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 ――タスケテ。

 誰か助けて!



 唐突だった。

「あ……」

 風の背筋に悪寒が走る。

 突然のめまいに襲われて、風は棚にぶつかった。花瓶がはねる。

 息が苦しい。

 がたん、と大きな音を立てて苗葉が立ち上がり、パイプ椅子が前後に揺れた。慌てて駆け寄ろうとするのを手で制し、風はそばにあった自分の鞄を手に取る。

「ちょっとフラついただけ。飲み物買ってくる」

 風は早口で言うと、ドアの取っ手をしがみつくようにつかんで、横にスライドした。一度ベッドを振り返る。

 ドアを開けた時と全く同じ姿勢で、言は眠っている。






 病室からすぐ近くの、階段の踊り場。

 風は壁に体を預けながら、息を整えていた。

(さっきの、声は)

 脇の大きな鏡に向かって倒れかけ、慌ててバランスを取る。

 踊り場にかけられた鏡には、青ざめた自分の姿が映りこんでいた。

(――どこかで……聞いた、ような……)

 体が熱い。胸が苦しい。

 寒気がおさまらない。

 思考がまとまらず、バラバラになっていく。

(それに、あの声は――)

 ねえ。

(助けて、って……)


「ねえってば!」


「あ……」

 気づくと、左肩を掴まれていた。そのまま体が半回転する。

「ねえ、どこか病気? 顔が真っ白になってるよ⁈」

 目線を少し下げる。

 そこで目をまんまるに見開いていたのは、同じくらいの年齢の少女だった。

 肩の辺りで髪を切り揃え、紺色のスポーツ着に身を包み、とても大きなバックを担いでいる。細長い袋も背負っているのだが、

「すぐ病院……って病院はここか。どこか痛いのなら、1階の内科に行こう!」

 袋がグラグラと揺れるのにも構わず、少女は慌てふためいた。

「……平気。大丈夫です」

「その顔で言われても! 絶対大丈夫じゃない――あっ」

 ふと、少女は何かに気付いたように言葉を止める。

「もしかして、関連なの?

だったらお医者さんに相談できないのも分かるけど……」

「――ミカヅキ、さま?」

 問い返した、その時だった。


 バァァン!


 脇の鏡が、突然割れた。

 と感じるほど、強く光り輝いた。

「ひゃっ‼」

「⁉」

 白く熱く、痛みを感じるほどの光。少女が悲鳴を上げたのが聞こえる。

 風の意識は、光に包まれて途切れた。





 そのころ、鏡宮言の病室。

 苗葉は、父と『はとこ』の帰りを待っていた。

 パイプ椅子の上で、プラプラと足を動かす。空に浮かぶ雲の数は36個、一人しりとりも飽きてしまった。

 誰かと話そうにも、声が出ない。

 ふと、たった1人の兄を見る。言が起きていた頃――苗葉がホワイトボードを持っていなかった頃は、言が自分を引っ張ってくれて。言は考えるより前に動く『ちょくじょう型』で、誰にでも優し

 苗葉の憧れだ。

 病室の白いドアは、いまだに開く気配がない。

 時計の『長い針』が数字を2つほど通り過ぎた時、苗葉は気付いた。花瓶のそばにスマホが置き去りになっている。その青いケースは、父が使っているものではない。

 ぎっ、と小さな音を立てて、椅子から立ち上がる。

 苗葉はお気に入りのナップザックから、もしものための防犯ブザーを取り出して、フックを腰のポシェットに引っ掛けた。もちろん、スマホをナップザックに入れることも忘れない。ホワイトボードは、紐を伸ばして肩にかける。

 誰にも聞こえない挨拶をして、苗葉は病室を抜け出した。

 『いとこ』に、届けなければ。

 きっと兄ならそうするだろう。



 シャリン

 金属がこすれ合うような音が鳴る。

 音は少しずつ、こちらに近づいてくる――。

「……?」

 風は目を開けた。夢を見ていたのだろうか。

 体を起こそうと、風は砂利道に手をつく。

 ……………………………、

 砂利?

「起きたっ!」

 声がした方に顔を上げる。先程の少女が駆け寄ってきた。

「よかった……。声掛けても全然起きないから、どうなることかと……」

 心の底から安心したように、少女が安堵の息をもらす。

(あれ…………)

「……俺は、もう大丈夫。ありがとう」

「ううん、私は何にもしてないよ」

「ずっと見張ってくれてた?」

 少女の右手には、似つかわしくないものが握られていた。

 竹刀しない

 握っている白い皮の部分は黒ずんでいて、何年も使われていることが分かる。

「ああこれ? いっそのこと防具も着ちゃおうかと思ったけど、動きにくいしね」

 少女はそう言って、肩をすくめて見せた。

 だが風の目は見逃さない。竹刀の先が、少し震えていることを。

 風は辺りを見回した。

 眩いほどに真っ白な、地面に敷き詰められた砂利。それが地平線の向こうまで広がっている。近くには少女のバックが置かれていた。

 白い砂利とは対照的に、空は藍色をしていて、満天の星がちりばめられている。美しい景色のはずなのに、どこか気味が悪い。

 それらに影を落とす、

 

 城までには距離があるが、それでも、その存在感は大きい。

 しかも1つだけではなかった。2つ、3つ……もしかしたら5つは軽く超えるかもしれない。

 石造りのものから木造のもの、遠くにはコンクリートでできたものまで様々だ。

「……なんだ、ここ」

「私も分かんない。鏡が光ったとこまでは覚えてるんだけど……、目が覚めたらここで倒れてた」

「なんなんだ、ここ」

 風は繰り返してしまう。

 少女は細長い袋――竹刀を入れるものらしい――を肩にかけて、

「とりあえず、人がいないか探そう? ここにずっといるよりはマシだと思うよ」

「…………ああ、そうだな。えっと――」

 いまだ呆然ぼうぜんとしていたしていた風は、竹刀しないの少女の名前も知らないことに気が付いた。

 察したらしく、少女は言葉を紡ぐ。

鈴乃すずの浦川うらかわ鈴乃。西坂高校の新二年生です」

 そう言って、少女――鈴乃は安心させるように微笑んだ。

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