見捨てられた地ゲヘナ//フィクサー

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 ──見捨てられた地ゲヘナ//フィクサー



 最貧困層が暮らす汚染された地上ゲヘナ。


 ファティマとサマエルはそこで郊外から市街地の中心地に向かう。


「どうしたものでしょうか。就労を急がなければいけないのですが、どうすれば」


 ファティマはゲヘナの市街地を見渡す。


 建築基準法を満たしているとは思えない古い建物とでたらめに増改築された混沌とした街並み。道路はまともに舗装されておらず、穴だらけだ。


 その上、路地にはいくつもの死体が転がっていて、腐敗したそれに痩せた野犬が群がり、死体の肉を貪っている。


 そこにはさらに収集されずに放置されたゴミが異臭を放っていた。


 このゲヘナは何もかもが荒んでいた。


「……お姉さん。あのね。ボクには力があるんだ。もしかしたらお姉さんの夢をかなえられるかもしれない力。ボクはお姉さんにボクの全てを捧げる。全てを、その力から命も、血の一滴までも全てを……」


 サマエルはファティマの手を少しだけ握ってそう言った。


「力、ですか?」


「うん。力がある。ボクの力は──とても強力なんだ。ボクはお姉さんのためにその力の全てを捧げるよ。ボクができることは全てお姉さんのためにやる。その結果、ボクを犠牲にしてもいい……」


 戸惑うファティマにサマエルはおずおずとそう語る。まるでその力を使うことは彼女の良心に反しているかのようだ。


「心強いですね! 頼りにさせてもらいます!」


 ファティマの屈託のない笑顔にサマエルは安堵した表情を浮かべた。


「しかし、まずは働くことです。どこで就労すればいいのしょうか?」


 ファティマはそう言って途方に暮れながらもスラム街のようなゲヘナの市街地を見渡す。どこもここも古びており、そこに暮らす人々も生気がなく、ギスギスとしており、汚れた衣服を纏っている。


「ZEUS。この地域の地図を端末にタウンロードして、そこに存在する各施設の情報も表示してください」


『了解』


 ファティマはZEUSにそう指示する。


 ZEUSはナノマシンの形で脳にインスト―スするデバイスだ。通信やデータの保存の基本的な機能はもちろんとして多様なアプリによる様々な機能を有する。ZEUSの情報は拡張A現実Rの形で表示される。


 またZEUSは妖精をAIとして搭載しており、各種演算を行う。


「来ました。ここはゲヘナセントラルセクター。ゲヘナの中心街だそうです。ここで就労先を探しましょう。公共職業安定所をまずは当たってみるといいですね」


「ボクも手伝うよ、お姉さん」


 ファティマはそう意気込んでサマエルは頷いたときだ。


「おい。お前たち」


 ゲヘナの荒れ果てた市街地の物陰から20台後半ほどの若い女性が現れた。


 その髪はブルネットでウェーブした髪を背中に流している。身長は160センチ程度。そして、その体には黒地に白い竜の模様が入ったチャイナドレスを纏い、女性的な体形がはっきりと浮かび上がっていた。


 その緑色の瞳がファティマを見ている。


「あなたは?」


「私はジェーン・スミス。このゲヘナでちょっとした仕事ビズの斡旋を行っている人間だ。お前はファティマ・アルハザード。バビロニア魔術科大学を首席で卒業したアルファ級高位魔術師。そうだろう?」


 ジェーン・スミスと名乗った女性がファティマにそう言う。


「私のことは知っているというわけですね。私はあなたに会ったのは初めてで、あなたのことはさっぱり知らないのですが」


 いきなり話しかけてきたジェーン・スミスと名乗る女性にファティマは明確に警戒した態度を示し、その黄金の瞳でジェーンを見る。


「知らないことは知らないままでいい。私はお前たちに提案できるものがある。ゲヘナ軍政府からの話は聞いただろう。労働の義務と違反した場合の強制労働という罰則。実にクソくらえな代物だ」


 ジェーンが肩をすくめて、そう語る。


「お前はゲヘナについては何も知らないだろうから教えてやる。ちゃんとした職に就いてる人間なんてゲヘナでは僅かだ。ほとんどが強制労働をやらされてる。あるいは犯罪組織に加わるかだ」


「わざわざ教えてもらい感謝しますが、それで私に何が言いたいんですか?」


 ジェーンの言葉にファティマがまだ警戒しながらそう返した。


「このままじゃお前は強制労働させられて過労で死ぬか、強制労働をやらされている囚人相手の娼婦をやらされて病気で死ぬってことだよ。分かったか、エリートさん?」


 嘲るように笑ってジェーンがファティマの顔に自分の顔を近づけて言う。


「そうですか。そこであなたはそんな哀れな私に用があるわけですね。前置きはいいですから本題に入ってもらえますか?」


「そうだな。無駄話は金にならない。ついてきな」


 ジェーンがそう言って市街地を進み、ファティマとサマエルがそれに続いた。


 ジェーンは慣れた様子で荒れた市街地を進んでいく。


 壊れかけた建物や陥没した道路、銃痕が刻まれた壁。そしてあちこちに乾いた黒い血の痕跡や吐瀉物。ここにも腐乱した死体が転がっており、それを疥癬にかかった薄汚い野良犬たちが貪っている。


 そんないかにもなスラムであるゲヘナの通りにはMAGを始めとする民間軍事会社PMSCのコントラクターたちが警備に当たっていた。


 コントラクターたちは基本的に強化外骨格エグゾを装備。またエデン陸軍採用のブルパップ方式銃であるMTAR-89自動小銃をカスタムさせたものを握っている。


 装甲化された軍用車としてタイパン四輪駆動車を移動と警戒の拠点としていた。


「こっちだ。タクシーに乗るよ。離れるな」


 ジェーンはコントラクターたちを無視し、塗装も何もかもボロボロの四輪駆動車に『タクシーサービス! どこでもお届け!』というステッカーを貼ってあるものに近づく。そして、運転席の窓を叩いた。


「何か用かい、美人さん?」


 タクシーの運転席にいたよれよれの野球帽を被った髭面の中年男性がタクシーの窓を開けてジェーンに尋ねる。


「タクシーに頼む用事なんてひとつだろ。運んでくれ。金は払う」


「前払いだよ」


「分かってる。ZEUSのIDを出せ」


「あいよ」


 タクシーの運転手がZEUSのIDを拡張現実AR上でジェーンに送り、ジェーンがそのIDに指定された金額を振り込んだ。


「オーケー。乗ってくれ。どこまでだい?」


 タクシーの運転手が言うのにまずはジェーン、そしてファティマとサマエルがタクシーの中に乗り込んだ。


 シートのビニールはところどころ破れており、そんなタクシーの中はタバコの臭いが染みついていた。エデンではタバコは非合法化されているのでファティマは何の臭いか分からない。


「チェックポイント・ジュリエット・シックスまで」


「あんた、フォー・ホースメンか?」


「いいから行け。金は払っただろ」


「はいはい」


 エンジンが何度か始動しようとして失敗しながらようやくエンジンが動き始め、ガタガタと揺れながらタクシーが発車。


「これからお前に仕事ビズを斡旋してやる。稼げる仕事ビズだ」


「でも、ゲヘナ軍政府に申告できるまともな仕事ビズではない。そうなのでしょう?」


「ああ。物分かりが早くて助かる。連中からすれば私たちがやる仕事ビズは犯罪だ」


 ファティマが言うのにジェーンが頷く。


「このゲヘナで生きていくには犯罪組織に所属するのが第一だ。ゲヘナ軍政府は偉そうにしてるが、何もしてはくれない。そして、連中の影響圏は思っているより狭い。このゲヘナのほとんどは犯罪組織が仕切ってる」


 走行中のタクシーの中でジェーンがファティマにそう説明した。


「だから、お前がやるべきは犯罪組織のボスに気に入られることだ。私がそのための斡旋をしてやる。お前には伝手はないが、私には伝手がある」


「ふむ。その恩をどう返せばいいのでしょうか?」


「今はそれは考えなくていい。私は有能な人材を紹介して犯罪組織から信頼を得られるということにしておけ」


「そうしましょう」


 ジェーンの言葉にファティマが頷く。


「お客さんたち。そろそろ到着だよ」


 タクシーの運転手がそう言い、ファティマが外の光景を見る。。


 先ほどまで大勢いた民間軍事会社PMSCのコントラクターがほとんど見えなくなり、それでいて明らかな戦闘の跡が見える通りに入っていた。


 いくつもの弾痕が刻まれた建物や『地雷に注意!』という看板、夥しい血の跡。タクシーも砲撃でできた大小のクレーターの上を酷く揺れながら走っていく。


「そろそろだな」


 その戦場の先に民間軍事会社PMSCのコントラクターではない別の武装勢力が展開しているのがタクシーのフロントガラスの向こうに見えた。


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