第12話 異世界の食堂

 サーベラス伯爵の食事会に招かれるほどの幸せはない——

 おどろくほど豪華な屋敷で、数百人規模で開かれる食事会は、あなたがたも一度は憧れたことがあるのではないですか?

 聞いた話では、この世のものとは思えない料理が、次々とサービングされてくるとか。

 見ただけで心拍数がはねあがるような料理。

 口にいれれば五臓六腑を刺激するような食感を味わえ——

 飲みこめば、その味に人生を変えられるほどの衝撃をうける、といいます。

 ただ—— 特別料理ゆえ、食あたりだけにはくれぐれもご注意くださいませ。 



第十二話 異世界の食堂--------------------------------------

「サーベラス伯爵の食事会に招かれるほどの幸せはない、って聞きますからね」


 正面に座ったミョントス・ミョンミョンという行商人が、興奮を隠せない様子で言った。 馬車の車輪の音に負けまいと、声を張りあげるので、耳が痛くなるほどだ。


 オッコス・メルメルトはうんざりとした顔をわざとあらわにして答えた。

「ああ、そうだね。だが、食事会というのは、この馬車に乗ったところからはじまっているのだよ。すこしは静かにしてもらえると、ありがたいね」

「ああ、これは失礼。ですが興奮するな、というのが無理っていうものでしょう。わたしゃね、サーベラス伯爵の食事会に招かれる機会を10年以上も夢見てたんですから」


「まぁ、ミョントスさんの気持ちもわからないではないですわね」

 そう賛同してきたのは、ミョントスの隣にすわる太っちょの女性だった。

「なにせ王の主催するパーティーより参加するのが難しいという話ですもの。わたくしも夢のまた夢でしたから、ちょっと緊張しておりますわ」

 

 彼女は人生で一番の晴れの席に、目一杯のおしゃれをしてきているらしかった。でっぷりとしたからだに、これみよがしに宝飾品を身につけていた。だが、やけにこみいったドレープがほどこされた高級そうなドレスは、お世辞にも似合っているとは言えない。肌の色にうっすら緑がかかって見えるので、もしかしたらオーガの血がまじっているのかもしれない。


「静かにしてほしいのは、わしもおなじだがね」

 かすれた声で言ってきたのは、年期のはいったローブをまとった老人だった。フードを深くかぶって、顔をふせていたので、よく見えなかったが、手の皴などから相当に年を重ねているのがすぐにわかった。


 だが、ミョントスはそんな要望にはおかまいなしに話を続けた。

「いえね、行商の途中で偶然立ち寄ったこの街で、いきなりサーベラス伯爵様の招待状を受け取ったもんですから、もうわたしゃ、舞いあがってしまいましてね。で、ふと気づいたんですよ。こんな立派な食事会に着ていく服なんか、ありゃしないってね。もう大慌てで仕立屋に飛び込みましたよ」

 ミョントスは指を二本たてた。

「急あつらえさせたもんだから、二倍、二倍もふんだくられたんですよ。それでもまぁ、一生に一回の晴れ舞台に、いかにも商人の小汚い格好で参加するわけにはいかんでしょう」


 オッコスは自分の身なりに、ちらりと目をむけた。着飾っているわけではないが、公の場にでて恥じる必要のない必要最低限の格好だ。心配ない。



 サーベラス伯爵の屋敷は想像していたものより豪邸だった。

「いやぁ、これはみごとです。わたしゃね、商売柄、世界の豪商の邸宅にお邪魔する機会に恵まれましたが、これほどおおきな屋敷はみたことがありません」

「たしかに柱や梁にほどこされたレリーフや細工は、芸術品のようですわね」

 オッコスは建物の価値などには興味がなかったので、口をひらくことはなかったが、老人も屋敷を一瞥しただけで、なにも言おうとしなかった。




「こちらへどうぞ」

 コルトスと名乗る執事が客たちを出迎えた。洗練された身のこなしと、よどみない口調で、建物の特徴などを説明すると、大広間のほうへみんなを誘導した。


 大広間にはゆうに100卓を数えるテーブルが並べられ、すでに招待客のおおくが座っていた。


「もうずいぶん集まってますのね。何人くらいいらしゃるのかしら?」

 太っちょのレディが執事に質問をなげかけた。

「はい。今回は400人お招きしております」


 なかに足を踏み入れると、その大広間の豪華さに圧倒された。

 柱や梁にはこまやかな彫刻がほどこされ、高い天井に描かれた緻密な宗教画は色鮮やかで、つい見とれてしまうほど見事だった。天井からは、どっしりとした照明器具がいくつもぶらさがり、明るい光を投げかけていた。照明器具自体も壮麗さを感じさせるデザインで、部屋全体を豪奢に印象づけるのに一役かっている。


「あの照明器具は、シャンデリアと呼ばれるもので、いくつもの光魔石を埋込んでおります」

「光魔石を!」

 ミョントスが大声をあげた。が、さすがに自分でも、はしたなかったと思ったらしく、あわてて言い訳を言いはじめた。

「だって、光魔石ってとんでもなく希少で高価な石ですよ。あたしゃね、いろんな国で行商をしてきましたけどね、光魔石の実物を見たのは二回くらいしかないんですよ」

「ミョントスさん、光魔石の希少さはみんな知っていると思いますよ」

 オッコスがミョントスをそうたしなめると、執事のコルトスは事務的に捕捉した。

「はい。これだけ集めるのには、ずいぶん時間がかかった、との話です」

「そ、そうでしょうね……」

 下世話な話題を口にしたのが、恥ずかしくなったのか、ミョントスはことばを濁した。


 オッコスたちは係員に誘導されて真ん中付近の席についた。テーブルは4人で一卓が割り当てられており、オッコスの右隣にミョントス、左隣に太っちょのレディ、正面にローブ姿の老人が座った。

 給仕の者はひとつのテーブルにつき、二人割り当てられていた。スムーズなサービングのためとはいえ、いささか過剰な接客ではないか、とオッコスは思った。


「いやぁ、オッコスさん。わくわくしてきましたね」

 ミョントスが興奮の色を隠せない様子だった。オッコスは食事のときに、この調子で話しかけられるのは勘弁してほしかった。じっくりと味わいたいので、できるなら席を変えて欲しいところだ。




「お集まりのみなさま……」

 ふいに正面のステージから声がした。執事のコルトスだった。

「この食事会にご参加いただきまして、まことにありがとうございます」


 いよいよはじまる食事会の期待に、まわりの人々がいくぶん顔を上気させて、コルトスの口上に耳を傾けていた。


「それでは、本食事会の主催者にして、本屋敷の持主サーベラス伯爵を紹介いたします」

 客たちのあいだから、盛大な拍手が巻き起こる。

 みな、コルトスが手で指し示した、上手側のドアのほうを注目する。



 サーベラス伯爵は天井から、降りてきた。

 頭を下にした状態ですーーっと滑るように降りてくると、音もなくステージの上に降りたった。

 ひとめで仕立てのよさがわかるタキシードに身を包み、きっちり整髪した短い髪の毛、口元にはたくましい口髭マスタッシュ。気品が漏れでるような笑顔で、両手をひろげて宣言した。

「さあ、晩餐会のはじまりです!」

 だが、サーベラス伯爵には、脚が八本あった。パリッと着こなしたジャケットの下、腰の位置から、毛むくじゃらの足が八本つきでいてた。

 まるで、蜘蛛だった——


 だれもがことばをうしなっていた。

 立ちあがっていたものは座ることもできず、拍手していた者も手のひらを打ち合わせたまま身動きできずにいた。


「さあ、スープです」

 各テーブルにいっせいに皿が運ばれてきた。オッコスは目の前におかれた皿に眼をやった。


 そこには、赤ん坊の手がいくつも浮かんでいた——


 手首から斬り落され、どす黒くなった切断面をこちらにむけている、赤ん坊のちいさな手のひら。隣のミョントスが反射的に両手で口元をおさえるのが見えた。

 給仕係がうやうやしく説明した。

「それは、『アカゴノテノヒラモドキ』という蝶の幼虫でございます」

 

 ちいさな指先にみえた部分は胴体で、切断面にみえたのは黒い顔の部分だと言う。

 オッコスはそれを口にする気には、とうていなれなかった。


「さあ、ぜひお召し上がりください」

 すぐ真横に立っている給仕係が、顔がゆがむほどの笑顔で勧めてきた。オッコスはやんわりと断ろうとしたが、ふと、まわりにいる給仕係が全員おなじ顔で微笑んでいることに気づいた。まるでそんなお面でもかぶっているかのようだった。


「こ、こんなもの食べられるかぁぁ!」

 広間のうしろのほうから怒りにみちた声がきこえた。

 オッコスからはかなり遠く、客のあたまも邪魔をして、どんな人物かはわからなかったが、中年の男らしことだけは見てとれた。


「お客様、食べていただけなければ、困ります」

 その中年男性付きの給仕が、にこやかな笑顔を崩さないままお願いした。


「ば、バカをいうな。こ、こんな気色のわるいもの、食えるわけないだろうがぁ!」

「ですが、高名な料理人の元で修業された、料理長シェフの自慢の料理なんですよ」

「うまいわけないだろう。いや、たとえうまかったとしても、こんな形状で、ましてや蟲など、喰いたくない!」


「やれやれしょうがないですね」

 給仕は面倒くさそうにそう言うなり、その中年男性の咽喉をかき切った。

 どっと血がふきだしフロアに血飛沫ちしぶきが飛び散る。男性は咽喉を必死でおさえたが、ゴボゴボという音を立てながら、その場に倒れるとそのまま動かなくなった。

 会場は一瞬にして静まりかえった。悲鳴すらあがらなかった——

 会場にはすくなからず女性の姿もあったはずだったが、あまりの事態にだれも声をだせずにいた。代わりに聞こえてきたのは、皿のスープをすくいあげるスプーンのカチャカチャいう音だった。


 オッコスは隣のミョントスのほうを見た。彼は顔をひきつらせていたが、テーブルの上のスプーンへ手を伸ばしていた。伸ばした手がぶるぶると震えている。

 ミョントスは左手で震える右手を押さえつけながら、スプーンを皿にさしいれて、すくいあげた。

「ま、まるで……『カブリムシ』の幼虫じゃないですか……」

 ミョントスはこちらにギリギリ聞こえるような声でつぶやいた。嫌悪感を共有しあえれば、すこしは気持ちわるさが和らぐとでも思っているようだった。

 スプーンを口に入れる瞬間、ミョントスは救いを求めるように、チラリとオッコスのほうへ目をむけた。そして涙をにじませながら、それを咀嚼そしゃくしはじめた。

 その様子を横目でみながら、オッコスも腹を括った。

 

 アカゴノテノヒラモドキは、まさに赤ん坊の手のひらにしか見えない蟲だった。すべすべとした表面、ぶよぶよとした質感、すこし赤みがさした色合い。

 さきほどミョントスが言った、カブリムシの幼虫という比喩は言い得て妙で、たしかにぶよぶよとしたゼリーのような身体に、硬くて黒い顔がついている点はよく似ていた。 


 オッコスはゆっくりとスプーンで運んで、口の中にさしいれた。

 舌にムシの表面が触れる。カブリムシの幼虫を手で触った感覚と比べると、はるかにやわらかい。こちらは皮膚がうすくて弾力も感じられない。

 思い切って、歯をたててみる。

 軽く歯を立てただけなのに、うすい表皮がべろっとやぶれた。なかからどろっとしたクリーム状のものが流れ出た。クリームは妙にべたついて、舌にからみつく。

 いやな舌触り——

 と同時に、むせ返りそうな臭いにおいが、口腔内に広がった。勇者が浴びたゴブリンの返り血の匂いに似ている。

 

 オッコスはあわてて吐き出そうとして、得も言えない違和感に気づいた。


 この蟲はいきていた——


 スープのなかに目をおとす。

 スープのなかで、五本の指を器用に動かしながら、赤ん坊の手がハイハイしていた。


 オッコスおもわず嘔吐えずいた。胃酸がこみあげて、そこらにぶちまけそうになる。だが給仕に殺された者の悲鳴がどこからか聞こえてきて、あわてて口を両手でふさぐと無理やりに飲みこんだ。

 目から涙があふれる。


 耐えられない——

 喰わなければならないのか……これを? こんなしろものを?




「次は『羽モノのサラダ』でございます」

 なんとか一品目をたいらげたオッコスの前に、次の皿が運ばれてきた。


 オッコスはその皿をみなくても、それがろくでもない料理であるとわかった。

 ほかのテーブルに運ばれてくる皿から、その『野菜』が茶色い羽根を羽ばたかせて、あちらこちらに飛んでいたからだ。 


 羽虫の羽根のサラダだった。

 表面が油のようなものでツヤツヤしている薄くすけた茶色の羽根に、緑色の羽根、そして光の加減で毒々しい虹色を帯びる薄い羽根。生理的に嫌悪をかんじる派手な柄と色の、三角形の羽根はうごくたびに、サラダのうえに毒々しい色の鱗粉りんぷんをふりまいている。


 羽虫から羽根をむしったものにドレッシングをかけている単純な料理なはずなのに、なぜかまだ動いているものあった。

 オッコスがかまわずフォークを突き刺すと、まるで断末魔の痙攣のように、ビリビリというけたたましい羽音をたてて暴れた。皿の上に鱗粉がまいあがる。

 

 オッコスはかたわらの給仕係のほうに目をやった。

 どうやって食べればいい、と目で訴えたつもりだったが、給仕係は貼りつけた笑顔をこちらに軽く傾けただけだった。

 おおきなため息が自然にもれる。

 覚悟をきめて、指先で羽根を何葉かつまみあげると、そのまま口にねじこんだ。歯でかむと、ギギギギギ、と羽音をたてて、羽根をばたつかせる。それを無理やり噛む。

 ザリザリッ、という音がして羽根がかみ砕かれ、羽根を支える太い脈、翅脈はみゃくが折れる、パキリ、パキリという音がまじりはじめる。


 堪えがたい食感——


 あぶらでじっとりとした茶バネは、口中にどろっとした脂がしばらくの間まとわりついた。緑の長い羽根はやたら硬く、尖鋭部分で口を切りそうになる。派手な柄の三角形の羽根は、嫌な臭いとともに鱗粉が口中にはりついて、チャバネの脂とまざって、得も言えぬエグミを生んだ。とても口のなかにとどめていられない。

 スパイシーな風味のドレッシングで、なんとかごまかしながら飲みこむしかなかった。


 なんとか完食できそうだ。

 そう思ったとき、大広間の西側から悲鳴があがった。

 また食事を拒否した招待客が、給仕係に殺されたのかと思ったが、どうやら様子がちがっていた。

 かっぷくのいい紳士が半裸になって、必死に自分のからだをかきむしっているのだ。

「た、助けてくれ。こいつを取り出してくれ!」 

 紳士はなりふりかまわず、ズボンをぬいであっというまに全裸になった。全裸になったまま、床をころがりのたうち回る。


 うわぁぁぁ——


 オッコスからふたつほど離れた、近くのテーブルでも悲鳴があがった。

 そこでは老紳士が服をぬぎすてて、床にころがりのたうち回っていた。ミョントスが反射的に老紳士に駆け寄ろうとしたが、自分の給仕係にうしろから肩をつかまれて阻止された。

「お客様。お食事中ですよ」

「いや、ですが、あそこの紳士は……」

「ご心配なく……ただの食あたりですよ」


「食あたり? そんなわきゃないでしょうよ。だって……」

 ミョントスが素っ裸になっている老紳士のほうを見た。


 老紳士の胸の皮膚の下を、ちいさな手が這いずりまわっていた。

 赤ん坊のちいさな手——


 外から見てもわかるほどに、くっきりと赤ちゃんの手が手を曲げ伸ばししているのがわかる。その手は、頬の皮膚の下や、首筋、背中、臀部までに現われた。老紳士はからだのいたるところを、赤ん坊の手に這い回られて、大声で叫びながら暴れ回っていた。


 が、すぐに彼は沈黙した。

 老紳士付の給仕係が彼の咽喉を掻き切っていた。ひゅーひゅーと咽喉を鳴らしていたが、老紳士は血溜まりのなかで息絶えた。

「この程度で食あたりするようなお客様は、客とは見なせませんので……」


 その給仕係はまわりの客にむかって、そうエクスキューズすると、死体を片づけはじめた。


「メインのお肉料理でございます」

 サラダのあと何品かこなしたあと、メインディッシュが運ばれてきた。

 

 その後の料理もすくなからず往生した——

 ツバメバチの頭は、毒のある胴体をはずしていたが、首だけになっても生命力が強く、生来の獰猛さもあって、口のなかのいたるところを噛みついてきた。おかげで食べ終わるころには、口のなかは血だらけになっていた。


 次のカレーというスパイシーなルーがかかった料理は、ふつうに食欲をそそった。が、ルーをかけられたライスが、ライスではなくウジ虫と言われるハエの幼生だった。生煮えだったため、口からもぞもぞと這い出ようとするのには辟易とさせられた。

 

 メインの肉料理は、いっけんまともそうにみえた。

 ぶ厚い動物のカット肉は、ふだんたべているステーキ、そのものであったし、ベリーレアでかるく火を通しただけのピンク色の肉の断面は新鮮そのものだった。

 オッコスはすこしホッとした思いで、フォークとナイフをとりあげた。


 そのとき、肉のすきまから、体長1〜2センチメルトの小さな線虫がにょろにょろと這いだしてきたかと思うと、あっというまに肉をおおいつくした。


「さぁ、どうぞ、召し上がれ」

 給仕係が耳元まで口角をひきあげた、いびつな笑顔で勧めてきた。オッコスは隣のミョントスを見た。彼はナイフとフォークを構えたまま、身動きできずに固まっていた。

 オッコスは彼が当然ためらっていると思ったがちがった。彼はこちらに顔もむけず、食べようとする姿勢のまま囁いてきた。


「オッコスさん、この虫、わたしには覚えがあるんです?」

「この虫を知っているのですか?」

「はい。ですが、思い出せない」

「でも食べるしかないのでは?」

「これはとても危険な虫なんです。でもどう危険だったのか……思い出せない」


 そう言いながらも、ミョントスはナイフの先で一匹を押さえつけた。からだが動けなくなって、虫はあがきまくったが、やがてナイフの刃の部分で、プチンと切れて、二体の虫になった。


 きゃぁぁぁぁぁぁぁ——


 そのとき女性の悲鳴があがった。

 オッコスは悲鳴の方角に目をむけた。ミョントスはたちあがって、その悲鳴の中心にいる人物を注視している。

 そこには痩せぎすのコボルト族らしき若者が立っていた。

 ぼーっと視点が定まらぬ様子で、からだをゆらしている。口のまわりに肉汁が付着し、くちびるの端から、線虫がはみでてにょろにょろと、体躯をくねらせているのが見える。


 この肉を食べたのはまちがいない。

 

 と、両方の目玉がメキョっとあらぬ方向をむく。彼の眼球のなかを、するすると線虫が動いているのがみえた。

 目の端からうにょうにょと線虫がはいでてくる。鼻の穴から、口の端、耳の穴からもぞろぞろと這いだしてきはじめる。


 あーーー


 彼は人間とは思えない、すくなくとも、コボルトらしからぬ低い声をあげた。と同時にものすごい勢いで、ちかくにいた女性に襲いかかった。女性はあわてて逃げようとしたが、コボルトはガチガチと歯をならしながら迫り、背の低さなどものにしないほど跳びあがって女性の首に噛みついた。

 

 ふいにミョントスが叫んだ。この虫の正体を思い出したらしい。

「みんな、ダメだ!。この虫を食べてはだめだぁぁぁぁぁ!!」


 だが、もう手遅れだった。

 数人がコボルトの青年同様、われをうしない猛獣のような形相で、近くのひとに襲いかかっていた。

 大広間はパニックになりかけた。

 が、給仕係は客に襲いかかった者をすぐに始末した。最初の一人目の女性は大けがをおったが、それ以外は襲いかかる寸前で切裂かれていた。


「みなさま、食あたりですよ!」

 ひな壇のうえから、執事のコルトスが言った。

「ですが、これを食べて食あたりをされるような客は不要です」


「そいつはハリガネムシの仲間、『アヤツリムシ』だ。ほかの虫に寄生して、意のままに操るおぞましい虫だ」

 ミョントスがコルトスのほうを指さして叫んでいた。会場中の耳目がいっせいに、オッコスたちのテーブルに集まる。


 コルトスはゆっくりとこちらのテーブルへ歩いてきながら言った。

「ええ、そうですよ。お客様」

 コルトスは悪びれることはなかった。

「ですが、これを口にしてこの虫に操られるようでは困るのです」

「こ、困る……?」

「はい。それでは、わたしたちの仲間の寄生先としては不向きなのですからね」

「な、なにを……」

「試験ですよ。耐性試験です」


「この食事会で拒否反応を起こさなかった者だけが、わたしたちの宿主となれるのです。それを選定するための試験なのですよ、これは」

「し、しけん……」

「合格することがどれほどほまれかわかりますか? わたしたち虫属性の魔属の、苗床ならぬ『虫床』になれるのですから」


「だから巷間で囁かれてるのです。 サーベラス伯爵の食事会に招かれるほどの幸せはない——」

 コルトスは顎をくっとあげて、誇らしげに言い放った。

「——だが、そこで『虫床』に選ばれることほど、誇らしいことはない、ってね」



 ミョントスがドスンと椅子の上にへたりこんだ。がく然とした表情の顔からは、血の気がひいている。オッコスはなにか声をかけようとしたが、上からあの給仕係が自分たちを睨みつけているのに気づいてやめた。

 ミョントスの隣にやってきたコルトスが、近くのテーブルの客たちにむかって言った。

「さあ、お客様がた。お食事をお続けください」


 オッコスは嫌悪感いっぱいにした顔をコルトスにむけてから、しぶしぶフォークとナイフを手にした。

「で、できない……」

 ミョントスが咽喉の震わせながら言った。

「虫の魔属の栄養分になるくらいなら、人間として死ぬほうを選ぶ」


 ミョントスはテーブルに手をついてよろよろと立ちあがると、ステーキナイフを自分の首元につきつけた。


「わたしゃ…… いや、わたしは自分の命をおまえたちに自由にさせやしませんよ!」


 ステージのほうへ戻っていこうとする、コルトスの背中に声を投げつけた。コルトスは一瞬歩みをとめたが、振り向くこともなく言った。

「やれやれ、あなたは良い『虫床』になる素質がありそうだったのですけどねぇ」


 

 まわりのテーブルでカチャカチャと音がした。

 ミョントスの覚悟を見せつけられて、おおくの人々が彼とおなじ選択をしたようだった。


「おれの命も、おまえらに好きにさせてたまるかぁぁ!」

「私も自分の運命は自分で決めるわ!。虫なんかになってたまるもんですか!」

「殺されてたまるか!。オレは最後まで戦ってやる!」


 ひとびとの決意表明が、怒号や鬨の声となって、広間に響き渡った。


「それでは望み通りにしてあげましょうかね」

 コルトスはそう言うと、ステージ中央にすわっていたサーベラス伯爵のほうへ目をむけ許可をもとめた。

「サーベラス様。今回は『虫床』ではなく、わたしどもの『食事』になってしまいますが、よろしいでしょうか?」

「うむ、仕方あるまい」

 そう首肯しながらも、数本の脚をカチカチと床に打ちつけて、苛立ちをあらわにした。


「係の者、そういうことだ」

 コルトスが給仕係たちに言うと、彼らは嘘っぽい笑い顔をふっとやめた。そしてグルンと首をまわしてから、客たちを見おろした。


 カマキリの顔がそこにあった。

 凶暴さを体現させる逆三角形の顔、捕食者の口、そしてその腕は、ひとふりで頭を刎ねとばすような、おおきなカマになっていた。

 恐怖の色を帯びた悲鳴ともどよめきともつかぬ声があがる。


「さて……」

 オッコスの真正面から声が聞こえた。

「どうやらお開きの時間らしいな」

 やけに落ち着き払った声。正面に座っていたローブ姿の老人だった。


「おまえさん。なかなかがんばったよ」

 老人はミョントスの元にくると、彼の肩をかるくたたいた。


「あとはわしが引き受けさせてもらう。元々そういう依頼を受けておるのでな」

「依頼……? な、なにを?」

 ミョントスは目を白黒させていた。オッコスもこの老人がなにを言っているのか、まったくわからなかった。

「なにを? きまっておろう。魔族退治だよ」


「た、た、たいじぃ… ど、どうやって……」


 うわぁぁぁlーーーーーー


 フロア内のあちこちで悲鳴があがった。

 正体を現わしたカマキリの給仕たちが、いっせいに近くの客たちにむかってカマをふりあげていた。

 老人が天井にむかって手をつきあげる。一瞬、空中でちかちかと光がまたたいた。


 オッコスにはなにが起きたのかわからなかった。

 まわりでカマキリの給仕たちが、カマをふりあげたまま止まっていた。正確にはカマを振り降ろそうともがいていたが、どうやってもできずにいるようだった。


「しばらくの時間稼ぎだがな」

 言い訳するように老人が言った。おもわずオッコスが尋ねた。

「あなた、何者なんです?」

「わしか?」

 老人はフードをゆっくりとおろしてから言った。


「わしはシーラン・ミケネー。自分で言うのもなんだが、この世界で十指にはいると言われている大賢者だよ」


「そいつは嘘ですね」


 横から青年がわってはいってきた。

「このひとは、この世界で三本指にはいる、大賢者ですよ」

「三本指?」

 オッコスは目をぱちくりとした。


 シーランは青年をちらりと見るなり、鼻をならした。

「ふん、おまえさんか ずっとわしを追いかけてきているのは知っておったが、ここまでくるとはな……」


「うれしいな。気づいてくれてたんですね?」


「ああ…… だが、あいさつはあとだ。ホルト、ホルト・クロイツ」

「ええ」

 ホルトは手に持ったステーキナイフを、前に突きだしながら言った。

「まずはこっちを片づけましょう。どうすればいいですか、ミケネーさん」


「シーランでかまわん」


「じゃあ、シーラン、どうします?」

「わしはあの執事と、親玉の蜘蛛野郎を片づけるから、おまえさんは……」

「このカマキリどもを全滅させればいいですか?」

「ああ。手早く頼む」

「手早くですか? では……」

 シーランが掲げていたステーキナイフを蒼い炎がおおった。それがぼうっと一気にふくれあがったかと思うと、ナイフはおおきな剣になっていた。

「五分ほどいただければ」


 シーランがにんまりと頬をゆるめた。皴が顔いっぱいにひろがる。

「五分もかね?」

「だってこんなにいるんですよ」

「わしはおまえさんなら、こんなの朝飯前だ、と踏んだんだがね」 

「朝飯前って…… シーラン、今、晩飯が終わったとこですよ。食えたものではなかったですけど……」

 ホルトが苦笑した。

「まぁ、あなたがそう見立てるのでしたら、手早くやってみせましょう。ですがその前にやることがあります」

「ああ、そうだな」

 シーランがそう言った瞬間、オッコスの頭はホルトの剣で刎ねられていた。


 オッコスは自分の視界にテーブルの脚しか映ってないことに気づいて、自分の頭が斬り落とされたことがわかった。

「ど、どうして……」

「おたく、魔族の臭いがぷんぷんとしてるですよね。自分じゃ気づきませんでした? あいつらと同族でしょう?」

「そ、そんな、オッコスさんが魔物だなんて、そんなはずない……」

「ミョントスさん。切られた首がしゃべってるんですよ。それが証明です。まぁ、あと5分もすれば、くたばりますけどね」

「おおかた、食事会にまぎれこんで、ただ飯にありつこうとでもしてたのだろう」

 シーランの口ぶりは、あからさまに興味なさげだった。オッコスは怒りを爆発させた。


「わたしはこの食事会の料理長の師匠だ。弟子の料理を試食しにきたのだ」


「ほう。あのひどい料理を手ほどきしたのは、そなたであったか」

「わたしはこんなひどい料理を教えた覚えはない!」

 オッコスは自分の生気が弱まっているのを感じながらも、憤りをたぎらせずにいられなかった。


「あの『アカゴノテノヒラモドキ』はけんを抜いてないから動き回るし、火の通し方が甘くて中身がどろどろしたままだ。とても食えたものではない。羽物のサラダは本体をしっかりむしりきってないので飛び回り、羽脈がしっかり処理されてないからバリバリとした食感になる。それにあの肉! 線虫の詰め込みがへたくそすぎる。本来はナイフをいれてはじめて、とろりと線虫が流れでてくるべきなのだ!」


「見た目もひどかったけど、調理方法もなってなかった、っていうわけですか……」

 ホルトが苦笑いしながら言った。

「まぁ、おたくが完璧に調理をしても、ぼくは二度と御免ですけどね」


「さぁ、ホルト、無駄話はそこまでにして、さっさと腹ごなしといこうじゃないかね」

「了解しました、シーラン」


 やがてオッコスの目の端に、次々と倒されていくカマキリ族の姿が映った。

 ホルトはテーブルを飛び移りながら、カマキリたちを叩き切っていた。おそらくシーランという老人は、とっくにサーベラス伯爵とコルトスを討取っているだろう。

 この勢いなら自分の命が尽きる前に、すべてが終わっているかもしれない。


 くやしい——

 自分のさいごに口にした料理が、こんなにもまずいものであったことが我慢ならない。


 腹立たしい——

 手をかけて育てた弟子が、あんなにひどい料理を平気で客に出していることが許せない。


 だがいいこともある——

 この弟子はおそらくホルトに斬って捨てられるだろう。これ以上、ごみ溜めのようなものを、わたしの料理と称して、お客様にふるまわれずにすむ。

 


 オッコスの意識がなくなりかけたとき、一度だけ視界をミョントスが横切った。彼は招待客たちを避難誘導していた。


 一瞬たりともこちらに目をむけることはなかった。



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