第14話 記憶喪失の司祭様②
時間が経っても、司祭様は自分の名前以外思い出せないようだった。
しかもその名前も、聞いていた名前と違う。
アイシャは言った。
「“ロフィマ”は実は聖職者の
「どうかのぅ」
「事前の連絡から人が変わった説!」
「そうかのぅ」
「長老の記憶違い説!」
「それはない」
「それが一番確率が高いのでは?」
「それはない!」
長老とアイシャはやいのやいの言い合っているが、少年は困った表情を浮かべるだけだった。
「すみません、何も、思い出せなくって……。……司祭様の役職のこと自体は、知っています。生活習慣も……問題ないと思います」
「さっきコップから普通にお水飲んでましたもんね。そこまですっぽり抜けているわけじゃないんですかね」
「体が『習慣』は覚えとるのかのぅ……」
「うっ……」
少年はうめくと、腕を押さえた。その押さえにいった方の腕にも、包帯が巻かれている。
慌てて、薬師が駆け寄った。
アイシャは、少年の体を見ると、眉を下げた。
(うぅ……。痛そうだなぁ。こんなに怪我してちゃ、痛くて、記憶を思い出すどころじゃないよね……)
「王都からこられたことは、覚えとられますかの?」
長老が問うと、少年は首を振った。
自信なさげに答える。
「王都……は、ぼんやり分かる気がしますが……。僕の仕事が司祭だったなんて、なんだか恐れ多いです……」
「しかし、ロフィマ様がお召しの服は、上等なものじゃ。平民には着られぬもの。……きっと思い出されますわい」
「本当に? 僕が……」
ベッドのそばには、少年が着ていた服が掛けられていた。ところどころ破れているその白いローブには、金糸の刺繍まで入っている。――アイシャが司祭様と判断したのも、このためだった。
少年は、自分の服を見て、少し考えているようだった。
「………………」
少年は、顔を上げた。
「明日は、どんなお祭りなんですか?」
「明日の花祭りは、精霊の木を祀り、繁栄と和平を祈る祭りじゃ。……ロフィマ様は本来、
長老は、少し考えて言った。
「うぅむ……。仕方ない。明日の花祭りでは、
「でも……っ!」
アイシャが割って入った。
「こんなに怪我してるのに……っ! 明日も一日中休んでもらった方が良いんじゃないの?!」
「しかし…………」
長老は、顎を掻いた。
その様子を見て、少年は言った。
「……記憶はありませんが、とにかく自分はこの村へやってきたのです。……僕がお祭りに出席することで、お役に立てるなら――やります」
「おぉ……! ありがたい!」
「! ……」
アイシャは心配したが、長老は喜び、周囲からも安堵した声が漏れ出た。
少年は、アイシャを見た。
「ありがとう。でも、多分大丈夫。歩けないほどの怪我ではないと思うんだ。……この村にも、歩いてきたみたいだし」
少年は、一つ付け加える。
「あの……お祭りに出るのはいいんですが……。名前は、その……。トリスで合ってると思うんですが……」
長老と青年団の村人たちは、返事に困ったように顔を見合わせた。
「王都からは、祭りに派遣してくださる司祭様のお名前は、ロフィマ様だと事前に聞いておるのだが……」
「失礼ですが、記憶をなくされたときに知り合いなどの名前とごっちゃになられたのではないですか?」
「潜在意識でなりたい名前だったとか?」
どうも長老たちは、少年が『ロフィマ』であると信じているようだった。
「そう、……なのかな」
少年は瞳を揺らして、目を伏せた。
それを見たアイシャは、なんだか胸がキュッとなって食い下がった。
「長老! 呼び名くらい、言われた通りに呼んでさしあげたらいいじゃない! それに彼、お祭りにでてくださるんだよ!? だから、……お願い!」
「う、うむ……」
「まあ確かに、司祭様がそう言うなら……それでもいいか」
アイシャの後押しで、長老たちは頷いた。
長老は少年に向かって言った。
「……失礼いたしました。お名前はトリス様、と呼ばせていただきましょう。皆にもそう呼ばせます。元のお名前――『ロフィマ様』のお名前を知っているのは、わしと青年団、そして巫女だけですので……。村人たちからは、違和感なくトリス様と呼ばせることが出来ましょうぞ」
「……! あ、ありがとうございます……!」
「ありがとう! 長老!」
少年は――トリスは、ほっと息を吐いた。
彼にとっては、見知らぬ名前で呼ばれるところだったのだ。不安があったのだろう。
長老は言った。
「たった一つ思い出せたと思ったら、それすら違う名前だなんて、お可哀そうじゃ……」
「………………」
トリスは弱々しく笑った。
長老は、トリスのことを依然『ロフィマ様』だと信じていた。しかし、トリス様と呼ぶことにしたのは――これは長老なりの、敬意なのだった。
トリスは、自分の手を見つめた。
(これは――僕だ。確かに僕だ。僕は……みんなの言うように、祭りの祝詞を唱えるために、この村に来たのか? 司祭として? しかし、祝詞などは全く覚えがない――……。)
トリスは弱々しい声で、長老に向かって尋ねた。
「あの、人違いってことはないでしょうか……?」
「それはないじゃろう」
長老は、すぐに答えた。
「わしらの森は、強力な結界。”通行手形”を持たぬ者以外は、“聖なる力”を持ってないと、辿り着くことはできぬ。……花祭りの司祭様は、毎年自力で来られる。それこそが祝詞に力を乗せることの出来る証明になるのじゃ」
「え?」
アイシャが疑問を挟んだ。
「森の結界って、絶対に通行手形がないとだめなんじゃないの?」
「……森を抜ける方法は、正しくは二つじゃ。“通行手形”か、“聖なる力”の保持のどちらかじゃ。王都から来られる司祭様は、“聖なる力”を持っておられるはず。……本物の司祭様しか辿り着けないようになっておるのじゃ」
「へー。そうだったんだ……」
アイシャは、ピンときた。
「ということは、私もその聖なる力とやらを開花させれば、外の世界へ行き放題!?」
「…………阿呆。ドリアードに聖なる力は顕現せぬ」
「えぇっ!? そうなのぉっ!?」
アイシャは脱力した。
長老は、トリスに向き直って言った。
「この村まで辿り着かれた事こそ、トリス様が聖職者であることの証明なのじゃ」
「えっと……」
トリスは目をぱちくりとさせて、周りを見渡す。
復活したアイシャや長老、みんなが期待のまなざしでトリスを見ていた。
(僕が……司祭? 本当に?)
トリスは、呆然としたまま、自分の手を握った。
トリスは無意識だったが、手から小さなすり傷が消えていった。
それはまさしく、聖なる力、だった――……。
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