第393話 ミュンヘン国際軍事裁判(2)

 ミュンヘン国際軍事裁判のA級戦犯容疑者に対する公判が始まった。


 B級裁判と異なりこのA級裁判は一審制とされ、判事は以下の国から選出されることになった。


 ・ドイツ 3名

 ・イギリス 1名

 ・フランス 1名

 ・ポーランド 1名

 ・ロシア 1名


 最大の首謀者であるヒトラーとその側近であるゲッベルス他の多くは、ベルリンの核爆発によって“行方不明”となっていたため、例外的ではあるが欠席裁判が実施された。


 実際に逮捕されてA級法廷に引きずり出されたのはゲーリングやデーニッツなど、ベルリン以外で指揮を執っていた軍人や役人の20名ほどだった。ナチ党幹部や親衛隊幹部のほとんどは、ベルリンにおいて行方不明となっているか死亡していたのだ。


 裁判において、まず事実として認定されたのは以下の事項だった。


 ・ポーランド・デンマーク・ベネルクス三国への侵攻はパリ不戦条約違反であり違法である。

 ・ポーランド国境を越えてロシア領(当時ソ連)への侵攻は違法である。

 ・ユダヤ人やマイノリティの強制収容および、その不当な管理による死亡事案は違法である。

 ・無警告で実施した都市爆撃による民間人の殺害は違法である。


 しかし、市街戦において正当な戦闘の結果、巻き添えとなった民間人の死亡に関しても訴追されなかった。これは戦火が近づいている場合、民間人の避難はその国家の責任において実施するべきと判断されたからだ。その都市の市民を守りたいのであれば、あらかじめ避難させるか無防備都市宣言を出さなければなならい。ただし、無警告での都市爆撃に対しては、戦争犯罪が適用された。無警告だと、民間人を避難させる時間的余裕が無いためだ。


 爆撃についての判断は、日本からの強い要望が影響している。アメリカは小倉に対して無警告で核を使用したが、日本は攻撃前に警告をしていたのだ。軍事基地や核兵器関連施設を攻撃することを事前に伝え、20km以上避難するように警告をしていたので戦争犯罪には当たらないと暗に主張している。


 そのほかにも、占領地における略奪や捕虜の虐待なども犯罪事実として列挙されたが、フランスやイギリスへの侵攻については訴因に認定されなかった。


 このことについて、フランスへの侵攻自体を訴因に入れるようフランスは強く抗議したのだが、ドイツがポーランドに侵攻したことによってフランスとイギリスはドイツに宣戦布告をしたのであるから、ドイツが宣戦布告をしてきた相手に攻撃をするのは違法では無い可能性があるとされたのだ。集団安全保障体制についてこの裁判で白黒付けたくなかったイギリスと日本が、訴因に入れることに反対した。日英は集団安全保障が無制限に合法であると判断されることを嫌ったため、うやむやにすることにしたのだ。


 そしてナチスの弁護人は「パリ不戦条約違反の事実認定は誤りであり、英仏日がドイツに宣戦布告をしたことこそ、パリ不戦条約違反である」と主張した。パリ不戦条約では国際紛争を解決する手段としていかなる武力も行使しないとされているのだが、ドイツとポーランドの国際紛争に対して宣戦布告をしたのが条約違反であるという論法だ。


 しかし、パリ不戦条約において文書化はされていないが、加盟国は自衛権を当然に保持しているとされていた。イギリスとアメリカは、国境の外であっても自国の利益に関わることであれば条約違反では無いと宣言している。さらにアメリカに至っては、自国の影響下にある中南米に対してパリ不戦条約は適用されないとまで宣言していた。つまり、自国の利益に関わることであれば戦争によって国際紛争を積極的に解決しても、それはパリ不戦条約に違反しないと言ったのだ。


 ※史実の日本ではこのイギリスとアメリカの主張を援用して、“極東における日本の特殊事情”によって満州や中華民国に武力介入していると強弁した。


 ドイツは飛び地となっていたドイツ領ケーニヒスベルクまでの陸路をポーランドに割譲要求したのだが、ポーランドはそれを拒否したため、致し方なくケーニヒスベルクの安全確保の為自衛権を行使せざるを得なかったと主張した。中立を表明していたベネルクス三国とデンマークに関しては、英仏に協力をしている明確な証拠があったため、これも致し方なく侵攻したのであって不戦条約違反には当たらないと。


 しかし、ポーランドがケーニヒスベルクを侵略しようとしていた明確な証拠など無く、このドイツの主張は全判事一致で退けられた。そして、英仏日の対独宣戦布告は国際連盟の決議によるものであって違法性は無いと判断された。


 そして、ヒトラー、ゲッペルスをはじめ、ナチスと武装親衛隊の高官には、判事全員の一致でパリ不戦条約違反が事実認定され、有罪判決が出た。また、不戦条約違反に伴った戦争によって、違法にユダヤ人やマイノリティを監禁し死亡に至らしめたこと、および、占領地で積極的にユダヤ人やスラブ人を殺害した罪で多くの被告に死刑判決が出された。


 ここで世界が注目したのが、パリ不戦条約違反で罰が下されたわけでは無いことだった。抵抗のない村や町を攻撃して民間人を虐殺したこと、そして、ユダヤ人やマイノリティを死亡させる目的で監禁し、もしくは、死亡者が多く発生しているにもかかわらずその対策を“作為的”に執らず犠牲をあえて増やしたことによって死刑判決が出たのだ。


 つまり、訴因にパリ不戦条約違反が加えられているが、それだけで罪に問われることは無く、捕虜虐待や民間人をあえて殺害したことによって罪に問われたということだ。これは、B級裁判の判断とほぼ同じと言って良かった。


 日本は直接侵略されたわけでは無いので判事を送らなかったのだが、後世においてこのミュンヘン国際軍事裁判が、戦勝国による魔女裁判であるとの批判を避けるために水面下で根回しをしたのだ。


 そして、行方不明者以外で死刑判決が出たのは、ハンス・フランクとアルフレート・ローゼンベルク、そしてアルトゥル・ザイス=インクヴァルトの三名だけだった。


 フランスやポーランドからは生ぬるいとの批判もあった。しかし、民間人や強制収容所の収容者をあえて死なせるような作戦や施策をとったとの証拠も無く罰することに、日本が強く反対したのだ。そして、ミュンヘン国際軍事裁判は一応の終局を迎えた。


「我が大日本帝国は、ミュンヘン国際軍事裁判が法と証拠に基づく公平な判決によって閉廷したことを喜ぶ。そして、民間人を標的にした攻撃を実施した者や指示した者は必ず罰せられるという前例を作ることが出来た。これは、当然アメリカに対しても適用されるだろう」


 日本の鈴木首相はミュンヘン国際軍事裁判に対して談話を発表した。これは、必ずルーズベルトを“吊す”という宣言に他ならなかった。


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