第14話 恐怖の黒い物体


「ここです。あの少し高いところにある刀掛け風のフックに掛けてあったのですが……」


 八畳ほどの奥の間に私たちを誘った杖斎は、空っぽのフックを目で示しながら無念そうに言った。


「武部さんはここに自由に出入りできたんですか?」


「そういうわけではありません。が、弟子たちとは顔なじみでしたし、私に用があると言えばここに入り込むことは難しくなかったでしょう」


「鎖とか鍵とかそういう物は?」


「それがああいった形の物なので、細いワイヤーでフックにくくりつけておく以外になかったのです。盗まれた日はほんの二十分ほどの空白時間しかなかったのですが、弟子が確かめに入った時にはもうワイヤーを解かれ消えていました」


「それもお父様の言う「力」のような、未知の方法が使われたとは思いませんか?」


「さあ……武部に関して言えば私が知る限り、普通の人間です。もしそのような「力」が使われたとすればもう一人、盗みだす手伝いをした者がいることになります」


「共犯者ですか……」


 相槌を打った私の頭に一瞬、あまりに荒唐無稽な想像がよぎった。それは「力」を持つ何者かが武部を「操って」杖を盗ませたという想像だ。


 ――だとすれば、この一件の背後にいるのは普通の「人間」ではないということになる。


 ぞっとした私が思わず二の腕を掻き抱いた、その時だった。


 天井近くのダクトが急にかたかた音を立てはじめたかと思うと、誰が触れたわけでもないのにカバーが外れ床に落下した。


「う……なんだ?」 


 大きな音に全員が身構えながらダクトの方を向くと、ぽっかりと開いた四角い穴からぬるり、と黒い塊が軟体動物のように姿を現した。


『ドコダ……「イキノコリ」をツレサッタ奴ハ……』


 黒い塊はぽとりと床の上に落下すると、むくむくと奇怪な形に変形しながら肥大し始めた。


「――なによ、あれ!」


 私が叫ぶと生き物は私をターゲットと認識したのか、黒い触手をうねらせながらいきなり襲い掛かってきた。


「――よせっ!」


 叫び声と共にわたしの前に飛びだしてきたのは、杖斎だった。黒い生き物は一瞬、動きを止めると今度は杖斎の手足に黒い触手を伸ばし始めた、


「――ううっ!」


「先生!」


 触手に自由を奪われもがく杖斎を見て悲鳴に近い声を上げたのは、久里子さんだった。


「――やっ!」


 久里子さんは部屋の隅にあった箒を手にすると、生き物の「目」らしき部分の間を打った。


『……ぐぐ……』


 生き物はひるんだように杖斎から離れると、そのまま壁際まで後ずさった。


「ここはあんたの道場じゃあないんだよ。これ以上狼藉をはたらいたら痛いお仕置きが待ってると思いな」


 久里子さんが啖呵を切ると、黒い生き物は壁を這い上って再びダクトの穴へと姿を消した。


「久里子さん、いくら武術の心得があると言ったって、あんな得体の知れない化け物と戦うのは無茶です」


「すまないね、つい体が動いてしまって……」


 久里子さんが珍しく打ち萎れた表情を見せた、その時だった。


「た、助けてくれっ、化物だっ」


 突然、遠くから男性が助けを求める声が聞こえ、私たちは互いに顔を見あわせた。


「外だわ」


「行ってみましょ」


 私たちはうなずきあうと、「先生はここにいて下さい」と言って奥の間を飛びだした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る