第11話 エルフ殺しの勇者

 妻であるエルフをダンジョン内で殺害した罪に問われた勇者の裁判——

 世間を騒がせた事件でしたので、お聞き及びのかたがたをいらっしゃるでしょう。

 勇者は事故で妻の頭を刎ねてしまったと主張していましたが、現場に残された状況は、それをくつがえすものでした。パーティーの仲間の証言も、事故ではなく故意に殺害したことを示唆しています。

 事故と言い張る勇者に対して、検察官はそれを証明するために、殺されたエルフ本人の霊を召喚する強硬策を用意していました。

 あの世から連れ戻された妻のエルフが語った真相とは——?


第11話 エルフ殺しの勇者------------------------------------------------


「静粛に!」

 裁判長のゴードリー・ラムシスは、木づちを叩きつけて言った。


「今より、エルフ殺し裁判をとりおこなう!!」


 裁判官と検察官、そして弁護人だけの簡素化された裁判——

 だが、この剣と魔法の世界で裁判がおこなわれることはめずらしい。

 ましてや、勇者が裁かれるというのは、そうあるものではない。

 おかげで20席ほどの傍聴席は満員となっている。


 ゴードリーは目の前の被告人席に立つ男に目をやった。


「被告人、勇者マルク・ライデン!。そなたは11の月、14の日夜、ババリア・ダンジョン内で、自分がリーダーを務めるライデン・パーティーの仲間で、そなたの妻でもあるエルフ、ミーミャ・ライデンを殺害した罪に問われておる。これに相違ないか?」


 男が顔をあげた。やつれた顔——

 だが、骨太な意志を感じる英雄然とした面立ち。なにごとにも不退転の覚悟で突き進む、頑固なまでの正義感をまとわせている。

「裁判長。まちがいありません。わたしマルク・ライデンは、妻ミーミャの首を刎ねて殺してしまいました」


「ふむ。罪を認めるのだな。なぜ、首を刎ねた?」


「はい。あれは事故でした……」


 勇者はそのときの経緯を語った——




■勇者マルクの証言——————

 ババリア・ダンジョンは、宝物の埋蔵量がおおいダンジョンとして有名で、とくに5階層から下は、それ一つで豪邸が立つほどの希少なレア・アイテムが残っていると言われていた。

 当然、攻略を試みる冒険者は多かったが、5階層以下には『狂気の魔導士』によって、知恵と欲と力を増幅された凶悪なゴブリンが跋扈ばっこして、容易には近づけなかった。ゴブリンは組織だって冒険者たちを襲い、女であれば種族関係なく陵辱し、自分たちの子供を生ませた。

 なんとか宝物を手にいれても、冒険者を狙う盗賊に襲われて奪われるため、クエストを完遂させることは容易ではなかった。


 マルク・ライデン率いるライデン・パーティーは、5階層でゴブリンたちの攻撃を退け、『緑の玉座』と呼ばれる部屋で、『宝玉の短剣』を手に入れた。

 彼らは急いで帰路についたが、4階層で濃い霧に包まれ方向感覚を奪われた。


 そこにゴブリンの襲撃を受けた。


 勇者マルクは仲間を上階へと逃すためにひとり残って、追ってきたゴブリンと戦った。

 濃い霧に視界を奪われたマルクは、めくらめっぽう剣をふりまわして、ゴブリンを斬り伏せた。

 が、全部を倒したと思ったところに、人影がゆらめき、マルクは反射的に剣をふるった。


 それはミーミャだった——


 白い霧を切裂いた先に、心配して駆け寄ってきたミーミャがいた。


「それが妻、ミーミャだとわかったときには、もう剣は彼女の首に……」

 そこまで言って、マルクはうなだれた。

「裁判長、わたしに罪を与えてください。事故であったと言っても、わたしが妻に手をかけたのは事実です。どうか一番きびしい、一番重たい罪を与えてください」

 マルクは涙をながしながら懇願した。



「裁判長!」

 検察官がかるく挙手した。

 物事を斜に見るような目で、少々卑屈なしゃべり方をする男。耳がわずかに尖っており、噂では8分の1だが、エルフの血が混じっているのではないかと囁かれていた。権威づけのためか、地平線のかなたまで見通せるほど目が良いはずなのに片眼鏡をかけ、そのチェーンをわざとらしく、いじくりたおしている。

 裁判官は公平であるべきだが、ゴードリーはこの男を好きになれなかった。


「検死の結果がここにあります。それによると被告人マルクの証言と、事実はいささか異なることが判明しているのです」

「検察官、それを開示してください」



■検察官の見解——————

「さて、被告人マルクは誤って、被害者のうつくしく若いエルフ、ミーミャさんに意図せず……」

「異議あり!」

 弁護人から声があがった。

「被害者の容姿や年齢は、本件には関係ありません。意図的に憐れみを誘うような証言は避けていただきたい」

「異議を認めます」


「ごほん、被告人は被害者のミーミャさんに意図せず、刃をふるったと言っておりますが、検死の結果では、ミーミャの首はうしろから切断されたことが判明しております」


 陪審員席と傍聴席がザワッとざわつく。

「どういうことです?」

「被告人の証言によれば、正面からやってきたミーミャさんを、横に一閃して首を刎ねた、ということですが、それなら挫滅傷は首の喉元にあるはずです。ですが、検死の結果、挫滅傷は、うなじ側、うしろにあるのです」

「それはどういう意味です」

「被害者ミーミャさんは、うしろから斬られたということです」


「異議あり!。わたしたちの今の『魔・法医学』で、そこまで特定できるはずはありません」

「検察官。わたしも弁護士と同意見です。なにをもって、うしろから斬ったと言うのですか?」


「見たものがいるのです」

「目撃者が?」

 傍聴席がざわざわとしはじめた。


「はい。裁判長。証人を喚問してよろしいでしょうか?」


■弓使いポークスの証言——————

 裁判長席の右側にある証人席に、ひょろりとした少年が着席した。


「ぼくは弓使いのポークスと言います。そこにいるライデンさんのパーティーで弓使いとして、一緒に冒険をしていました」

「さて、ポークスさん」

 検察官が片眼鏡のふちをわざとらしくこすりながら尋ねた。

「あなたはここにいる被告マルク・ライデンが妻のミーミャさんを殺すところを見たと……」


「異議あり! 殺すということばで、殺人を断定しています!」

「異議を認めます。検察官はことば選びに注意してください」


「はい。あなたはここにいる被告マルク・ライデンが、妻のミーミャさんの首を刎ねるところを見た、と証言しておりますね。くわしく話していただけますか?」


「はい」


 ポークスの話はマルクの証言を裏付けるものだった。

 5階層で『宝玉の短剣』を手に入れたが、4階層で濃い霧に包まれ、そこをゴブリンに襲われた。そこで勇者マルクはしんがりをつとめて、ほかの仲間たちの撤退をたすけてくれた。


「気づいたときには、ぼくだけが3階層までたどりついてて……」

「ポークス、インロンは、インロンはどうなった?」

 被告席からマルクが声をあげた。


「被告人、勝手に話しかけないように!」

 ゴードリーは注意をうながしたが、ポークスは悲しそうに顔をゆがめて言った。

「マルク、インロンはやつらの仕掛けたトラップでやられたよ」


「そうか…… 残念だ……」


「証人は話を続けてください」

「あ、はい。ずっと待ってもだれも戻ってこないので、ぼくはしばらくして、もう一度4階層に戻ったんです。そうしたらマルクとミーミャが言い争っているのが見えました」

「見えた? 聞こえたではなく?」

「かなり離れたバルコニーのようなところから、対岸にある回廊にいるふたりが見えただけです。残念ですが、なにを話しているかはわかりませんでした。だけど、言い争っていることだけはわかりました」


「それで、どうしたのかね?」


 ポークスが目頭をおさえて、首をよこにふった。

「ミーミャがその場にひざまずいて……マルクが……うしろから剣をふるって……」


 会場全体がどよめいた。


「静粛に!」

 ゴードリーはあわてて木づちを打ち鳴らした。

 

「マルク…… ぼくはいまでも信じられないよ。あなたとミーミャはあんなにも愛しあっていたじゃないか!」

 ポークスは涙を流しながら訴えていたが、マルクは顔をあげることもなく、一切の反応をしめさなかった。



■弁護人の提案 ——————

「裁判長、よろしいでしょうか?」

 弁護人が指を一本たてて、注意をうながしてきた。

 細くしゅっとしまった顔、青緑色の皮膚、首すじまで、うろこがうっすらと体表をおおっている。リザードマンの王家の血筋の者という、いまのところ女性の弁護人(リザードマンは相手や外部環境によって雌雄が変化するので、うかつに女性や男性と呼べないのがやっかいだった)。

 難関『魔法律大学』を首席でも卒業したインテリで、頭の回転のすばやさと、賢者並の知識をいつも鼻にかけている。

 種族の特徴で仕方がないとはいえ、目がときおり縦にほそくなるのには、いつもぎょっとさせられる。優秀だとは認めていたが、自分の裁判ではあまりお目にかかりたくない種類の弁護人だ。


「弁護人側は、被害者本人をこの法廷に呼びたいと考えております」


「被害者本人! それはどういうことかね、弁護人!」


「弁護人側は、死者の魂を蘇らせ具現化するという、高難度の魔法を使える大賢者を呼んでおります」


「な、なんと! 死者を蘇らせるのは『禁忌の黒魔術』ではないのかね!」

「裁判長、よくお聞きください。死者の『魂』を一時的に蘇らせるのです。死者そのものを蘇らせるわけではございません」


「あ、おお…… そ、そうかね。それなら違法ではないな」


 裁判長ゴードリーが許可すると、ひとりの賢者が法廷に招き入れられた。

 ぶ厚いローブをまとい、顔をフードで隠しているため、顔はまったく見えない。


「ではさっそくはじめてくれ」



■被害者ミーミャの証言 ——————

 賢者が仰々しい仕草で錫杖しゃくじょうをふると、天井のほうからうっすら青い煙のようなものが降りてきた。

 みんながそれに見とれて上を見あげていると、いつの間にか裁判長席の左隣の証人席に、だれかが座っていた。

 ゴードリーはぎょっとした。

 哀しそうな顔をしたエルフがそこに佇んでいた。

 まるで前からそこにずっといたようにすら感じるほど、なんの違和感もなくそこに存在していた。


「ミーミャさん」

 弁護人が唐突に名前を呼んで、みなハッとして証人席のほうへ目をむけた。そして自分とおなじように、そこにひとの姿があるのに驚いていた。


「いま、ポークスさんの証言がありましたが、あなたは夫マルク・ライデンに跪かされて首を刎ねられた、というのに間違いはありませんでしょうか?」


 傍聴席が息をのんで、ミーミャの霊体をみつめた。


『は・い……。まちがいありません……』

 それはか細く、ややひび割れた響きの声だった。


『ですが、そうされて当然だったのです……』

「当然、とはどういうことです?」

『わたくしが夫マルクを裏切ったからです』

「裏切った?」

『はい。わたくしはゴブリン連中と裏取引をして、夫マルク・ライデンを亡き者にしようとしたからです』


 あっというまに室内が喧騒であふれる。

 ゴードリーはなんども叫んで、木づちを叩きまくった。


「なぜ、夫を亡き者にしようと?」

『簡単な話です。夫がほかの女に色目を使うようになったからです。おそらくエルフを妻にめとったことを後悔しているのでしょう。ですが、ほかの女に夫をとられるなど、エルフの誇りにかけて許せるものではありません」


「ですが、それがばれてしまいました。まったくゴブリンどもの手際のわるさと言ったら……」

「それでマルクさんと口論になったのですね」

「口論? そんなものになるわけありません。一方的に糾弾されただけです。まぁ、ばれてしまったのですから……」


「首を刎ねられて当然でしょう」


 ミーミャの霊は夫マルクのほうを見てから言った。

「ですから、そこの男に罪はありませんわ。さっさと開放してやってちょうだい」


 ゴードリーはミーミャがマルクにむけている目が気になった。その冷たい口調とは裏腹に、愛おしいものを見るような、哀しげな目だった。


「だ、そうです!」

 弁護人は強く言いきると、大賢者にむかって目で合図をした。

 そのとたん、証言台にいたミーミャの姿が、ふっとかき消えた。


 マルクはその瞬間、目をつぶって上をむいた。

 ゴードリーにはまるでこぼれ落ちる涙を、隠そうとしている仕草に感じた。

「これなら、ポークスさんの証言とも整合性がとれています」


「弁護人は、本件を被告人の正統な『報復権の行使』として『無罪』を主張いたします」

 勝利を確信した喜びのせいか、弁護人の瞳がすっと縦に細まった。ほくそ笑んでいるように見える。



■盗賊 トクーツの証言 ————

 ゴードリーがどう判断するか、手をつかねていると、係員がつかつかとよってきて、ゴードリーに耳打ちをした。


「いま、本件を間近で目撃していた、と名乗りでたものが見つかりました。さっそく証言を聞こうかと思います」


 証言台に連れ来られたのは、少々年をとってくたびれたドワーフだった。ドワーフはいきなり自分に注目がむけられたのに、怖じ気づいたようで、ゴードリーのほうへ、助けをもとめるような目をむけてきた。


「証人。名前を」

「わしはト、トクーツというものだ」

「トクーツさん。あなたは、あそこの被告人に立つマルク・ライデンが妻の首を刎ねる場にいたということだが、それに相違ないかね」


「ん、あぁ、ま、まちがいねぇよ。だけど、追い剥ぎで捕まっちまって、もし証言してくれたら、刑を軽くするってぇことで、ここに来てるんで……」

「トクーツさん。あなたの職業はなんです?」

「わしは、あ、うん、そう……、ダンジョン内で盗賊をやってる」


「裁判長!」

 検察官が片眼鏡についたチェーンをジャラっとさせてから言った。

「こんな盗っ人の証言、あてになるのでしょうか?」

「裁判長、わたしもそう思います」

 すぐに弁護人が追随した。にらんでいるせいか、瞳の形が縦に細まりはじめている。


「ま、まぁ、証言を聞いてみよう——」

 彼らの剣幕にすこし気圧されながらも、ゴードリーは証言をうながした。


 トクーツはマルクたちのパーティーが、5階層に降下した時点からずっとマークしていた。彼らの活躍を知っていたので、まちがいなくなにかしらの成果をあげると見込んでいたからだ。だから上気した顔で彼らが4階層に戻ってきたとき、まよわず白い靄のポーションを使った。


「ま、これで方向感覚はだめになっちまう。わしは床の紋様を見るだけで、どこにいるかはわかるけどな」


「きさまかぁ! われわれを陥れたのは!」

 マルクが激高した。


「被告人、静粛に!」


 トクーツはマルクのほうへ肩をすくめてみせた。

「それがわしの仕事だからね。だが、背後からゴブリンがこの階層まで追いかけてきてるなんて思いもしなかったさ。わしはあんたらの宝物さえ手に入りゃよかったんだから。だからこんなことになったことを申し訳なく思ってるよ……」

 

「だけど、まさかあんな決断をするなんて、わしにもわかんなかったさ」

 

「きさまぁ、言うな! それ以上、なにもしゃべるなぁぁぁ!」

 両側から警備の者がマルクを抑えつけた。


「勇者様、申し訳ないがね。わしも罪が軽くしてもらわんとならんのだ。ここは真実を話させてもらうよ」

「きさまぁ。盗っ人の話すことが真実なものかぁ。真実はわたしが、誤って妻の首を刎ねた。それだけだ! それ以外になにもないんだ!」


「いいや、ちがう。あんたは人食い植物の植生地に飛び込んじまって、身動きがとれなくなった。粘性の糸にからまれてな」


「口をふさげ、盗賊ぅぅ!!」

 マルクが怒声をあげたが、ゴードリーも負けじと声をはりあげた。

「被告人、静粛に!! 退廷させますよ!!」


「そして、そのあいだにあんたの奥さんはゴブリンどもの餌食に……ゴブリンどもにけがされた。あんたはそれを恥じて、奥さんの首を刎ねたんだ」


「ちがう! そうじゃない!」

「いいや、わしはそれを見ていた」


「ちがう! ちがうのだ……」

 

 人食い植物の粘液から脱出したマルクは、ミーミャに乱暴をしているゴブリンたちの姿をみて激高した。

 一瞬にしてそこにいたゴブリンを片っ端から切り刻んだ。憤怒に我を忘れたマルクの剣に倒されたゴブリンは、一体たりとも五体が揃っておらず、ほとんどがただの肉片と化していた。


 マルクが正気を取り戻したとき、ミーミャはおおきな広間の真ん中に、ぼんやりとして立っていた。

 マルクの刃の巻き添えにならないように、どこかに隠れていたのだろう。血まみれになったマルクとはちがい、その衣服は真っ白いままだった。

 ただその衣服は引き裂かれて、ところどころから肌がのぞいていた。


「大丈夫か。ミーミャ……」

 息をととのえながら、マルクが訊いた。


「いいえ、マルク。残念ながら、わたしはけがされてしまいました」


「あれは事故だ。わたしはなにも気にしない」

「いえ、わたしは自分でわかるのです。ゴブリンどもの種が自分に確実に植えつけられたことが…… 数ヶ月後にはまちがいなく、わたしはあの小鬼の子供を産むことでしょう」


「では魔導士か医者に頼んで、堕胎してもらおう。裏の世界の者なら、金さえ積めばなんだって請け負ってくれるはずだ」

「ああ、いとしいマルク。だめなのです。わたしたちが信仰する神は、そのような人為的な行為をゆるしてないのです。わたしは神にそむけません」

「なら、どうすれば……」


 ミーミャはすっと背筋をのばして、毅然とした態度で言い放った。

「勇者マルク・ライデン——」


「わたくしの首を刎ねてください!」


「な、なにを言っている……?」

「あなたをゴブリンの子を産んだ妻をもつ男にしたくはありません」

「かまわない。おまえをうしなうくらいなら、その程度のそしりを甘んじてうける」

「いいえ、許しません。わたくしが恋した、そして一生をともにしたいと思ったお方は、そんな誹謗中傷ひぼうちゅうしょうをあびていいいような男ではありません。いつも勇敢で、つねに平等で、仲間思いで、正義感あふれる男なのです」


「お願いします。わたしに尊厳のある死をお与えください」


「そんな……」

 マルクの顔は涙に濡れていた。

「誤って斬ってしまったと言えば、たいした罪に問われることはないでしょう。早くしてください。ひとに見られてしまえば、それも通りません」


「で、でも、もしかしたら、おまえの魂を召喚して問いただすかもしれない」


「そのときは、わたくしがあなたを裏切ったと証言いたしましょう。命を狙われたあなたは正当に復讐権を行使して、制裁したと……」

「そんな…… それではおまえの体面はどうなる?」


「ご心配なく。エルフ族はもともと、それほど体面を重んじたりしません。人間族ほどにはね」

 ミーミャは力なくほほえんだ。


「こ、これしか方法はないのか?」

「はい。あなたの尊厳を守るために、そしてわたしの信仰を貫くためには、これしかありません」


 マルクは力のはいらない腕で剣をもちあげた。ジャラッと刃が地面をひきずる音——

 

 ミーミャはその場にひざまずくと、うなじがよくみえるように首を下にさげた。


「さぁ、決心がにぶらないうちに!」

 ミーミャのことばは、最期の最期まで決然としてゆらぎがなかった。


 マルクは剣をふりあげて言った。

「ミーミャ、愛している!」


「はい。わたしはそれ以上に愛しています」

 それがミーミャの最期のことばだった——



 室内が重苦しい空気に包まれていた。

 ゴードリーは目の前の被告人席で、膝をおって崩れ落ちている勇者に、なんと声をかけていいのかわからずにいた。


 真実を暴くのではなかったという後悔だけが、胸の中にわだかまっていた。

 法廷というのは、これほどまでに残酷な場であることを、あらためて感じた。


「さ、裁判長……」

 咽喉をひきつらせた声で弁護人が言った。

 沈欝に静まり返った法廷で、まっさきに声を発することが、どれほど勇気がいるのかと考えると、ゴードリーは彼女に感謝せずにはおれなかった。

「な、なにかな、弁護人……」

「いまのトクーツ氏の証言に、お、おかしな点があります」

「それは……どういう?」


「彼は冒険者たちを襲って、発掘品を盗むのを生業なりわいとしています。ですが、いまの話だと貴重な目くらましのポーションを使っておきながら、被告マルク・ライデンからなにも盗めなかったように思えます。盗みもせずにその場にいるのはおかしくないですか?」


「盗めなかったのなら、なぜその場所にとどまって、ことの顛末を見ていたのでしょう。プロならさっさと引き揚げるのではないですか?」


「弁護人は、トクーツ氏がミーミャさんの死になにか関わってると言うのですか?」


 トクーツが顔をひきつらせて、大声をあげた。

「ま、待て!。わしは卑怯な手で盗みはするが、殺しはやらねぇ」

「それを証明できるのですか?」


 トクーツはあわてて、胸元をさぐって、一本の短剣を掲げた。


「こ、これだ。こいつを手に入れたんだよ」

「それは?」

「5階層の緑の玉座から持ち帰った『宝玉の短剣』だ」


 そのことばにマルクが反応した。

「きさま、それをどうやって奪ったぁぁぁ」

 被告席から飛び出すと、証人席のほうへ向おうとした。あわてて警備の者がマルクをうしろから抑えこむ。だが、マルクはそれをふりはらう勢いで、トクーツにつかみかかろうとした。


「こ、これはわしのモノだ」

「きさま、盗んだかぁぁぁ」

「ちがう! わしは盗んでなんかいない! これはあんたが手放したからもらっただけだ。だって……」


「あんたが自分の首を刺し貫いたのを、ただ抜いただけなんだから!!」


 その瞬間、マルクの肉体が消えうせ、着ていた甲冑がガシャン、というけたたましい音ともに床にころがった。

 勢いあまって、どうと倒れた警備員は、唖然として空の甲冑を眺めていた。

 ゴードリーは裁判長席でたちあがって、眼下でおきた不可思議な事態に目をまるくしていた。

「な、なんと……すでに……みずから……身罷みまかっておったか……」


 傍聴席だけでなく、検察官席、弁護人席も、唖然として声をうしなっていた。が、しばらくすると、口々に目の当たりにした出来事を語り合い、室内はさんざめいていった。


 廷内の静粛を強要することは、とっくにあきらめていた。

 そんな気にならなかった。


 ここには愛しあった夫婦が、相手を思いやったすえ、みずからが罪をかぶりあい、互いの尊厳を守り抜こうという姿があっただけだった。

 それを法の元につまびらかにしてしまった。

 彼らが命がけで守ろうとした互いの思いを、ただ踏みにじってしまっただけなのだ——

 なんと罪深いことなのだろうか……


 ゴードリーはざわついた廷内を見回して、さきほどの大賢者に声をかけて相談をもちかけた。大賢者は造作もないとばかりに余裕の笑みで応えた。

 ゴードリーはおおきく息を吐くと木づちを叩いた。

「判決をいいわたす!」


「被告マルク・ライデン。妻ミーミャ殺しの罪について……」


「有罪!」



「刑期は……永遠とする」


 ゴードリーはかたわらに控えていた大賢者にむかって言った。

「では、彼らの魂を永遠にひとつにしてもらえるだろうか?」

「仰せのままに」


「ありがとう。大賢者、シーラン・ミケネー様」


 シーランが手をあげると、天井から淡い青色の煙が滑り落ちてきた。と同時にマルクの甲冑から淡い赤色の煙が立ち昇る。やがてその煙は、ミーミャとマルクの姿を形作りはじめた。お互いが手を伸ばしあうと、その煙はまんなかで混ざりあった。

 やわらかな薄紫色の煙が中空で、くるくるとつむじのように回りはじめると、そこに抱きあったミーミャとマルクの姿が浮かびあがった。ふたりはお互いをしっかり見つめあって、口元には幸せそうな、じつに満足そうな笑みを浮かべていた。

 やがて薄紫色の煙はくるくる螺旋を描きながら、上へと立ち昇りはじめ、こまやなか粒子となって、裁判所の天井に吸い込まれるようにして消えていった。

 


 みんな、それに魅入られていた。そして彼らの行く末を祝福していた。

 そこには、検察官、弁護士、証人、傍聴人、そして裁判官の立場もなかった。


 ゴードリーは弾ませるように、カン、カンと木づちを叩いた。

 こんな重たく、それでいてこんなに軽やかな音を、はじめて聞いた気がした。



「これにて閉廷!」



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