5

家に帰りつくと、

仕事場に置いてあるパソコンの電源を入れてから、

奥の住居用スペースにあがった。

その部屋はリビング兼キッチンのワンルームだ。

ペットボトルを冷蔵庫へ入れてから

サンダルを履いて仕事場へと戻り、

パソコンで明日の予約状況を確認した。

午前中に一人と

午後からは三人の予約が入っていた。


その時、

十時二十分のところに書かれた名前を見て

僕の心臓は大きく跳ねた。


安倍瑠璃(あべ るり)


彼女が初めて来店したのは今から十か月前。

今でこそ月に一度か二度の来店だったが、

初めのころは

三日に一度のペースで来店していた

超のつくほどのお得意様である。

しかしこうして彼女の名前を見るだけで

僕は激しく動揺する。

期待と不安が入り混じったような

不安定な感覚に陥るのだ。

一体、何がそうさせるのか。


一つは彼女が恐ろしく美人だということ。

初めて見たときは

てっきりタレントかモデルかと思ったほどだ。

名簿によると年齢は二十八歳となっているが、

何度も施術をしている僕の見解では、

実際は三十歳は超えていると踏んでいた。


仕事は秘書をしていると聞いたことがあった。

たしかにあの美貌をもってすれば

多少の欠点があろうとも傍に置きたい

と願う男は世の中に掃いて捨てるほど

いるに違いない。

秘書という仕事柄なのか、

彼女は首から肩にかけて凝っていると言っていた。

一度目の来店時には全身の施術後に、

頭皮から顔にかけての

リンパマッサージも行ったのだが、

二度目からは頭皮と顔はしなくてもよい

と言われた。


それにしても彼女のような美人が

どうしてこんな小さくて目立たない

個人経営の店を利用し続けるのか

僕には不思議だった。

彼女は隣の宿禰市に住んでいて

勤めている会社も同じ宿禰市にあるのだ。

わざわざここまで通う理由がわからなかった。

そういえば、

初めの頃は車で来店していた彼女が

いつの間にか徒歩になっていた。

それはつまり電車とバスを乗り継いで

ここへ来ていることになる。

彼女がそれほどまでに

この店に執着するのは何故か?


彼女には別の目的があったのだ。

彼女は女性に免疫のない僕という人間を

観察することが目的なのだ。


何度目かの来店時にわかったのだが

彼女は所謂Sだ。

正確には加虐性欲というらしい。


と言っても彼女が直接的、

肉体的に何かをしてくるというわけではなかった。

間接的、精神的に僕を責めてくるのだ。


僕の女性恐怖症は彼女に完全に見抜かれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る