3 眠り王子

「それじゃあ、風くんの新たな門出を祝って。乾杯!」

「かんぱーい」

【かんぱい】

 四人掛けの大きなテーブルの上で、コップを打ち付ける音が鳴った。

 テーブルの上もピザやサラダ、炊き込みご飯……色鮮やかな料理で埋め尽くされている。

「ありがとうございます。こんな盛大にお祝いしてもらって」

「お礼はいいよ! 今日から一緒に住むんだから、遠慮しないで好きなもの沢山食べて!」

【これはチーズピザ こっちはフルーツ 飲み物はコーラもあるよ】

 ホワイトボードを片手に、向かい側の苗葉が料理を指さして説明する。

【ご注文は おきまりですか?】

「ええっと……」

 風は少し考えて、

「さっきのを一つずつ」

【かしこまりました】

 相変わらずの無表情で、苗葉はトングを手に取った。自分で使ってみたいらしい。風は差し出そうとした手を引っ込める。

 トングをカチカチと鳴らして、苗葉はフルーツピザを慎重に取り始めた。

「あんなに楽しそうな苗葉、初めて見たよ」

 トングが届きやすいようにピザの箱を動かしながら、慎が小さく囁く。

「……俺には無表情に見えます」

「あはは、まあそうだよね」

 慎は苦笑した。

【おまたせいたしました 牛とくだもののコンビネーションセットです】

「……ありがとう」

 ネーミングセンスはあまり――はっきり言ってほとんど――ないようだ。

 皿を受け取りながら、風は苗葉を観察する。

 やはり無表情だ。が……。

(――駅の時より、表情が柔らかくなってる、のか?)

 疑問形になってしまう。まだ判別は無理だった。

 苗葉はトングを置いて、ペンのキャップを開ける。

【お父さん かばんはお部屋にあったけど せい服とかってどこにあるの?】

「あっ、そうだった! 言い忘れてた。今クリーニングに出してる所なんだ」

 慎が慌てた声を上げた。

丁度ちょうど明日終わる予定だから、その……。

 、一緒に受け取りに行くつもり」

 キャップの先のスポンジを動かす苗葉の手が、止まった。

 すぐそばの農道を走る車が、やけにうるさい。

「――あの、」

 沈黙を破ったのは、皿を置いた風だった。

「俺も、ついて行っていいですか」

「……うん。僕の方こそ、お願いするつもりだったし」

 慎が気遣うような笑みを浮かべて言う。

「通学路の確認も兼ねて、一緒に行こうか」

「……苗葉ちゃんは」

 いつも通りの無表情でりんごジュースを飲んでいた苗葉に、風は問いかけた。

「一緒に行っても、いいかな」

 苗葉はコップを置く。

【やーだ】

「えっ……」

【なんちゃって】






 春風にあおられて、白く無機質なカーテンがふわりと舞った。

 その隙間を入ってきた暖かな陽射しが、窓辺のベットと点滴バックを照らす。

 そこにいる少年はまるで、ただ眠っているだけのようだった。

「来たよ、げんくん」

 慎が優しく、いつもと変わらない声で語りかける。

「今日は風くんも来てくれたんだよ。急に人数が増えて、びっくりした?」

 鏡宮言かがみやげんは、ピクリとも動かない。

「ちょっと待ってて。今、お花を替えるから」

「俺がやります」

「いいの? ありがとう。じゃあお願いね」

 棚の上に置かれていた白い花瓶を、風は手に取った。苗葉が持ってきた紫色の花と、色褪せた花瓶の花を取り替える。

「僕は少し先生と話してくるから、何かあったら連絡して」

【なえはは?】

「苗葉ちゃんはここでと待ってて。すぐ戻ると思うから」

 苗葉が小さくうなずくと、病室の扉を開けて、慎は出ていった。

「………………」

 コトン

 花瓶を置いた音が、四人部屋の病室に大きく響く。

 病院の――つまり言の――話が出て以降、苗葉はずっと『無口』だった。

 ベットの間に立てかけてあったパイプ椅子を組み立てて、苗葉は座る。

 風がまた吹いて、壁に掛かる真新しい制服が。

 N・Hと刺繡された制服が、揺れた。


「……いつまで、寝る気だよ」


 思わず言葉が零れて、硬くなって、落ちる。

 苗葉は反応しない。じっと、たった1人の兄を見つめている。

「みんな待ってるんだ。ずっと。お前のこと」

 言はやはり動かない。

 ――脳死の可能性があるって、もう二度と、目が覚めないかもって……。

 母親から呆然ぼうぜんと聞かされた言葉が、風の頭をよぎる。

「だから、」

 俺には。

 

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