開いた大きな口で「獲物」を呑みこみ始めた。


 ――ああ、なんてこと!


 私は単なる盗難事件が、想像を超える恐ろしい展開になりつつあることを確信した。


「テディ、まだ玉はある?」


「そりゃありますが……仮に命中したとしても、三つ目の「目玉」が出てこないという保証はありませんぜ」


 私は沈黙した。確かにその通りだった。いったいどうすればあの化け物を一撃で黙らせることができるだろう?


 私が巡りの悪い頭を必死で動かそうとした、その時だった。突然、何もない空間から二つの物体が「出現」し、真下の怪物に勢いよく落下した。


「ぎゃああっ」


「――今だっ!」


 武部を離した怪物に向けて荻原がパチンコ玉を放つと、目玉をやられた怪物は凄まじい勢いで後ずさり始めた。


 禍々しい二体の怪物があっという間に姿を消すと、あとに残されたのは大小二つのシルエット――金剛と石亀の二人だった。


「お願いします、救急車を呼んで下さい!」


 私はそう叫びながら、ぐったりしている武部の元に駆け寄った。


「武部哲史さん……ですね?」


「なぜ、俺の名前を……」


「それは後です。一つだけ問いに質問に答えて下さい。あなたに杖を盗むよう依頼してきたのは、誰ですか?」


「うう……『古きほこらの「えい」』……」


「えい?」


 私は首を傾げた。えいとはいったい、なんだろう?


「もう一つだけ。若月飛燕って言う人のこと、知ってます?」


「知ら……ない」


 武部はそれだけを絞り出すように言うと、目を閉じがくりと項垂れた。



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