第39話 月明かりのトリス


(な、なんで急にお兄ちゃんが……!?)


 アイシャは、『ホワイトドラゴンのお世話道具』を用意する兄――ジオを見た。お世話道具とは、タオルや、ブラシや、バケツに汲んだ水などだ。

 

 ジオは、視線に気がつくと、

「……アイシャもくる?」 

「へっ?! わ、私は……」

アイシャは、一歩後ずさった。


(トリスが行くなら、……でも……)


 アイシャは眉を下げた。


「……私は、いいよ……。まだちょっと怖いし……」

「ま、無理しないで」

 ジオは、頷いた。それからトリスに手招きした。

「じゃ君、行こう。ていうか、君、誰?」

「トリスです。花祭りの司祭として来た……はずです。多分」

「ふーん?」

 トリスの歯切れの悪い自己紹介に、ジオは深く突っ込まない。


「ま、司祭様ならちょうどいいね。ホワイトドラゴンは聖なる力を持ってるから、喜ぶと思う。荷物は俺の部屋に置いていこう」

「ありがとうございます。じゃあアイシャ。後でね」

「ちょ、ちょっとぉー?!」

「来るの?」

 ジオの足は、階段にかかっている。

 アイシャは、少し考えて、首を振った。

「……行かない」

「そう。じゃあトリスこっち。上に上がるんだ」

ジオは、トリスを手招きした。

 

トリスはアイシャに手を振ると、ジオに連れられ、階段をあがっていった。


「えぇ~? 行っちゃった……」

 

アイシャは、そのまま居間でトリスが帰ってくるのを待ってみることにした。


(……えっと、いつもお世話って一時間くらいだから……)


「…………」


 アイシャは、自室にもどることにする。

 日課の手紙をしたためようとも、気が散って集中できない。


「う~ん……」


 アイシャは、ペンで頭を掻いた。

 


 ***



 一時間後。

 階段を降りてくる足音がしたので、アイシャは自室から顔を覗かせた。

ジオとトリスが帰ってきたのだ。

 

「お兄ちゃん! トリス!」

「アイシャ。彼、なかなか筋がいいね」

「楽しかったよ」

「良かったね」

 

 ふたりともなかなか楽しんだようだ。

ジオは言った。

 

「そうだアイシャ。シャボン草が足らないんだ。取ってきてよ」

「えー? なんで私が……。それもお世話の一環じゃあ……」

「トリスもいっしょに」

「私行きます!」


 

 アイシャとトリスはぐるぐると螺旋階段を降りていった。

 リビングを超えてなお階下へ。各人の部屋を超えてなお階下へ。


一番下へと辿り着く。


「こっちだよ!」

 

 そこにもドアがあって、そのドアをあけると地面だった。


 辺りはすっかり暗くなっており、夜だった。


 目の前には歩きにくい森、頭上には吊り橋だ。

 吊り橋の間から、白いものだ見えた。空を飛ぶホワイトドラゴンだろう。

 

(ホワイトドラゴン……か)


「どうしたの? アイシャ」

「いやあ、ちょっと……」


トリスに聞かれ、アイシャは曖昧に笑う。


 ホワイトドラゴンは、その名の通り白い竜である。

 ドリアードたちの家は大木の内部だが、――まれに木のてっぺんにホワイトドラゴンが巣をつくることがあった。

 飼っているわけではなく、彼らは自然に暮らしている。


ホワイトドラゴンとドリアードの村は共存関係だ。ドリアードによる強固な結界が張られた森の中は、安全なねぐらだ。――その代わりに、ホワイトドラゴンたちはときたまドリアードたちを背に乗せて、街などへ運んでくれるようになった。

 ホワイトドラゴンは聖なる力を持っており、通行手形を持つドリアードは、背に乗ったまま森の結界を通り抜けすることができた。もちろん徒歩の道もあるので、必須ではないが――大幅な時間短縮だった。


アイシャにとって、ホワイトドラゴンは『外の世界の象徴』であり、憧れの存在であった。

 

 しかし――、


「……昔、ホワイトドラゴンに噛まれたことがあって」

「そうなんだ?」

「うん」


 アイシャは、右手をさすった。傷跡はもうすっかりない。


(村のみんながホワイトドラゴンに乗って街に行ってる姿は、かっこいいんだけどなあ)


「遠くから見るのは好きなんだけどねっ! かっこいいしっ! 綺麗だしっ!」

「なるほど……」


 トリスはうんうんと頷いた。

 

「水槽に入ったサメをガラス越しに見るのはかわいいけど、水槽に入るのは怖いよね」

「!」

「わかるよ」

「わ……分かってくれるのっ!?」

「え? うん。もちろん」


 トリスは、アイシャの勢いに逆に驚いた。

アイシャは、自身の両手を重ね合わせる。

 

「そっか。……そっかぁ……」


(初めてだ……)


 今まで、この話をしても理解されることはなかった。


 ホワイトドラゴンに噛まれることは――ないわけではない。

 しかし、ドリアードには魔法があるし、村に薬師もいる。大事に至った事例はない。

 つまりアイシャに起こったのは特別なことじゃないはずだと。

 ゆえに。


――「見るのは好きなのに乗りたくない? よく分からんな」

――「外に行きたい割に乗りたくない? よく分からんな」

――「お前もかっこいいと思っているのに乗りたくない? よく分からんな」


 などと言われてきた。

 

「分かるって言ってくれたのは、トリスが初めてだよ!」

「そうなんだ。……矛盾した気持ちっていうのも、僕は尊重するよ」

「……! う、うん……」

 

月明かりの中、トリスは、いつもと同じように穏やかに笑った。


 トク……ン

 アイシャの胸が、夜の音にまぎれるように、小さく鳴った。


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