第4話 ダンジョンで赤ん坊を抱く女

 皆様のなかで、ダンジョンで迷われたことがある方はいらっしゃいますか?

 ああ、そうですか… それはそれは…

 ずいぶん心細い思いをされたことでしょう。未知のダンジョンでは予期しない魔物や化物に襲われる可能性もあり、どんなに力がある方でも不安になるものです。

 まぁたいがいは魔法の力や仲間との協力で切り抜けられます。心配は無用です。

 ですが、赤ん坊を抱く女があらわれるダンジョンに、迷い込んだときはご注意ください。 ぜったいに深追いしてはいけません。

 ええ、絶対にです——



第4話 ダンジョンで赤ん坊を抱く女------------------------------------------------


「あのダンジョンの攻略はやめたほうがよかろう」


 ミーゲルはそう老人に言われて、食ってかかった。

「じいさん、なぜだ!。ギルド発行の『ダンジョン総覧』でも、激レアアイテムや、スキル獲得可能な宝玉、経験値爆アガリのモンスターの宝庫って書かれてるぜ!!」


「冒険者ミーゲル、と言ったか。そなたはその書物を隅々までよく読んだかね」


「すみずみ……?」


「あぁ、攻略の難度は最上級の星5つとされていたであろう」


「ん、あぁ……」

 ミーゲルはことばを濁しながら話の成り行きを見守っている、パーティーの仲間のほうをちらりと目をむけた。


 賢者のロドリガス、戦士のザカリス、弓使いのトーニャ——


 ロドリガスとザカリスはとくに気のない風で耳を傾けていたが、トーニャはあきらかに不安そうだった。神経が繊細なコボルト族、とくに女性をパーティーに加えたのは、失敗だったのかもしれない——


「じいさん。勘違いしてもらっちゃあ困る。おれたちゃ、なにもこのダンジョンを攻略しようだなんて、考えちゃあいない。第五階層あたりまで潜って、それなりのお宝なり経験値をゲットして、そのあとの戦いを楽にしてぇだけさ」


「第五階層!。もっともレア品が手に入るとされている場所じゃな」

「あぁ、そうさ。なにも10階層まで攻略しようっていうわけじゃねぇんだ」

 

「ふむ……」

 老人があごひげを撫でながら思案をはじめたが、すぐにミーゲルに尋ねた。

「冒険者ミーゲルよ、ほんとうに第五階層までじゃな」


「あぁ、第六階層以下にゃあ、すげーお宝があるってぇのは知ってるが、第五階層までってことにする。どっちみち、おれたちの実力じゃあ、手に余るだろうからな」


「賢明じゃな。冒険者ミーゲル」

 老人があごひげをいじくりながら続けた。


「じゃが、第五階層の『赤子を抱く女』には気をつけるのじゃぞ。そいつは迷い込んだものを虜にして、その場所に縛りつける、というからな」


「赤子を抱く女?」

 戦士のザカリスがたまらず声をあげた。

「なんだ、そんなの聞いたことがないぜ。あの階層にでる危険な魔物は、うろつく『マンドレイク』くらいしか載ってなかった」



「じゃが、間違いなくいるのじゃ。赤子を抱く女は……」



「赤子を抱く女!!?? そいつは何者なんです!?」

 ミーゲルは老人が語るあやふやな情報にいらだった。 

「知らんよ。じゃが、そう噂されておる。もちろん、うろつくマンドレイクには気をつけねばならんがのう……」


「うろつくマンドレイクって……なんですの?」

 弓使いのトーニャが蒼ざめた顔色そのままの、不安そうな声で訊いた。その声にうんざりした調子で、ザカリスが答えた。

「トーニャぁーー、おまえも知ってンだろ。引き抜くと悲鳴を上げて、聞いた人間を発狂させるっていうあの植物を」

「ええ、まぁ。それくらいは……」

 

「お嬢さん。あの場所には冒険者たちに引き抜かれたマンドレイクが、うろついているらしいのじゃ」

 老人がザカリスに代わって説明を続けた。

「あやつらは根っこを足のようにして自立歩行できるのでな。ダンジョン内にへばりついている魔力を吸収して、かなりやっかいな存在になっていると……」


「たかが植物でしょう!」


 老人のことばを断ちきるように、声をあらげたのは賢者のロドリガスだった。

「ぼくはまだ駆け出しの賢者ですが、植物系の魔物を倒す術なら、いくつでも詠唱できます。それに『赤子を抱く女』など……」


「そんな見知らぬモノをおそれていては、この先、冒険などできやしない!」


「は、よく言った、ロドリガス!」

 ミーゲルはパンと手をうった。

 ロドリガスは『賢者』と名乗ることを許されたばかりの魔導士だったが、こういう賢者らしからぬ、向こう見ずなところを、ミーゲルは気に入っていた。



 ダンジョンの第一階層はちょっとした街のようなにぎわいがあった。

 とっくに攻略が終わっていて、お宝どころか、スライムすら出現しない安全な領域となっていた。いまでは、元隠し部屋や宝物庫、トラップルームだった場所で、商人が店を開いており、下層をめざす者たちへ装備や武器、ポーションや薬草や携帯食を売り込んでいた。

 

 ミーゲルたちは第二階層をさっさと通り過ぎた。

 過去の冒険者の手により、トラップや宝物庫等は攻略済みで、小動物系やスライムなど、ただ進路を邪魔するような魔物が出現するだけの場所だった。


 第三階層ではむだな骨折りばかりさせられた。

 ここは虫や爬虫類系のすばしっこい魔物の巣窟で、アイテムは期待できない上、たいした経験値は稼げなかった。にもかかわらず思いのほか入り組んでいて、ミーゲルたちはまる一日費やすはめになった。


 第四階層——

 様相はぐっと変わってきた。

 それまで石畳に囲まれていた狭い通路を、ひたすら歩き回っていたのが、とつぜんおおきくひらけて、まるで外にでたような自然が広がっていた。一望するのが難しいほど広い森があり、そこには泉が点在していて、それぞれの生態系ができあがっていた。


 この階層でミーゲルたちは動物系の魔物や、ゴブリンのような亜人系の魔物と戦った。だがまずまずのアイテムと、それなりの経験値が手に入っただけだった。



 だが、第五階層——


 それまでとはあきらかに様相がちがっていた……


「いよいよ、第五階層だ」


 探索を前にミーゲルは檄をとばした。

「ここで手に入れたいのは、激レアアイテムの『迷いの扉』や『精気の石』だ」

「オレは『蒼い香玉』っていう宝石を拝みてぇもんだぜ。家がたつほど高値がついてるっていう話だからな」

 戦士ザカリスが顔をにやつかせながら言うと、賢者ロドリゲスも声を弾ませた。

「高い経験値が得られるモンスター『ジャーゴン』と『オッカム』には、遭遇エンカウントしておきたいところですね」


「それと、マンドレイクに気をつけろ、でしょ」


 弓使いのトーニャが沈むような声でつけくわえた。

 ミーゲルは舌打ちしそうになった。あえて意識しないようにしている話題を、無神経に口にするのが気に入らなかった。が、ミーゲルはにっこり笑って言った。


「ああ、じゅうぶん注意してくれ!」


 

 たしかに第五階層は、総覧の記述通り、とても魅力的だった。

 弱いくせに経験値だけはたまるモンスターのジャーゴンやオッカムには、驚くほど遭遇できたし、ほかのダンジョンでは手に入りにくい、珍しいアイテムがいくつも転がっていた。

 ありあまる成果に、パーティー全員の士気はあがっていった。あのトーニャですら顔が上気してみえた。



 だが、サウス・エリアに足を踏み入れた瞬間、あたりの様相が一変した。

 鬱蒼うっそうとした草木に覆われて暗いうえ、肉食の植物がいたるところに生えてた。ここがマンドレイクが出没するエリアだと、ミーゲルは直感したが、気をつけるべきは、それだけではなさそうだった。


「マンドレイク!!」


 トーニャが悲鳴のような声をあげた。

 目をむけると、畑のように地面をならした一画に、おかしな形の草がはえていた。一見するとただの草だったが、その茎の根元部分に人間の顔のようなこぶがあった。

 ただれたような醜い面相に、苦悶したような表情を浮かべているように見える。人間であればだれもが嫌悪感をもよおす姿をしていた。

 マンドレイクにまちがいなかった——


「トーニャさん、大丈夫です。引き抜かなければ、なんの危害も加えません」

 賢者ロドリガスがトーニャをなだめた。

「ですが、もうこの近くをうろついているかもしれませんわ」

「そうだな……」

 戦士ザカリスは相槌をうちながら、ゆっくりと剣をひきぬいた。ミーゲルはザカリスに目で合図をすると、剣を引き抜いて正面に構えた。


「ロドリガス、そちらも魔術のスタンバイを! トーニャ、おまえは弓に矢をつがえろ。ぜったいに近づけないようにしてくれ。ザカリス、きさまはオレと一緒に突撃するぞ!」



 だが、返事がなかった——


 ハッとして背後を振り返ると、だれもいなかった。

「おい、ロドリガス、トーニャ、ザカリス! どこだ?」


 いつのまにかあたりに、うっすらともやがたちこめているのに気づいた。


 瘴気しょうき


 マンドレイクは幻影や幻覚をみせる毒を吐くと聞いていたが、それがもしかしたらそうかもしれない。

 ミーゲルはそそくさと布をとりだして口元をおおった。


 もう遅いかもしれない。

 だが、これ以上、深い幻影のなかに落ちるわけにはいかない。


 ミーゲルはすり足で慎重に歩をすすめた。

 さきほどまでは面白いように倒せた弱いモンスターでも、たったひとりでは命取りになりかねない。


 

 と、どこからか、赤ん坊の泣き声のようなものが聞こえてきた。

 幻聴かと思ったが、耳をすませてみると、まちがいなく赤ん坊の泣き声だった。


 赤ん坊を抱く女——?


 あの老人の忠告が脳裏によぎった。


 逃げる? どこへ?

 ミーゲルは一瞬逡巡した。だがこの泣き声をたどっていったほうが、はぐれたパーティーと出会える確率が高いと、ミーゲルは判断した。

 彼らもいま、この泣き声を耳にしているはずだ。トーニャは別として、ロドリガスとザカリスは、自分とおなじ考えにいたると信じていたからだ。やみくもに探し回るより、おなじ泣き声に近づくほうが、再会できる可能性が高い——


 ミーゲルは長い回廊を進んでいった。

 泣き声がしだいにはっきりとしてくる。

 回廊の角を曲がる。


 そこにそれはいた——


 白いドレスを着た女性。

 遠めでよく見えなかったが、シルエットから女性であるのはまちがいなさそうだった。その女性は腕に赤ん坊を抱いたまま、じっとその赤ん坊を見つめていた。

 

 ふっと赤ん坊の声がやむ——


 こちらの存在に気づいたようだった。女性はミーゲルのほうにチラリとふりむくと、通路から分岐する別の通路のほうへ、すべるような足取りで逃げだした。ふたたび赤ん坊が泣き始める。


 逃げた——?


 ミーゲルはてっきり襲ってくるものだと思っていたので、反射的に女性のあとをおいかけた。赤ん坊の泣き声が、どんどんと遠ざかっていく。


 さきほどまで女性がたたずんでいた十字路までくると、女性が逃げた通路にからだをむけた。

 すでにそこに人影はなかった。


 だが、その通路とは反対側、自分の背後の通路のほうに女性がいた。

 奥のほうに離れていて判別しにくかったが、赤ん坊を抱きかかえた女性なのはまちがいなかった。


 おかしい——


 おかしい——


 ミーゲルはすぐに違和感をおぼえた。

 まず逃げ出した通路とは逆の通路にいるのが、せなかった。

 なにより、その女性が着ているドレスが、さきほどのものとちがっていた。こちらの女性は薄いピンクがかったものを着ている。


 ミーゲルはその女性を追おうとして、自分が先ほどまでいた回廊の角に、女性がたたずんでいることに気づいた。


 そんなばかな——


 今度の女性は黒いローブを着ていた。頭からすっぽりフードをかぶっていて、まったく顔が見えない。しかも今度はシルエットから、女性であるかも特定できない。

 抱きかかえた赤ん坊をじっと見おろしていている姿だけがおなじだった。


 呆然として黒いローブの女性を見つめていると、そのうしろにまた別の人物が現われた。

 今度は戦士のような肩当てや胸の防具をつけ、とても女性とは思えないからだつきをしていた。おそらくミーゲルより高い身長、筋肉隆々のどっしりとした体躯——

 だがその人物もほかの女性とおなじように、赤ん坊を抱きかかえていた。


 背後から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。

 ふりむくとそこにも女性が立っていた。

 今度は赤い色のケープのようなものをまとった女性だった。まるで魔法使いが着るようないでたち。頭からかぶったフードのせいで、やはり顔は見えない。


 十字路の四方向の通路をふさがれたことに気づいて、ミーゲルはごくりと唾をのみこんだ。襲ってくる様子はみせないが、逃げ道はないのはたしかだ。


 罠にかけられたのか?

 だとしたら——


 挟み撃ちをされる前に、こちらからうってでるしかない!



 ミーゲルは身体を翻すなり、赤い服の女性の方角へ走りだした。

 

 虚をつかれたのだろうか。

 赤い服の女性は通路脇にある小部屋へ、あわてて逃げこんでいった。

 その小部屋はいくつもの部屋が連なる複雑な構造をしていたが、姿さえ見うしなわなければ袋小路においつめられそうだった。


 赤子を抱えたままで逃げ切れるわけがない!!

 

 ミーゲルの気持ちははやった。

 赤い服の女はたくみに小部屋から小部屋に逃げまどった。が、赤ん坊を抱いたままで、そう速く動けるわけもなく、あっという間に一番奥の部屋にまで追い込むことができた。


 赤い服の女はその部屋の隅に立ちすくんでいた赤ん坊を必死で抱きしめたまま、がたがたとからだを震わせている。


 なぜ、ふるえている——?


 ミーゲルは剣を前に突きだしながら、ゆっくりと赤いケープの女性に近づいた。

「おい、おまえは何者だ?」

 だがおんなはうつむいたままだった。フードに隠れてまったく顔が見えない。

「なにか言え!」


 おんなはからだを萎縮させた。さらにぎゅっと赤ん坊を抱きしめる。 

 ミーゲルはゆっくりと近づき、おんなのフードに手をかけた。


「正体を現わせっっ!」

 いきおいよくフードをはねあげた。


 おんなが顔をあげた。

 まだわかい女性——

 彼女の頬に涙がつたい落ちていた。


 そして——


 くちびるがなにかで縫われていた。

 粘り気のある菌糸のようなもので、上下がびっちりと縫いあわされていた。


 おんなはなにかを伝えようとするように、涙に濡れた目で首を下につよくふった。

 ミーゲルは混乱したまま、うながされるように、彼女が抱えている赤ん坊に目をやった。

 

 彼女は赤ん坊を抱いているのではなかった——




 赤ん坊は、彼女の腹からはえていた——

 



 胴体から赤ん坊の上半身が突き出していたのだ。


 ミーゲルはがく然とした。手に持った剣が落ちそうになる。

 その瞬間、赤ん坊の頭が……頭だけが、ぐるりと180度まわってこちらをむいた。


 マンドレイクだった。


 ひきつれをおこしたような醜い顔は、禍々まがまがしさを帯びて、さらにみにくくゆがんでいた。

 マンドレイクが口をひらいた。


「た・す・け・て……だって…… けけけけけけけ……」



 おんなの目からあふれる涙が、すべてを物語っていた。


 ミーゲルは剣をふりあげた。

 このバケモノを切り離してあげなければ——

 こんな魔物から女性を開放してあげねば——


 が、斬りかかろうとした瞬間、マンドレイクがぷっと口からなにかを吹き出した。


 それは種のような、ほんのちいさなものだった。

 それが甲冑の隙間から飛び込んで、ミーゲルのからだに撃ち込まれた。

 ミーゲルはあまりの痛みに、剣をふりあげたまま、その場に崩れ落ちた。



 薄れゆく視界にうつったのは、自分を取り囲んで上からみおろす——


 赤ん坊を抱えた女たちの、涙に濡れた顔だった。




「あのダンジョンにいくのはよしなされ」

 老人が言った。

 勇者グルカンは肩をすくめてみせた。

「なぜかね。ぼくは第五階層くらいまでしか、行くつもりはないんですけど……」


「その階層が危険なのじゃよ……」

 老人は不快そうに顔をゆがめて言った。



「赤ん坊を抱いた冒険者が現われるのでな……」




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