9話 死人、無し
筋肉の酷使による酸欠と苦痛の苛立ち。
アドレナリンの分泌で興奮と闘争心が湧いてくる。
体が勝手に動いたと言えば聞こえは良いが、組織である以上、一定の統率は必要だと心得ていたはずだ。
結果を見れば、それはただの拙い幼稚な物だった。
お人好しが過ぎるだとか、卑下するつもりは欠片も無い。
自分が犯した罪で他人を殺すことが、嫌でたまらなかっただけなのかもしれない、などという逃げ道があるから、いまは細かいことを考える必要はない。
後の言い訳は、後の自分に任せれば良い。
「ごめんなさい、ごめんなさい」水がいっぱいに入ったガラスのコップを手に取ったところで、丸まってうずくまっている少女に目線を向けた。
ほんの少し前まで平和に過ごしていたであろう少女だ。
あんなことが起きれば、気が滅入ってしまうのも無理ではない。
悪いことをしてしまった。
撃つのをためらっていなければ、ナイフを投げていれば。
初めて顔を合わせた時もそうだ。
本人は気丈にふるまっているつもりだったが、顔に浮かべている人当たりのよさそうな笑みは、歪んでいた。
目元を見ると不思議なことに目が腫れておらず、何かこみ上げてきそうなものを抑え込んでいるような顔もしていた。
ストレスを発散させようと、きつい言葉を投げかけてみたが、案の定、逆効果だったのは申し訳ない。
彼女には悪いことをしてばかりだ。
こんなことしかできない自分を情けなく思う、彼女を元気づける言葉が見つからない。
「大丈夫か?」
少女に声をかけると、彼女はびくりと体を震わせてこちらを見上げた。
「あ、あの、すみません、私、泣いてなんかいないですよ。ほら」
そう言って彼女は涙をぬぐった後、微笑んだ。
「少し落ち着いたらどうだ? そんな顔をしていても、何も解決しないぞ」
彼女は俯いて黙り込んだ。
「私だって辛いんだ、だから、その……」
「気にすることは無い、命があるんだ」
「何があっても守るから……」
何を言えばいいのか分からず、口ごもってしまった。
「……しばらくは安全だ、だから、もう気にするな」
何を言いたいのか自分でもよくわからなくなり、彼女の肩に手を置いた。
彼女はその手を払いのけた。
「触らないでください!」
拒絶の言葉と共に出された手とは、反対の手に小さな鈴が握られていた。
「シャン」と鈴の音が鳴った。
「自分がズレているって分かりませんか? 分かってたらそんな発言しませんよね」
「大学で初めてできた親友と来月に博物館でした。少し太っていて気持ちが悪かったけど毎週の土曜日に決まってパンをくれました。散歩中に良く挨拶して一緒に走ったりしました。一緒に旅行しようって約束してました。それが何ですか! みんな死んで、肉を叩き切った時の感触がずっと残っているんですよ!」
彼女は床を全力で叩いた。
大きな音が室内に響いた。
「安心するですか、安心して何になるんですか! あの人たちは帰ってこないんですよ!! なのに命があるって、あんなもののどこにそんなものが!! どうせ気でも狂ったとか思っているんでしょうね、そうですよ! 狂って……」
「あ、いや……すみません」
彼女はまた俯いてしまった。
先ほどまでの怒りは何だったのかと言うほどに、突然おとなしくなった。
言いたいことを言えて少しは楽になったからだろうか。
あの言葉を言って正解だったのかもしれない。
「大丈夫だ、気にしていない、私が無神経なのが悪かった。すまない」
「その、なんだ、とりあえずは落ち着いて水でも飲んでくれないか」
「はい」
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