第13話 異世界一 運のわるい男

 ドラゴンの腹のなかで過ごされたことはありますか?

 この話はドラゴンに丸呑みされて、数十日間も生き延びた男の話です。

 ドラゴンの食べたものを喰らい、消化液に溶かされないよう逃げ回り、ひたすら助けがくるのを待ち続けた男。

 ですが、じつはこの男、これまでお話したいくつかの奇妙な逸話にからんでおり、その特異な出来事のおかげで、ずいぶん翻弄され続けてきたようなのです。

 もしかしたらこの異世界で、もっとも運のわるい男、なのかもしれません。


第13話 異世界一 運のわるい男-----------------------------------------


 なぜこうなった——


 なぜこうなったのだ、コーン・ロッド!!——


 わたしは自分への問いかけを、すでに1000回以上も繰り返していた。

 ぎゅっと眼をつぶってから、眼を開いてみる。

 あたりの風景はまったく変わらない——

 

 変わるわけがない。

 これは夢ではないのだから……


 もう一度あたりをつぶさにチェックしていく。すでに数十回おなじことを繰り返していたが、かまわない。もう一度、見直せば、現状から脱出できる術を、手に入れることができるかもしれない。



 いま、わたしはドラゴンの胃のなかにいる——



 どれくらいのおおきさがあると言えば適切だろうか?

 ちょっとした井戸のようなおおきさを想像していたが、それの数倍はある。大のおとなが余裕で横になることができるほどの広さだ。高さは…… 井戸並に絶望的な高さだ。


 よく英雄譚などでドラゴンの腹を剣で突き破って、生還するというのがあるが、残念ながらそれはできそうになかった。


 剣はかみちぎられたわたしの右腕とともに地面に落ちていった。

 外に転がっているはずだが、探しだしても無駄だろう。ドラゴンが飛翔したあとでは、どれほど遠くまで離れてしまったのか、想像すらつかない。


 うしなった腕のことなどもういい——


 いま、わたしの最優先するべきことは、胃液に溶かされないようにすること。

 だから——

 

 わたしは胃液に浮かぶ死体の上に立っていた。


 すでに半分溶けかかった死体の腹の上、腰をかがめた状態でバランスをとっている。その姿は死体のボードに乗って、サーフィンでもやっているように見えるかもしれない。

 だが、命がけのサーフィンだ——

 いまのところこの死体のおかげで、胃酸のなかにからだを浸さずにすんでいる。もしこのボードから落ちたらたちまち溶けて、自分はこの足元の死体とおなじになってしまうのはまちがいなかった。


 足元の死体は『ボヲんゾ』という、人間族には発音が困難な名前の戦士だ。

 彼は南ラークンに棲むオーガ族と人間との合の子で、ハーフ・オーガという分類になるらしい。本来なら駆逐されるべき種族だが、王の気まぐれもあって、人間の血が混じっている者は差別してはならないらしい。 

 たしか『スピーシカル・コレクトネス(人種的正しさ)』とか言ったはずだ。まったくばかばかしい風潮で、個人的には承服しがたいが、ギルドに属している以上しかたがない。

 ヤツとはこれまで、馴れ合いにならないレベルで、距離をおきながら旅をしてきた。


 ヤツはほんの一時間ほど前まで生きていた——


 ドラゴンの腹のなかに飲みこまれると、ヤツはものすごい勢いでにじりよってきた。片足をうしなったため、ひざまずくような姿勢のままで詰め寄ってくる。

 

「コーンんんん。ドーシてくれる。オレはアシとウデを食われちまったぞ」


「ボヲんゾ、喰われたのは、わたしたち本体のほうだ。ふたりともドラゴンの腹の中にいるのだぞ。おまえのアシとウデはそこに浮かんでる!」

「オレたちはクわれた? おまえのせいだゾ」

「ドラゴンの弱点を知っている、と言ったのはおまえだぞ!」

「もっとチイサイやつだと、あれでタオせたんだ」

「きさまぁ、ドラゴンに小さいも大きいもあるか! おかげで魔導士コルトスが踏み殺されて、弓使いのマーロンは焼き殺された。テックだって生きているかどうか……」

「イキてる。たぶんね」

「いいかげんなことを言うな。ドラゴンの尻尾の直撃を受けて、岩肌に叩きつけられたんだぞ!」

「ウンがわるかったんだよ」

「運? 運だとぉ? わたしは右手をうしなった。愛剣と一緒にな。それを運だと?」


 わたしは怒りにまかせて前にからだをのりだした。ボヲんゾがおもわずからだを後方にひいた。その瞬間、ボヲんゾもう一方の足がごろんともげた。

 本人もなにが起きたかわからなかった——


「胃液だ! ボヲんゾ!」

 わたしは叫んだ。

 いつのまにか胃袋の内壁から分泌された胃液が、ひたひたになる程度にまでたまっていた。わたしは偶然にも、ドラゴンがその前に食べた牛らしき死体の上に立っていたので、胃液につからずにすんでいたのだ。

「わぁぁ、コーン。た、たすけてくれ!!」

「あわてるな。手や足は脱出できれば、回復魔法や再生魔法でなんとかなる。だが死んだらおわりだ。首から上を、頭をまもれ!」

 ボヲんゾはあわてて、残っている右手で頭をおおった。が、その動作のせいで、バランスをくずして、胃液のなかに仰向けのまま倒れ込んだ。


「ひぃぃぃぃ。トけるぅぅぅ」

「おちつけ! ボヲんゾ。いま、浮遊魔法でからだを浮かせる」

「は、はやくしろぉ、コーン。きさまのせいだからなーー」


 わたしは左手をまえにだして、マナを指先に集中させた。ゆっくり、とだが、ボヲんゾのからだが胃液のなかから浮かびあがってくる。だが、胃液すれすれで脱したところで、動きがとまった。

「おかしい。これ以上あがらん」

「ふざけるなぁぁーー、コーン。まだイエキがあがってきてるんだ。もっとウエにあげろ。でないとオレのセナカがトけちまうだろうがぁぁぁ」

「すまん。だが、パワーがでないんだ」

「おまえがジブンのからだをウかせているからだろう!」


 胃液にぎりぎり浸かっている高さでは、わたしが動物の死体の上に立っているのが、浮遊しているように見えたのだろう。

「バカを言うな。そもそもわたしは自分を浮遊させる術を持ち合わせていない。ほかのものを浮遊させられるだけだ!」


「うそだ。きさまはオレがキラいだから、いじわるをしているんだ。からだがハンブンなくなったら、シューフクまほうでもモトにモドせなくなる。タノむからウエにあげろ!」


 わたしは精神を集中させた。


 だが、だめだった。

「ボヲんゾ、ダメだ。この腹のなかでは、魔法の力は極端に弱められるようだ。火の魔法も、水の魔法も、光の魔法すら使えない。もしかしたらマナの加護が届かないのかもしれない」


 そう言ったせつな、足元の牛の骨が崩れた。バランスをうしなって、胃液のなかに落ちそうになる。足元に目を向けると、すでにつま先に胃液がかかりそうなところまできていることがわかった。

「まずい。このままだとわたしも胃液のなかに……」


「へへへへ……、コーン、おまえもシズんじまいな」


 その瞬間、わたしは自分がなにをすべきかを悟った。

 いや自分がなにをしたかったかを思い出した、と言っていい。


 わたしは沈みかかった動物の死体を蹴飛ばすと、ボヲんゾの腹の上に飛び乗った。

 一瞬、重みでぐっとボヲんゾのからだが沈む。背中から腰にかけての部位が、胃液に浸された。

「うわぁぁぁ、コーン。なにしやがる。セナカがトけちまうだろう」


「しかたがないんだ、ボヲんゾ。どうやら、この場所の定員はひとりが限界らしい」


「コーン、な、なにをイってるぅぅ」

「わたしは自分のからだを浮かせられない。だけどきみのからだは浮かせることができる」

「ぎりぎりウかんでねぇじゃねぇか。このままだとオレはシんじまうだろうがぁ」


「ああ……死ぬね。でもわたしはきみに死んでほしいんだ」

 

 ここにいたってボヲんゾは自分がおかれた状況に思い当たったらしかった。

「な、なにをイうんだ。オレたちナカマじゃねぇか……」

「いいや」

 わたしは吐き捨てるように言った。

「わたしはおまえが嫌いだった」

「そ、そりゃ、ナカがいいっていうわけじゃあ……」


「勘違いするな。わたしはおまえのなにもかもが嫌いだった——」


「その醜い顔、臭い息、身の毛もよだつ肌の色、知性のかけらもないしゃべり方、息するように嘘をいうところ、ひとは許せないのに自分には甘い身勝手な考え方、いつまでもひとの過ちを許さない執念深さ、癇癪をおこしてルールをひっかきまわす異常さ。数えたらきりがない」

 わたしはしゃがみこんで、顔を近づけて言った。

「おまえのなにもかもが嫌いだったんだよ。みんな、どれだけ我慢したか」


 ボヲんゾは自分にむけられたことばに呆然としているようだった——

 ヤツはこんなことばを口にすることを絶対に許さなかった。ちょっと反対意見を口にするだけでも、恫喝してきて暴力での解消をにおわせてきた。

 だが、いま、ヤツは文字通り『手も足もだせない』のだ。


「おまえの加入は、リーダーだった勇者マルベルが、勝手にきめたことだ。だがマルベルが『迷いのダンジョン』で、ああなってしまったからな……」

「だけど、コーン、おまえを、ツギのリーダーにオしたのはオレだぜ」


「だから?」


「だから……?」

「そのせいで、わたしはおまえを追放しそこなった。それがすべての間違いだったんだよ。おまえにいいように言われて、全員死なせてしまったんだからな」

 

「ひっ!」

 ボヲんゾが短い悲鳴をあげた。

「コーン、セナカがトけてる。たすけてくれ。セナカがしずんでるんだ」

「だろうね。そうしてるから」

「ナ、ナカマをコロすつもりか?」

「せめてそれくらいしないと、死んだ連中に顔向けができない」

 わたしの不退転の覚悟が伝わったのだろう。ボヲんゾはあわてて、自分の胸元からなにかを取り出して掲げた。

「コーン、こ、これをみてくれ!」


 それは青い石のついたペンダントだった。

 だが、その石はひとめ見ただけで、特別な力があると思わせるような光がやどっていた。

「それは?」

「こ、こいつぁ、スラムのガキ、オドして、旅のボーケンシャからスらさせたモンだ。なんのイシだがわかんねぇーが、すごいチカラがやどってるのはまちがいねぇ」


 たしかに霊気とも邪気ともしれない、妖しい力が石のまわりに漂っているように感じられた。ただのアクセサリではないのは確かだ。

「こ、このフシギなイシをやる。それでどうだ」


 プライドをかなぐり捨てて、必死に命乞いをするボヲんゾを、わたしは鼻でわらった。

「ふん。すごい力があるなら、自分で使ってここから脱出するんだな」


 それからしばらくして、ボヲんゾはなにもしゃべらなくなった。

 胃液がひいたとき、ボヲんゾは腰から下、手は両方とも肩から溶け落ちていた。残った上半身も背中のうしろ半分がきれいさっぱりなくなっていた。へどがでるほど醜い顔も、胃液が表面にかかったせいで、目鼻立ちがうっすらわかる程度まで溶けていた。


「おまえの、みにくい顔を二度と見なくてすんでせいせいしたよ」


 おどろいたことに、胃液のなかに浸かっていたはずの、あの青いペンダントはなんの影響も受けていなかった。


 わたしは拾いあげて調べてみたが、ネックレス部分のチェーンも青い石も、溶けるどころか、変色や腐食などのほんのすこしの劣化すらなかった。



 それから三日経った——

   

 わたしがドラゴンの腹のなかでやることはたった3つだけだった。

 ドラゴンの胃を刺激しないよう、静かにうごくこと。

 食事のたびに胃壁から噴出する胃液に溶かされないよう、足場になる物体をつねに確保しておくこと。

 そして、ドラゴンの腹のなかから食べられそうなものをみつけて、食べること——


 そうやってドラゴンの腹のなかで、わたしはなんとか生きながらえていた。ただ、生き延びるだけでよかった。

 わたしには助かる勝算があった。


 わたしの双子の弟だ——

 弟はわたしとはちがい、頭がよかった。いくつもの難関試験に挑み、いまでは王立軍の師団長にまで出世していた。

 ふたりのあいだには、子供の頃からなにか独特の共感する力があった。


 念波士が使う『念波』のような、ことばを伝えるものではない。なんとなく相手の窮地を察知し、いまどこにいるのかを知ることができるような能力だ。

 わたしは以前二回、弟の窮地を察して駆けつけたことがあるし、弟にも一度助けられたことがある。

 だから、この窮地を弟が察してくれているという確信があった——


 ただ待てばよかった——


 とはいえ、わたしは暇をもてあましていた。

 ボヲんゾが残したあの不思議なペンダントをいじくりながら、つい思い出にふけることがおおくなった。


 もう30年も冒険者をやっているのに、これといった功績やお宝に恵まれない人生を送っている。

 おなじころに冒険者をめざした連中のなかには、世間に知られるような手柄をたてて財をなした者、運良く王立軍に取り立てられた者もいた。だが、大半はどこかで『冒険』などという甘いことばに見切りをつけて、地に足のついた仕事に就いていた。

 なのに自分は一発逆転を夢みて、ずるずると冒険者という傭人から抜けでられずにいる。


 自分ももうとっくに消費期限切れだとわかっていた。

 剣の技巧はあがったが、パワーが追いつかなくなっていたし、あたらしい魔法や魔術の覚えもわるかった。 

 だが自分より実力も実績も劣る若者が、一足飛びに有名になっていくのを、横目でずっと見続けて、あきらめたくない、という気持ちがまさった。


 わたしは運にめぐまれなかっただけだ。

 ついそんな言い訳が口をついてでるようになった。だが、それはただの強がりではない。

 こうして持て余した時間で、自分の半生を思い返すと、それを本気で痛感するようになった。


 そう、ほんとうにわたしは『運』にだけはめぐまれなさすぎた——


 冒険にでたばかりの頃、デザストという男とパーティーを組んだのが、不運の連鎖のはじまりだったかもしれない。

 わたしは有名なパーティーを追放されたばかりだという、このデザストと意気投合して一緒にパーティーを起ちあげた。だがすぐにこの男がなぜ追放されたのかを思い知ることになった。

 デザストは冒険者の資質を、おおいに欠く人物だった。でっぷりとした体躯で一目瞭然だったが、大喰らいの上怠惰たいだだった。しかも短気で嫉妬心が強く、行く先々で揉め事ばかり起こしていた。

 ある日、デザストはダンジョン内で出会った、老魔導士に因縁をつけて諍いになった。ちまたで『狂気の魔導士』とあだ名されていたその男は、あきらかに精神を病んでいる様子だった。さんざん揉めたあげく、デザストはその男に呪いをかけられた。

 たしか……ルディンとかいう老魔導士だ。


 だが、魔術をかけられたデザストは覚醒した。短期間のあいだに、さまざまなスキルや高等魔法を意のままに使えるようになったのだ。 

 力を得るにつれ、デザストの態度は手がつけられないほど傲慢になっていった。他人の意見に耳を貸さなくなり、ルール無用で力で従わせようとした。やがて自分を追放したパーティーに復讐するという執念にとりつかれはじめた。

 わたしは彼と仲たがいして、彼のパーティーを辞した。

 その後、彼がどうなったのか、過分にして聞かない——



 だがそのあとに人生で一番のチャンスにめぐまれた。

 異世界から召喚されてきた、タナカ・カズヤ、という本物の勇者のパーティーにくわわることができたのだ。

 こいつはたしかに本物だった——

 人間離れした剣の腕前にくわえ、異次元レベルの魔術を、属性など無関係に、連続して繰り出すことができたのだ。

 このときは魔王軍となんども戦ったが、まさに無双状態で、一度たりともピンチに陥ることなどなかった。もっとも、わたしたちは単なる数合わせのようなもので、彼ひとりですべてを片づけたのだが……

 わたしはこれで『アガリ』だと思った。一気に成りあがれると確信した。だがタナカは突然、冒険をやめると宣言して、パーティーを解散してしまった。


 とはいえ、わたしの名はギルド内で有名になり、おかげで職にあぶれることはなくなった。が同時に、冒険者以外の生き方を、顧みることができなくなった、とも言えた。

 わたしは冒険者という生き方以外の逃げ道をうしなった——


 10年ほど前には異世界一の報酬を手に入れたという噂の、有名パーティーから声をかけられた。

 そのパーティーは報酬額がギルドの連中の酒の肴になるほどで、そのリーダーの勇者ダルーの誘いに、わたしは天にも昇るような思いだった。

 だが、このパーティーには、双頭の種族の女がいた。いわくつきの種族だ。

 ふたつの頭の人格はそれぞれ異なった強力な魔力を使い、とても心強かったが、ふたりはほんとうに仲がわるかった。へたをすると眠っているあいだも、喧嘩をしているのではないか、と思えるほど、四六時中いがみ合っていた。

 ずいぶん我慢したつもりだったが、あまりの居心地のわるさに、わたしはこのパーティーも辞した。

 


 そして勇者マルベルが『迷いのダンジョン』で、何者かにからだを傷つけられるという悲劇を経て、彼のパーティーを引き継いだが、無謀なドラゴン退治を決行したせいで、あっという間に全滅してしまった。


 『運がわるい』と言うより、わたしの人生はむしろ不運のほうに恵まれていた。


 十二目——


 突然、ドラゴンが大暴れをはじめた。


 あまりに激しい動きに、わたしは胃の中をごろごろと転げまわった。とても一箇所に留まっていられるような状態ではなかった。横揺れ、縦揺れ、それが間断なく続く。たぶん空に翔んだ瞬間もあったし、何度か炎をはいたのもみえた。

 なにがなにやらわからないまま、腹のなかでなすがままに揺さぶられ続ける。どれくらい時間、それが続いたかわからない。

 

 わたしは気分がわるくなって吐きそうになったとき、ふいにその動きがやんだ。


 しばらくして、上からドラゴンが食べたものが、降ってくるのがみえた。


 それらの直撃を避けようと、わたしはあわてて胃壁のほうへ走った。

 どさどさと喰ったものが落ちてくると、すぐに胃壁から胃液がにじみだしてきた。


 まずい。

 なにか足場になるものを探さねば——


 わたしは落ちてきたものから、胃液から自分を守るためのものを探した。足を踏ん張りやすいほどの大きさで、あまり重たくないもの——


 弟が助けにくるその日まで、わたしは生き延びなければならないのだ。

 待つことがわたしにできる唯一のことなのだから、


 わたしは手ごろの大きさの肉片をみつけ、それに飛び乗った。すぐに呪文をとなえて、浮かびあがらせる。


 今日もいきのびた——


 ふと、胸元から下がっている青い石のペンダントが、薄ぼんやりとした光をはなっているのに気づいた。つまみあげて掲げると、ふわっとした青い光が、あたりをぼんやりと照らし出した。下に目をむける。

 胃液はすでに胃の底にたまっていた。

 自分がぎりぎりのタイミングで、浮上できていたことがわかった。

 光が自分が足場として踏みしめている肉片を照らし出した。



 弟だった——



 腹から半分にちぎられた弟の上半身の上に、わたしは足をかけていたことを知った。


 うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ——


 頭の上のほうにおおきな穴が、ぽっかりと空いていて脳みそが漏れでていた。


 うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ——

 

 腕は肩からもげており、胸にばっくり空いた穴からは心臓がのぞきみえた。


 うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ——


 上からさらになにかが降ってきたが、わたしはもうそんなことに注意をはらえる余裕などなかった。

 おおきな肉片にからだを直撃され、わたしは胃液のなかに落ちた。



 どれくらい経ったかわからない。

 わたしは意識をとりもどした。


 だがなにも見えない。

 あわててからだを起こそうとしたが、足がぴくりとも動かないことに気づいた。左手で足をまさぐる。


 腰から下がなかった——


 おもわず叫んだ。

 だが、なんの音もしなかった。空気が漏れるような、しゅーしゅーという音だけはかすかに聞こえたが、声と呼べるものとはほど遠いものだった。

 手で咽喉をまさぐる。

 咽喉の表面はすでになかった。食道はむきだしになっていて、そのまま直接触れるほどになっていた。

 わたしは泣いていた。

 が、涙は頬を流れることはなかった。


 手で顔をまさぐる。


 顔がなかった——


 すでに顔の肉は溶け落ち、頭蓋骨がほとんど剥き出しになっていた。眼窩にすでに目玉はなく、舌は咽喉を塞げないほどにまで短くなっていた。


 だがわたしはまだ生きていた——


 脳は……どうなってる?


 わたしは頭を触ろうと、ふるえる手を伸ばした。が、指が頭皮らしきものに触れたとたん、左腕がごろんともげた。


 絶望が一気に胸に押し寄せてきた。

 

 なぜそのまま死ななかったのだ——

 そうすれば、弟の死も、もう助けが来ないことも、自分があのボヲんゾのように、手も足もうしない、顔もなにもかも溶け落ちている残酷な事実も知らずにすんだのだ。

 

 そのとき、ふいにひとの声が飛び込んできた。

 なにを言っているのかわからない。だが、わたしのすぐ近くで、多くのひとが叫んでいる声が聞こえていた。

 自分のからだが動かされているのがわかる。

 なにが起きているのかわからない。 

 だが自分が助けだされたことだけは、なんとなくわかった——




 すぐ近くでだれかがしゃべっている声が聞こえた。

 声色からわかい男と、わかい女のようだった。

「……ですよ。あの蒼い石を盗んだせいで、この方は助かったっていうわけですね」


「まぁ、そういうことになりますね。包帯でぐるぐる巻きの、この状態を助かった、というのでしたらね」

 男がすこし皮肉っぽく言ったのがわかった。

「ふつうなら無理ですわ。でもホルトさん、あなたと一緒に来られたシーラン・ミケネー様なら、なんとかしてもらえますわ」

「うしなわれた腕や脚もなんとかなるのですか?」

「時間はかかりますけどね」

「顔は? 完全にのっぺらぼうになっていましたよ」

「このひとはほんとうに運が良いですよ。ミケネー様は高度な修復魔法も修得された大賢者様ですからね。なんとか元の顔に戻せるそうです」


 わたしの心は踊った。

 シーラン・ミケネーという大賢者は、わたしもよく知っている。冒険をしていれば、どうやっても耳に入ってくる。この世界でも一、二、を争うほどの術者であると言うのが一致した意見で、わたし自身もどこかで会えることを願っていた。

 まさか、自分のからだの修復に携わってもらえる僥倖ぎょうこうに恵まれるとは思いもしなかった。

 こんな状態のせいで、直接見ることも、お礼を言うこともできないのがもどかしいほどだ。


 とおくのほうでガチャとドアのあく音が聞こえた。

「ミケネー様!」

 若い女性が声をはずませた。

「やあ、患者の様子はどうかね?」

「いまのところ、命に別状はありません。わたくしたち回復士が交代でマナを吹き込んでいますから……」

「そうか…… ご苦労様。さて、ホルト、そなたに来てもらったのは……」

「シーラン。わたしの記憶が必要だからでしょう」

「うむ。修復するといっても、0からできるわけじゃないからな。そなたの記憶を借りねばならん」

「わかってますよ」


 それからなにかボソボソとやりとりがあったが、しばらくして、ふいに顔が熱くなるのを感じた。隣にだれかが立っている気配がある。

 おそらくシーラン・ミケネーの修復魔術が施されているのだろう。

 嫌な熱さではない。

 顔の血管一本一本に、順番に熱い血潮がみなぎりはじめ、その近くの部位が火照っていく。と、同時にのっぺりとした顔に隆起が感じられる。まるで自分の顔に見えないノミをやさしくはわせて、ひとつひとつの部位を彫られていくようだ。

 そのノミの軌跡はマッサージのように心地よく、わたしはたちまち眠りの底へいざなわれていった

 


「よかったですね」

 意識を取り戻すと、回復士の女性がわたしの耳元に口をよせてささやいた。

「ミケネー様が修復魔法をほどこしてくださいました。時間はかかりますが、すっかり元通りになりますよ」

 

「それにしても、運がいいですね。あの蒼い石をもっていなければ、命は助かりませんでしたわ。王立軍の精鋭部隊ですら歯がたたなかった、というのに、ホルト・クロイツ様はひとりであのドラゴンをやっつけちゃたんですから……」


「しかも大賢者のミケネー様まで一緒だなんて、信じられません。あんなすごい方がいらっしゃらなければ、とても元の顔に戻すなんて無理なんですよ。こんな運のいいことってないわ——」



「ボヲんゾさん」



 わたしは耳をうたがった。

 ボヲんゾ?


 どういうことだ?????

 なぜ、コーン・ロッドではなく、ボヲんゾと呼ばれているのだ?


 わたしの頭のなかは、疑問符だけではち切れそうなった。

 だが、すぐにその疑問符は感嘆符に変わった。


 そうだ、あの青い石を盗ませたのは、あの醜いハーフ・オーガだ。

 盗まれたホルトという若者が見た姿は、あのクソ野郎だったのだ。


 そして、いまわたしは、顔の形も、皮膚の色も、背の高さもまったくわからないほどの状態になっているのだ。おそらく性別すらわからない。

 だから——


 やめてくれ——

 あんなみにくいハーフ・オーガなんかになりたくない。


 頼む。

 わたしは人間だ。

 コーン・ロッドという人間族の者だ——


 回復士はなにも答えてくれない。

 当然だ。

 口もきけない、目で合図もできない、指先で伝えることも、手話をつかうこともかなわないのだから——


「もしかしたら、あなたは異世界で一番運がいい方なのかもしれませんねぇ」

 回復士が勝手気ままに、自分の意見を言い聞かせてくる。


 ちがう!

 そんなわけない!

 あんな下劣な種族にさせられるのが、運がいいわけがない——


 お願いだ。

 あんな劣った種族になるなら殺してくれ!!!!

 

 死なせてくれ——


 わたしには噛みきる舌もない、えぐるべき目も、首をしめたくても手がない——


 頼む、殺してくれ——


 たのむ——


 ころしてくれ——



 だれか—— わたしをころして——



------------------------------------------------------------

どうでしたでしたでしょう。

異世界にまつわる恐怖の13の奇譚。


最後にミケネーとホルトの旅の終着点をエピローグとして語らせていただき、この奇譚を終わらせたく存じます。




【※大切なお願い】

お読みいただきありがとうございます!


少しでも

「おもしろかった」

「続きが気になる。読みたい!」

「このあとの展開はどうなるの?」


と思った方は、

『☆』 や『♥』で、作者への応援お願いいたします。

正直な気持ちでかまいません。反応があるだけでも作者は嬉しいです。


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