第363話 憎しみの連鎖

 日本とアメリカの核兵器による応酬は、世界中のメディアが一斉に報道した。


 ヨーロッパ諸国の報道は、両国の言い分は食い違っており現時点においてどちらが戦端を開いたかは不明と論評し、比較的中立的なものが多かった。


 日本とアメリカの報道は、もちろん相手国を卑怯者と非難し徹底抗戦を訴えている。


 そして、被害の状況が明らかになるにつれ、世界の人々はその惨劇を目の当たりにすることになる。


 まず、積極的に情報を公開したのは日本であった。


 小倉の町の様子や全身火傷を負った子供や女性の写真、そして、赤子を抱えたまま焼け死んだ母子や黒焦げになった死体の山の鮮明なカラー写真を、大使館を通じて全世界の新聞社や雑誌社に提供した。


 また、国際連盟の緊急安全保障会議を招集し、市街地に対して核攻撃を実行したアメリカを強く非難した。


 ベルリンでも同じように核兵器による惨劇はあったのだが、加害者と被害者がともにドイツであったため、ドイツ国内では被害を強調するような報道は控えられていた。また、英仏軍にとっても、自国の兵士が惨いやけどや放射線障害に苦しんでいることを、現時点においては全面的に公開していなかった。そのため、核兵器によって何がもたらされるのかという真実を、この小倉によって世界は初めて知ることになる。


 それに対してアメリカは、自国の被害を出来るだけ国民に知らせないよう、報道管制を敷こうとした。これは、100万人以上の犠牲が本土で発生していることが公になれば、とてもでは無いが政権が持たないという判断だった。


 しかし自由の国アメリカで、報道管制が十分に機能するわけは無い。日本の報道から数日遅れで、アメリカの惨状も国内を始め全世界に知られることとなる。


 そしてそれぞれの国民は、自らの同胞が虐殺されたことに対して怒りを露わにする。


 日本では、在日アメリカ人を始め白人系の外国人の保護を進めた。憎しみに燃えた民衆から守るためだ。


 日本にはロシア人が多く住んでいたが、直接関わり合いのある人以外、ロシア人なのかアメリカ人なのか区別することは難しい。人的被害こそ防止することは出来たが、ロシア系住民の住居や商店が焼き討ちに遭うなどの被害が出てしまった。


 在日アメリカ大使館や領事館の周りには無数の群衆が集まり始めていた。日本陸軍は事前にそれを察知し、大使館には1万人の兵士を送って護衛にあたらせる。過剰とも思える人数だが、万が一突破されては、アメリカ大使館職員と避難している民間人が殺害されてしまうのだ。


 それでも群衆と小競り合いが発生し、放水銃や催涙ガス弾、暴徒の火炎瓶によって双方に負傷者が出てしまった。


 そしてこの混乱に対して、天皇による玉体放送(テレビによる天皇の姿が見える放送)が流された。


 人々は、今年放送が開始されたばかりの真新しいテレビの前に正座をして待ち構える。テレビの無い家庭も多いので、役所や公民館といった施設のテレビ前にも多くが集まっていた。


「12月8日、アメリカ軍による新型爆弾の攻撃を受け、小倉において甚大なる被害が出るに及ぶ。その悪逆非道なる行為を悔い改めさせる為、帝国はアメリカに対し宣戦を布告した。しかるに、国内において法を無視し、善良なる一般アメリカ人に対して暴行や焼き討ちを行うことは許されざる行為である。この様な暴徒は不忠者であり逆賊であると心得よ」


 天皇の言葉には、明らかに強い怒気が含まれていた。その放送を見た者は、白人を襲っている暴徒に対して、天皇は強い怒りを感じていると理解する。


 そして、今回の騒乱とは直接関係は無いのだが、日本国内において非合法な活動をしていたアメリカ人スパイや旧ソ連のスパイを逮捕し、この者達が騒乱をたきつけて日本を混乱に陥れようとしていたと発表する。


 この報道を受け、暴動に参加していた民衆も冷静になり“自分たちは騙されていた被害者だったのか”と認識(勝手な思い込み)をする。そして、国内での騒乱や暴動は沈静化していった。


 ――――


「メアリー!ガーゼと水!すぐに持ってきてくれ!」


 ブルックリンの爆心地から25km離れた場所にある救護施設では、集まった医師や看護婦達による必死の治療が続けられていた。


「ドクター、もう、ガーゼも水もありません・・・・」


 運び込まれた人々は皆真っ黒に焼けただれていて、すぐに清潔な水で洗い流し、ガーゼと包帯による手当を必要としていた。しかし、供給される衛生材に対して、爆心地方面から運び込まれる負傷者の人数が圧倒的に多く、既に応急処置すら出来なくなっている。


 爆発から20時間が経過し、州軍のトラックや民間のトラックが被災地に入って、負傷者を次々に救出し始めていた。トラックに乗せられている人たちには生気が無く、真っ黒になった顔と虚ろに開けた目の白さが対照的だった。


 メアリーは大きい病院の外科病棟に勤める看護婦だ。つい先日まで、友達とカフェでコーヒーを飲んだりダンスホールで踊ったりと青春を謳歌していた。婚約したばかりのデビッドは、ウォール街に勤めるちょっと年上の証券マンだ。昨日は日曜日だったため、ウォール街に出勤はしていないはずだが、彼のアパートは職場の近くにあった。州軍の話によると、ブルックリンから5km以内には何も残っていないということだった。


 デビッドのことはもちろん心配だが、今はそれを考えている時間は無い。とにかく、目の前の“生きている人”を救うことだけ考えよう。メアリーはそう決意して、自身の役割を果たす。


 しかし、そこは想像を遙かに超える地獄だった。


 炭の塊を大事に抱きかかえて震えている女がいた。その炭には、小さな手足が付いているように見えた。


 大やけどを負った母親が我が子に乳を与えていた。胸がはだけているが、それを隠すような余裕はない。でも、その母親はすぐに息をしなくなった。それでも、赤子は母の乳房を吸い続けている。


 ほとんどの人が全身黒く焼けただれていたり、皮膚がはがれてしまっていたりと性別すら判別することが出来ない。それでも、みんな必死で生きようとしているのだが、手当をしたそばから次々に死んでいく。


「・・・ありがとう・・・看護婦さん・・・・」


 自分の手当に感謝の言葉をくれた人を、何人も何十人も目の前で看取った。でも、もう水も包帯も何もない。けが人が運び込まれても出来ることなど無いのだ。


 それでも死にゆく人々は、最後に「ありがとう」と言ってくれる。何も出来ないこんな自分に。


 憎い憎い憎い


 私たちにこんな仕打ちをした日本が憎い。私からデビッドを奪った日本が憎い。日本人の全てが憎い。


 メアリーは涙をぬぐうこともなく、水と衛生材を求めて走り回った。


 ――――


 日本からの核攻撃がアメリカで報道され、その被害の大きさにアメリカ国民は驚愕し、そして人々は自身の怒りと憎しみに火を付けた。


 政府に対する怒りもあったが、民衆の怒りや憎しみのほとんどは日本人に向けられた。


 暴徒と化したアメリカ人達が、有色人種の家や商店、学校を襲った。西部地域では1900年以前に移民してきた日系人だけの開拓村があったが、彼らの運命は特に悲惨なものだった。暴徒達に、州軍や保安官までが合流し虐殺を始めてしまった。町から離れているため、人目を気にする必要が無かった。日系人達はまるで狐狩りのように撃たれて殺されていく。女であれば幼女から老女まで、惨く陵辱された上で残虐に殺された。移民から50年。アメリカ国籍を持ち、皆、アメリカの発展のために尽くし納税してきたにもかかわらず。


 都市部では日系人だけで無く、中国人や黒人、ヒスパニック系住民も虐殺の被害に遭ってしまう。人種差別撤廃を主張している日本に同調し、非白人が暴動を起こすとデマが拡散されたためだ。また、日本が主導して沿海州にユダヤ人国家を作ったこともあり、ユダヤ人も暴徒に襲われ、多くの命が失われることになった。


 戦争開始から一週間、全米で13万人もの有色人種とユダヤ人が虐殺された。


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次回更新は9月2日(月)になります。

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