第9話 郵便屋
郵便屋は、川から来る。船便なのだ。
アイシャたちは、吊り橋を渡りきって
木立の中を抜けると、やがていつもの川辺に着いた。
「こっちこっち!」
アイシャはふたりを手招きし、先導する。
「歩きにくいですねぇ~」
「ちょっと岩が多いよな」
アイシャは慣れた様子で、とんっとんっと軽快に片足で跳んでいった。
少し川幅が広がったところに、小さな
桟橋のそばの陸地には、木箱が二つ、置いてあった。これは、郵便物を入れる箱だ。『郵便受け』という、外から村への郵便が届くものと、『集荷箱』という、村から外への郵便を入れる箱だった。
アイシャは桟橋へ辿り着くと、箱の前にしゃがみ込んだ。
(ドキドキ!)
「郵便屋さん、もう来てるかな~?」
アイシャは、郵便受けの蓋を開けた。
「……まだ来てないみたい」
中には何も入っておらず、アイシャはふぅと一息吐いた。
アイシャから遅れて、マリィたちも桟橋に辿り着いた。
郵便受けが空なのを見ると、マリィは言った。
「ねぇ~アイシャ~。今日はお手紙、出さないんですかぁ~?」
「昨日ねー、出したよ!」
「ったく! 意味ねーっての」
「あ・の・ね!」
「せっかく川にきたんですぅ。今日も出せば良いじゃないですかぁ~?」
マリィの疑問に対して、アイシャは、眉を下げて答えた。
「……今日は学校があったから、早起きでしょう? だから昨日は、書かずに寝ざるを得なくてー!」
一拍おいて、
「まぁいいんじゃないでしょうかぁ~」
「毎日早寝早起きしろ」
「あんまり応援されてないー!?」
アイシャはショックを受けた。
その様子を見て、ふたりは笑っている。
(ぐぬぬ……)
アイシャは目を細めながら、腰に手を当てた。
「いやね、あのね……」
アイシャは、キリッとした顔に切り替える。人差し指を立てて、補足をした。
「手紙っていうのは、丁寧に書かないとダメなんだよ! 汚い字だったら始まるものも始まらないじゃない!」
「まあ確かにぃ~丁寧な字の方が可愛い感じがしますよねぇ~」
手紙はちゃんと手書きなのだ。
「汚い字のラブレターに意味はないもんね!」
もともと恋人なら汚い字のラブレターでももらえるだけで嬉しいだろうが、初めて手に取った――拾ったときは男か女からかも分からない手紙は、字が汚ければ最後まで読まれないはずだ。
キールが言った。
「……ということは、今まで返事がないのはアイシャの字が汚いからか……!?」
「ギクッ!」
「………………」
「………………」
アイシャは目をそらす。
「……その可能性はなきにしもあらずですが……」
まだドリアードの識字率の中ではマシな方である。
……が、まあ、そういうこともあるかもしれない。
今度は正論だったので、マリィとキールは、アイシャを励ますことにした。
「ま、まぁ、まだみんな学校で勉強中ですしぃ……今日も書き取りの授業はありませんでしたけどぉ~……」
「俺はアイシャの字、読めると思うぜ!」
「そこはせめて「いいと思うぜ」くらい言ってー!」
そんなこんなでわいわいしている最中、ふとキーコキーコという音が耳に入ってきて、アイシャはハッとしてそちらを見やる。
ちゃぷちゃぷという水の音に紛れて、キーコキーコと木が軋む音。
それは、郵便屋がやってきた音だった。
その古い小舟は、川の下流からやってきた。舟に乗っているのは、初老の
キコキコという音は、郵便屋がオールを漕ぐ音だった。
アイシャは、その姿を見つけるなり、大きく手を振った。
「郵便屋さぁ~ん!」
郵便舟はゆっくりと桟橋に近づいて――杭に縄を手際よくかけると、停まった。
「おはよう、アイシャちゃん」
「おはよう、郵便屋さん!」
「はい、これがフルールフート村の分だ」
「ありがとう!」
郵便屋は、アイシャへ巾着袋を手渡した。中には村人宛の郵便が詰まっている。
アイシャは袋を受け取り、中身を覗いた。一通ずつ宛名を確認する。……自分宛ての郵便がないか、確認しているのだ。自分宛てのものでなければ、『郵便受け』の中に入れた。
郵便屋は、『集荷箱』を開けると、中に入っていた手紙を船に積み込んだ。
――本来は、手紙を直接受け取る必要はない。村人は、好きなときに郵便受けを見にくれば良い。そして、集荷箱に、自分が出したい郵便を入れて帰る。
そもそも郵便は一週間に一度しかやってこないため、のんびりとしたやりとりが主流だった。
しかし、アイシャは返事を待ち構えている。よって、郵便屋がくる間隔を把握し、わざわざ毎週受け取りにやってきているのだった。
郵便屋が言った。
「アイシャちゃん、最近は……その、伝書鳩? とか矢文? とかも始めたんだって?」
アイシャは、ぱあっと明るい顔になって言った。
「そうなんです。確率をあげたくって! だってボトルメールを流しても、なかなか返事ないし」
「こいつ、最初はボトルメールだけだったのに、どんどん増やしてるんすよ」
キールが呆れた顔で言った。
「ボトルメールもなんか一回に流す数増えてるし……」
「頑張ってるって言ってよ!」
「い、言わねぇー!」
キールは、腕組みをした。
「だいたい、瓶ばっか流して、不法投棄じゃん」
「いつも言ってるけど、アレは大丈夫なの! ただのガラス瓶じゃないんだよ! 魔法で作ってるの!」
郵便屋が「ははは」と笑って言った。
「……最初の頃に確認しているが、あれは自然に還る素材で出来ているようだ。だからわしも流れていく手紙になにもせず見送っておる。……し、郵便局にもそう報告しておる。……あれは貝殻や植物由来のセルロースで出来ておるように見受けられるからな」
「せるろーすぅ?」
マリィが首をかしげた。
郵便屋は笑って言った。
「ははは。つまり、問題ないと認識している」
「魔法で作ってるから、よくわかんないけど、確かに貝殻とか植物とかをこねて作ってます!」
アイシャがドヤ顔で言った。
「…………っていうかぁ~」
マリィが、ずっと疑問に思っていたことを聞いた。
「どうしてアイシャはぁ、そんな偶然に頼ってるんですかぁ~? 郵便屋さんに頼んで、街に『恋人募集!』とかの掲示とかしてもらうのとかどうですかぁ~?」
「そ、それはちょっと恥ずかしいじゃん!」
アイシャは頬に手を当てた。
(街に掲示されるってことはー! 掲示じゃん! それってずっとばばーんと貼り出されてるってことじゃん! それは恥ずかしいよー!)
「…………手紙ばらまきも恥ずかしいような気もしますけどぉ~」
「そうかな?」
アイシャはきょとんとした。
「だって偶然の手紙が――運任せの手紙が届いたら、それってつまり運命ってことじゃない? すっごくロマンチック……!」
「あ~……」
マリィは、斜め上を見ながら少し考えて、
「まぁ、そうですねぇ~」
アイシャの意思を、尊重したのであった。
「まあまあ! 今日こそは誰かが読んで返事をくれてるはずなんだから!」
アイシャはしゃがみ込むと、手紙のチェックに戻る。一通ずつ宛名を凝視した。
「アイシャ・クラネリアス……アイシャ・クラネリアス……」
眉にしわが寄る。
手紙の束は、もう残り少ない。
「アイシャ・クラネリアス……アイシャ・クラネリアス……あ」
最後の一通の手紙で、アイシャの手は止まった。
「あっ……た……」
封筒には、『アイシャ・クラネリアス様』と書いてある。……送り主の名前は、……知人ではない。
「お、おおおお返事だ!!!!!!!!!!!!」
アイシャは、叫んで立ち上がった。
「な、なにぃっ?!」
「わぁ~!」
キールとマリィものぞき込む。
アイシャの目は見開きながら、笑顔を浮かべている。手紙をそれに掲げると、手はぷるぷると震えた。
封を開けるだけなのに、カリカリと何度も指を引っかけるのを失敗する。急に手がカサついたかのようだ。
ようやく便せんを取り出すと、アイシャは文面を読み上げた。
「えぇと、なになに……『お嬢さんへ お手紙ありがとう。たまたま拾いました。こんなこともあるのですね。主人と楽しく読みました。最近孫に会えていないので、嬉しく思います。私たちの住所は……またお手紙くださいね』……」
「……………………………………」
「……………………………………」
「……………………………………」
アイシャが黙っているので、キールとマリィも黙ったまま、アイシャの顔を見つめた。
アイシャは、再び手紙を空にかざす。
昇っているお日様が、手紙を透かした。
それから、叫んだ。
「うう~っ! 男の子からのお返事じゃあ、ない~っ! やっときたと思ったのに~っ!! 女の人だしっ! 既婚だしっ! ていうかおばあちゃんだしっ!」
キールとマリィは、ふうと一息ついた。
「ま、そんなもんだろ」
「優しいお返事がもらえて、よかったじゃないですかぁ~」
「しくしく……」
アイシャは悲しみかけて――
「はっ!」
我に返って、ぐるんと郵便屋の方を向いた。
「郵便屋さん! 一枚、
「え? ……はいよ」
アイシャは、郵便屋から無地の葉書を受け取ると、しゃがみ込んでなにやら書き始める。
キールとマリィが、上からのぞき込んだ。
「どうしたー? アイシャ」
「なにしてるんですかぁ~?」
カリカリカリカリ……ペンを走らせる音だ。
アイシャは、ぶつぶつと呟きながら、手を動かした。
「『お孫さんは、男の子ですか? 歳はいくつですか? かっこいいですか?』……っと」
「えぇ……」
キールが引いて、
「これぇ、走り書きじゃあないですかぁ~……丁寧な字とはぁ~……」
マリィが肩をすくめた。
アイシャは、葉書を書き終えると、笑顔で郵便屋に手渡した。
「はい! これでお願いしますっ!」
「ははは。アイシャちゃんも好きだねえ」
郵便屋も笑うと、葉書を受け取り、船に積んだ。
「じゃあ、わしはこれで」
郵便屋は、船を桟橋から離しながら言った。
「よろしくお願いします!」
アイシャは郵便屋に手を振る。
郵便屋は静かに岸から離れた。
そうして、緑の光が差し込む川の中を、ゆっくりと漕いでいった。
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