第4話 ミール

 窓から差し込む陽光がまぶた越しに瞳を刺激する。今日も快晴のようだ。


「……ん……」


 上体を起こし、周囲を見回す。机と椅子、寝台があるだけの簡素な室内だ。年季の入った木材でできている壁や天井が窓から射す陽光に照らされて温かな色味を帯びている。

 昨日宿泊したのと同じ部屋だ。

 起きたらもとの世界に戻っているんじゃないかなんて淡い期待は裏切られる。

 

 身支度を整えたら、昨日ラインに言われた通り食堂に行こう。そう思い立ち、寝台から降りる。身支度を整えるといってもこの部屋には洗面所も櫛も歯ブラシもないので何もできないのだが……。そもそもそれらの概念自体がこの世界にないのかもしれない。

 部屋を出て、手櫛で髪を整えながら廊下を歩く。


「おはよう、タカツキ」


 背後から声がして振り返るとラインだ。レオハートとアリスティアも一緒にいる。


「ああ、おはよう。ライン、それにレ──」


 挨拶を返そうとするとラインが口元で人差し指を立てる。もとの世界と同じなら「静かに」を表すジェスチャーだが……


「……?」


 俺が首を傾げるとラインは耳元で声を低くして囁く。


 「2人のことはレオとアリスと呼んで欲しい。決してフルネームで呼ばないでくれ。僕のことも今まで通りラインで頼むよ」

 

 そう言うとラインは俺から離れウインクをした。


「……分かった」

 

 分からない。何故フルネームで呼んで欲しくないのか。この世界特有の文化だろうか。理由を訊こうとも思ったが、わざわざ周りに聞こえないように言っていたしあまり長引かせたい話でもないだろうからやめておいた。


「じゃあ改めて、おはよう、ライン、レオ、アリス」


「おはよう」

「おはようございます」

「……おはよう」


 三人はそれぞれに返事をする。レオは相変わらず無愛想だが仕方がない。


「さて、朝ごはんを食べにいこうか」


 ラインはそう言って一階への階段を下り始める。俺達もそれに続く。


「昨日はよく眠れたかい?」


「あぁ、おかげさまでよく眠れたよ。ライン達に会えてよかった」


 ライン達と会えなかったらあの森で野宿することになっていただろう。ラインによると、あの森はグリムフォレストと言って危険な場所らしい。本当に助かった。


「そうか、それは良かった」


 ラインが薄く微笑む。


 そんな話をしていると階段を下ってすぐのところにあるこれまた木製の開け放たれた両開きの引き込み戸の前に辿り着いた。ここが食堂だ。


 中に入ると、既に十数人の宿泊客が席について朝食をとっていた。一瞬もう満席かと思ったが、食堂は広く長机と椅子がいくつも並んでいるから空席がいくつかある。俺達は適当な空いてる席に座った。


 程なくして、恰幅のいい給仕の女性が俺達の注文を取りに来た。


「いらっしゃいませー!ご注文はいかがなさいますか?」


「ボアルワイドのステーキ定食を1つ」

 レオが即答する。


「私はトーストとトマトスープのセットをお願いします」

 続けてアリスが言う。


「僕はウィゾフニルの香草焼き定食で」

 ラインも続き視線で俺に問いかける。


「俺は、えっと……トーストとトマトスープのセットをもう一つ」


「かしこまりました!」


 女性は元気よく復唱すると厨房の方へ向かった。俺を含め、全員昨日と同じものを頼んだ。


 昨日はラインとレオがもとの世界では聞いたこともないような名前の料理を頼んで困惑していたら、アリスが馴染み深い名前のメニューを頼んだから同じものを頼んだ。


 トーストとトマトスープは夕飯にしては少し量が物足りなかったが、名前通りの見た目と味で美味しかったし、何より安心感があったから選んで正解だった。


 ラインとレオが頼んだものは2つとも肉料理で、白米らしきものが付いてくる。見た目は美味しそうだったから、今回はそのどちらかを頼もうかとも思ったが、異世界の謎のオリジナル料理をいきなり食べる勇気はなかった。


「昨日も思ったけど無理して僕達に合わせなくて良いよ」


「……どういうことだ?」 

 ライン達に合わせる?何の話だ?


「僕達がメニュー表を見ずに注文しているからといってタカツキまでそうする必要はない。じっくり選んでもらって大丈夫だよ」


 ……なるほど、確かにラインから見たら俺はライン達に合わせてメニュー表を見ずに注文しているように映るだろうが。


「ああ、すまない。次からはそうする」

 

 実際はメニュー表が今まで見たこともないような言語で書かれていたから見なかっただけだ。とはいえそれをそのまま説明するわけにはいかない。


「はは、謝ることじゃないさ。僕達を待たせないよう気をつかってくれたんだろう?」

 ラインは笑って言った。


「ラインには何でもお見通しだな」

 適当に話を合わせてこのまま勘違いしていてもらおう。 


「ラインは観察眼が鋭いですからね」

 

 珍しくアリスが会話に参加してきた。

 俺はアリスに警戒されているようで、今まで一言二言しか喋らなかったのに。


「料理が届くまで少し時間があります。変に気を遣われても迷惑なので、今メニュー表を見てください」


 そう言いながらアリスは俺にメニュー表を手渡す。


「ありがとう」

 

 やや尖った言い方をしているが、アリスなりの親切心で言っているのだろう。ここは素直に受け取ろう。


 今までちゃんと見たことがないし、一度くらいはきちんと見ておくか。文字はわからなくてもじっくり見れば何かわかるかもしれない。


 アリスから渡されたメニュー表をじっと見つめる。


──ピコン!


 突如として脳内に機械的な音が響く。

 驚いて思わず顔を上げると、ラインが不思議そうな顔をしている。


「どうかしましたか?」


「あぁ、いやなんでもない」


 アリスに訊かれて我に返る。今のは何だったんだろうか。

 まぁ、いい。今は目の前のメニュー表に集中しよう。気を取り直してもう一度メニュー表を見る。


──ピコン!


 再び脳内に先程と全く同じ音が鳴る。今度はそのままメニュー表を見続ける。


 すると……


─────────────────────

        メニュー

ボアルワイドのステーキ定食……銅貨5枚

ウィゾフニルの香草焼き定食……銅貨5枚

トーストとトマトスープのセット……銅貨4枚

ウィゾフニルの卵の目玉焼き……銅貨3枚

野菜サラダ……銅貨2枚

ご飯単品……銅貨2枚

トースト単品……銅貨2枚

トマトスープ単品……銅貨2枚

─────────────────────


 うわ!なんなんだこれ。

 

 頭の中に直接情報が入ってきたかのように、勝手に文章が頭の中に浮かんできた。


 内容からして……メニュー表に書かれていることなのか?


 メニューは知らない文字で書かれたままで今もなんて書いてあるのかわからない。なのに何故か意味が頭の中に浮かんでくる。理解できないのに理解できるという不思議な感覚。何だか気持ち悪い。


──ズキンッ!!

 突然頭痛に襲われる。


「っ!?」 

 

 思わず頭を手で押さえる。


「大丈夫かい?」

 ラインが心配そうに声をかけてきた。


「少し頭痛がしたけどもうおさまった。問題ない。」


 何故メニューに書かれてあることが分かったのかは気になるが、痛みはすぐに引いて今は何ともない。


 ラインは未だ心配そうな顔で何かを言おうとする。


「お待たせ致しましたー!」


 ちょうどその時給仕の女性が大きな声で料理を持って来た。


「ご注文のボアルワイドのステーキとトーストとトマトスープのセットお二つ、それと、ウィゾフニルの香草焼きをお持ちいたしましたー!ごゆっくりどうぞー!」


「あぁ、ありがとう」

 ラインが笑顔で礼を言う。


「それでは失礼致します」

 給仕の女性は一礼して厨房の方へ戻っていった。


「では、食べましょうか」

 アリスが微笑みながら言う。


「そうだね。冷めないうちに頂こうか」

 ラインがナイフとフォークを手に取りステーキを切り分ける。

 俺とレオもそれに続いた。


『いただきます』


***

『「ご馳走様」でした』

 料理を食べ終えて、俺達は手を合わせた。


「さて、タカツキ、これからどうするかは決まっているかい?」


「いや、特には決まっていない。とりあえず街を見て回ろうと思っていたところだ」

 情報を集めるために。


「それなら丁度良い、僕達と一緒に来ないかい?タカツキに案内したい場所があるんだ」

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