第9話 それぞれの選択
ふと気がつくと、頬を何かが伝っている。涙が水面に落下して、波紋を作った。これが、真冬‥‥‥いや、冬の過去。
わたしは涙を拭って、ふり返った。背後には、わたしのよく知る人物が立っている。
「斎藤先輩は冬が何をしようとしているのか知ってるんですよね?」
「ああ」
「教えてください。冬はなにをしようとしているんですか」
そう聞くと、斎藤先輩は口を開いて閉じる。
言い淀む先輩を見つめていると、先輩の背後に黒い影が、ゆらり、とわだかまった。
現れたのは、白色の小袖に、蝶柄の澄んだ紅い打掛を着ていて、髪も丁寧に結い上げた女の人だった。
似てる、冬と。でも、まとっている雰囲気が全然違う。
今の冬が『負』なら目の前の女の人は『正』だ。
「あなたは‥‥‥」
「わたしは、陽の目」
それって、たしか冬の持ってた力のはず。
「ってことは、知ってますよね。冬がなにをしようとしているのか」
「冬はずっと『ゆうき』を作ろうとしていました」
「『ゆうきを作る』……?」
「生きた人間を『ゆうき』にすることです。ゆうきのクセ、口癖、好きなもの、食べ方、歩き方、などといったものをそっくりそのまま真似させようとしていました」
だから、ゆうきを作る、か。
でも、きっと、その方法じゃ何時までたっても冬は救われない。だって、彼女が会いたいのは、未だにその影を追っているのは、あの時、何もかも諦めていた冬に手を差し伸べたゆうきのはず。
「ええ、察しの通り上手くはいかなかった。だから、冬はゆうきを生きた人間に憑依させようとしています」
「そ、そんなことできるわけ」
「死んだ人間の魂を
そういって、陽の目は斎藤先輩を指さした。
彼も承諾済みです、と陽の目が言うと斎藤先輩は静かにうなずく。
「陽の目は、先輩はそれでいいんですか?」
「わたしにはもうどうすることもできません。それに、所詮わたしは冬の力にすぎません」
「おれは冬のことが好きだ。だからおれが『ゆうき』になれば少しは救われると思った。でも、おれは『ゆうき』にはなれなかった。あいつは、ずっと苦しがってる、辛いんだよ。いい加減、楽にしてやりたいんだよ」
きっと、先輩も悩んだんだろう。悩んで悩んで、苦しんで、もがいてあがこうとした。
すごいな、それだけ大切な存在なんだ。自分の命を差し出してもいいと思えるぐらい好きなんだな。
———たとえ、自分の気持ちが一方通行だとわかっていても。
どうしたって冬の一番はゆうきだ。それが斎藤先輩に変わることはない。彼もそれをわかっている。わかっていてなお、彼女の力になりたいんだ。
でも――――。
「その方法は間違ってる」
初めて杉本君と会った姿が、ぼんやりとかすんでいく。
かなめ、早紀、お父さん、和也さん、そして杉本君の顔が頭に浮かんでは消えていく。
わたしはぎりっと歯を食いしばって、拳を握った。
「斎藤先輩も冬も、あなたたちは道を踏み外した。あなたたちはどこかで進まずに、戻るべきだったんだ」
‥‥‥何でもない日の繰り返しが、すごく幸せだった。
お母さんが死んで、泣き方を忘れかけていたわたしに、泣き方を思い出させてくれたかなめ。
『アスカ、ダメだよ。ちゃんと受け入れないと。今泣かないと、泣き方を忘れちゃうよ。それは強さなんかじゃないよ。‥‥‥泣いてもいいんだよ』
悩むわたしを、引っ張ってくれた早紀。
『別によくない。人間、無駄なことばっかだし。だから、正解なんてないんだからもっと気楽に生きようぜ』
自分だって辛いはずなのに、わたしのことをずっと励ましてくれたお父さん。
『お母さんは何時だって飛鳥の傍にいるんだよ。だから、悲しいことなんてないんだ。家族三人ずっと一緒なんだよ』
こんなわたしを当主として受け入れてくれた杉本君。
『才能がなくたって、美山の当主はお前だ。それに、おれは味方のつもりでいるから』
かなめと早紀と過ごす毎日は、何もなかったけれどとても楽しかった。
そして二日しか一緒にいなかったけど、杉本君と過ごした時間も。
―――天国のお母さん。
わたしは幸せ者だよ。長い人生で、そうそう会えるものじゃない。大切な親友を、人生で三人も得ることができたのだから。
冬の気持ちはわかる。
わたしだって、お母さんが死んだとき何度もそう思った。
時間を戻してほしいと何度も願った。
でも、失ったものは取り戻せない。時間が戻ることはない。
冬も斎藤先輩と同じだ。そういう意味では、お似合いかもしれない。
「わたし、戻ります。戻って、冬に言いたいことがあります。そして、彼女を止めます。これ以上、道を踏み外させないために」
わたしは微笑んだ。
陽の目が大きく瞳を見開くと、深々と頭を下げた。
「冬のこと、よろしくお願いします」
「はい!」
その時、まばゆい光がわたしを包んだ。斎藤先輩、とわたしは声をかける。
「わたしは先輩が冬の傍にいてくれてよかったと思いますよ」
先輩がどんな顔をしていたのかは分からなかった。
‥‥‥本当にこの選択でよかったのだろうか。
―――大丈夫、自分を信じて。
わたしは勢いよくふり返った。背後にいる人物はわたしに背を向けている。大きく見開かれた瞳から、涙があふれた。その人はふり向くと、わたしに優しく微笑みかけた。
そしてわたしの意識はだんだんと遠ざかった。
「‥‥‥い。おい、飛鳥ッ!」
ぱっと目を開いた。目の前には杉本君の顔がある。杉本君はどこ安心したような顔でわたしを見る
「大丈夫か?」
「うん、なんともない」
そう答えて視線を前に投げれば、藤宮先輩が微笑みながら立っていた。わたしは足に力を入れて、立ち上がった。
「藤宮先輩‥‥‥ううん、冬。あなたも斎藤先輩と同じです。あなたは道を踏み外してそのまま進んでしまった」
‥‥‥そこで不意に、りいん、と。どこかで鈴が鳴るのを聞いた。血が逆流したように熱くなる。逆巻く風と電がわたしのまわりを取り囲んだ。
はらり、と組紐が解ける。目を開けていられないほどの風圧の中、わたしは自分の
「そこを退け!」
藤宮先輩が右手を上げると、無数の形も大きさも異なる剣が現れた。剣は音もなく、まっすぐにわたしに向かって飛んでくる。
「いや」
次の瞬間、不可侵の矢が剣に直撃して霧散した。
やがて、暴風は和らいで風となり、ゆっくりと目を開ける。
そして。
わたしは左手に握った弓を構える。
「魔性に堕ちたものを討つのは、退魔の一族である、
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