第392話 ミュンヘン国際軍事裁判(1)

 1942年3月


 ドイツ ミュンヘン


 ナチスに対する軍事裁判が開かれていた。

 ※史実のニュルンベルク裁判に相当


 このミュンヘン裁判は、パリ不戦条約違反かつハーグ陸戦条約・ジュネーブ条約違反を扱うA級裁判と、ハーグ陸戦条約・ジュネーブ条約違反を扱うB級裁判に分かれていた。


 そしてB級裁判では戦場での残虐行為や捕虜虐待が対象となるため、主に前線の指揮官や兵士が裁かれた。


 ニュルンベルク国際軍事法廷 B級裁判

 ・二審制

  一審 ドイツ人判事5名による合議制

  二審 連合国人3名とドイツ人2名の判事による合議制


 とした。


 近代史において戦勝国が敗戦国の指導者や兵士を裁判にかけることは、この時まで無かったのだ。第一次世界大戦でも、敗戦国のドイツやオスマントルコは戦勝国によって裁かれていない。


 第一次大戦終了時にイギリスやフランスは、オスマントルコが大戦中に行ったアルメニア人虐殺について「人道に反する罪」として裁判にかけようとしたのだが、アメリカの強い反対によって裁判は実施されなかった。この時アメリカは「このような事を認めれば戦争の勝利者によって敗戦国の指導者が一方的に裁判にかけられる」と、誠にもっともらしい理由で反対していたのだ。


 また、イギリス・フランスは第一次大戦の戦争犯罪に関して901人の引き渡しをドイツに求めたが、ドイツはそれを拒否。そして、ドイツ人の戦争犯罪はドイツ国内法によって裁くことで合意し、結果、ほとんどのドイツ人は証拠不十分で無罪となった。


 しかし、今回の第二次世界大戦でドイツが行ったことは明らかにパリ不戦条約違反であり、ハーグ陸戦条約とジュネーブ条約に反することであった。その為軍事裁判が開かれることになったのだが、B級裁判の一審判事を全員ドイツ人とすることで戦勝国による復讐劇という批判を回避した。


 ただ、一審で無罪になってしまったときの保険として、二審では過半数の判事を連合国の人間としたのだ。


 そして、戦後に改選されたドイツの国会において、1933年にナチスが施行した「授権法」はワイマール憲法違反で無効であるとの決議がされた。この決議により、現時点におけるまでワイマール憲法は有効であり、憲法に反する人種隔離政策などは全て違憲立法であったと明確に示された。そして、ドイツ憲法裁判所においてもその決議が追認され、ナチス時代に成立した法律や政策や戦争は全て違法であったと、ドイツ自らに認定させたのだ。


 もちろん、これには連合国による非常に強い“要請”があったことは言うまでも無い。


 そして、裁判制度も臨時立法によって戦争当事国の人間を検事や判事として選任することが認められた。ただし、それでも根拠法となるのは、戦争犯罪事実があった“時”と“場所”の法律によって裁くという原則は貫かれた。


 その為、たとえば戦争犯罪事実のあった場所がポーランドやロシア(当時ソ連)であったとしたら、被害国が犯罪人の引き渡しを要請できるようにしてある。


「被告オスカール・パウル・ディルレヴァンガーをポーランドに移送することを当法廷は決定する」


 ポーランドでの戦争犯罪事実で訴追されていたディルレヴァンガーは、ポーランド政府の要請によって移送されることが正式に決まった。このように、各国から犯罪人引き渡しの要請があった場合、ドイツ人判事の判断でそのほとんどが引き渡されていた。


「ばかな!ポーランドに移送されたら私は裁判無しで殺されるぞ!お前達にはゲルマン民族の誇りは無いのか!お前達だってスラブ人を駆逐する事に賛成していただろう!」


 ディルレヴァンガーは決定を下したドイツ人判事達に罵声を浴びせるが、その決定は覆らない。第36SS武装擲弾兵師団を率いたディルレヴァンガーは、ポーランドでの残虐行為で当時のドイツ軍内部からも訴追の声が上がっていたくらいなのだ。検察が提出した証拠書類を見たドイツ人判事達は、あからさまな嫌悪感を表していた。


 このように、B級軍事裁判は粛々と進む。その戦争犯罪行為のほとんどがドイツ国外だったため、合計25000名のドイツ軍人が移送された。そして、その内の10300人が死刑判決を受け、残りのほとんどが終身刑となる。


 また同時に、日本軍内においても軍事法廷が開かれた。これは、戦地において軍紀違反を犯した兵を罰する為だ。合計で100万人以上の日本兵が動員されたヨーロッパ戦線において、少なからず犯罪行為が発生していた。


 小さい事では、戦死したドイツ兵が持っていたルガー拳銃を“お土産”として持ち帰ろうとした事案などが該当する。


 戦死した敵兵から武器を奪う行為自体は犯罪ではない。鹵獲した武器を自軍の戦力として使用できるためだ。しかし、それを部隊に報告をせずに日本へ持ち帰ることは認められていない。回収された個人用武器には、イニシャルが彫り込まれていることもある。そういった物は戦後に遺族に返されるのだ。今世において日本軍は、ここまで徹底して戦地からの略奪を防止していた。


 しかし、現地において婦女暴行や殺人などの重大犯罪に手を染める者も居た。戦争は人を狂わせる。これは致し方の無いことなのだろうが、誇りある皇軍がそれを放置することは出来ない。そして、合計174名が有罪判決を受け、その内18名が不名誉な死刑に処されることになった。


 戦勝国の中で、自軍の兵士を敵前逃亡やスパイ以外で死刑に処したのは日本だけであった。これについては国内で厳しすぎるのではないかと批判が出たが、敗戦国からはフェアな審判を下す国という評価を得ることができた。この自軍に対しても厳しく対応する態度は、今後数百年にわたって日本の良い評価の一つとして語り継がれることになる。


 そして、B級裁判が一段落付いた頃、A級裁判の審理が開始された。


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