第360話 Point of no Return(5)
宇宙軍本部
大本営を後にした高城は、宇宙軍本部に戻り自身の執務室で一人になっていた。昨日の朝に目を覚ましてから、すでに24時間以上経過している。さすがに疲れが出てきていた。
「リリエル、いいのか?これから何十万人、もしかしたら100万人以上の人間を殺すことになる。悪魔に力を与えることになってしまうな」
小倉に核攻撃を受けてから、リリエルは一言も言葉を発していなかった。高城も対応に追われて、リリエルにかまっている時間がなかったからというのもある。
「私ね、前のアルマゲドンで仲の良かった天使が何人も消滅しちゃったんだけど、悪魔を憎いと思ったこと、一度も無いのよね。基本的に、天使には憎しみという感情は無いの。神様の御心(みこころ)に従ってミッションを遂行するだけ。そういう意味では、不完全な生き物なのかもね」
リリエルの言葉には抑揚が無く、どこか遠くを見ながら独り言を言っているような、そんな語り口だった。
「でもね、あんたと融合して、いろんな人間と接して、神様の“愛(アガペ)”とは違う、人の“愛”があることを知ったの。みんな、小さな世界の、手の届く範囲で愛を見つけて、はぐくんで、将来を夢見て生きているって事を知ったわ。神様が人間を庇護するように命じているからじゃなくて、そうじゃなくて、わたし、人の世を、この美しい世界を守りたいって、心の底から思えるようになったの。だからね、そんな小さな夢を、子供たちの命を、あんな簡単に焼いてしまう連中のことを許せないの。そんな事をするやつらをね、皆殺しにしてやりたいって思ったの。こんな気持ちになったの、初めて・・・。ねえ、これが憎しみなの?これがそうなの?」
リリエルの声は弱々しく、今にも泣き出しそうだ。高城と出会うまで、リリエルは神が命じるから人間を庇護してきた。人の非道な行いを見て悲しむことはあったが、憎しみを感じることなど無かった。なぜなら、どのような人間でも等しく神の子であり庇護するべき対象だったからだ。もしかしたら、リリエルの思考はより“人間”に近くなっているのかもしれない。
「しかし、俺はこれから、アメリカの市民をたくさん手にかける。何の事情も知らず、ただ愛をはぐくみ、夢を見て生きている人たちをだ。それに反対はしないのか?」
「そうしなければ、もしかしたらもう一度、日本や同盟国が核攻撃をうけるかもしれないんでしょ?多くの人が殺されるかもしれないんでしょ?それを防ぐためには、核を使ったらどういう結果が待ち受けているか、解らせる必要があるのよね?」
アメリカに対して、海上や砂漠の真ん中に核攻撃をして抑止力にするという案もあった。しかし、アメリカはそれを“弱腰”と判断する可能性がある。日本はヨーロッパでもそうであったように、民間人を大量に殺すような作戦をとることは出来ない。凶悪な兵器を持っていても、大都市で使用することはない。もし、そのようにメッセージを誤って受け止めてしまった場合、再度日本への核攻撃を招きかねないのだ。
もちろん、これ以上日本にもアメリカにも、人的被害をもたらすことのない解決方法が一つだけある。日本が無条件降伏を受け入れたらいいのだ。そうすればアメリカの指導の下、憲法はさらに民主的に改正され、軍も縮小して民生分野に集中することができる。アメリカは、日本国民を搾取したり飢えさせたりはしないだろう。高城の持つ技術を全てアメリカに開放すれば、世界はさらに飛躍的に進歩する。そして、アメリカの核の恐怖によって、世界の“安全”は守られるはずだ。
安全保障をアメリカに任せて、その核の傘の下で生きていけばいい。そうすればもう誰も死ぬようなことはない。前世がそうであったように、今世においても日本はそれを選択すればいい。それに、民間人の死者を抑えれば悪魔に力を与えなくてすむ。最も合理的な解決方法であることに間違いは無いのだ。
しかし、高城蒼龍はそれを選ぶことが出来なかった。前世では何らおかしいと思うことはなかったはずなのに、最も合理的な答えだとわかっているその選択をすることが出来ない。
- つくづく人とは不合理な生き物だ -
今世では、核の惨禍を防ごうと決意していた。しかし、ベルリンでの使用を許してしまう。その惨状を見ているにもかかわらず、アメリカは核の使用に踏み切ってしまった。もしかしたら、ベルリンへのアメリカ調査団の受け入れを断ったから、その惨状を正確に知らなかったのかもしれない。だから、今度こそ何が起こるか理解させなければならなかった。核兵器を使おうなどと、そんな馬鹿なことを二度と思えないように、あえて甚大な被害の出る攻撃を決意する。
- 戦争は悲惨であればあるほど良い。こんな馬鹿げた事は二度と御免だと、どんな馬鹿にでも理解できるでしょう -
昔読んだ小説の一節だ。高城蒼龍には、この一節が真理であると今なら確信できた。
「神様が庇護している人間を、こんなにたくさん殺そうとしている天使なんて、たぶん私が初めてよね。悪魔達とやっていることは同じだわ。ルメイとアンドラスはそこまで考えていたのかも。私たちの手で、多くの人間を殺して魂を悪魔に捧げさせる・・・。これって、神様を裏切る事よね。もしかして、私、このまま堕天しちゃうのかな?ねぇ、どうしよう・・・」
リリエルは自分にとって大切な人間と、そうでは無い人間とを区別し始めていた。それは、人々を遍(あまね)く庇護する神の意志に逆らうことなのかもしれない。多くの人間を殺すことは、神への裏切りに他ならない。神の“愛”を疑い、堕天へ続く破滅の始まりを感じていた。
「もし私が堕天したら、私を殺して欲しいの。悪魔を殺す技術を発明して欲しい。そうすれば、アルマゲドンで悪魔達が強力になってても、倒せるかもしれない。あんたにしか、こんなこと頼めない」
「リリエルがもし悪魔になったとしても、最期の最期まで付き合うよ。ルメイも、人間部分の人格が悪魔に支配されていたわけじゃない。大丈夫。心配するな。堕天が物理的な現象なら、不可逆って訳でもないだろ。悪魔を天使に戻す技術を、俺が発明してやるよ。それに、俺も共犯者だしな。いや、主犯か。報復のつもりはないと言えば嘘になる。俺も、こんな事をした連中を皆殺しにしたいって思ってしまったよ。リリエルだけじゃない」
高城蒼龍は優しくリリエルに話しかける。例えリリエルに何があっても、最期まで一緒に居よう。心の底からそう思った。
「・・・ありがとう、蒼龍・・・・・」
「あれ?初めて名前で呼んでくれた?いつもは“あんた”って、どこの熟年夫婦だよって感じだったのにね」
「もうっ!ふざけないでよ!」
――――
アメリカ東海岸 ノーフォーク基地
「日本軍からの攻撃って、本当なのかよ!?」
日の沈みかけた基地を、二人の兵士が大きなランドリーバッグ(移動の為に着替えや私物を入れる袋)を背負って歩いていた。
「ボブ、事実は事実だ。ハワイと中国の基地が攻撃されたってお前も聞いただろ。ワスプ(アメリカ空母)も明日には出向してハワイの防衛に向かう。俺たちは命令に従うだけだよ」
「だけどよぉ・・・・、この間のフレンドシップデーじゃあ、あんなに仲良くしてたんだぜ。何かの間違いじゃないのか?それに、日本軍を相手にするなんて、自殺行為だよ」
「だから新型爆弾を使ったんだろ。ベルリンでドイツが使ったのと同じ物らしいじゃないか。俺たちがハワイに到着する頃には、もう日本は降伏しているかもな」
「まあ、そうなってればいいんだけど・・・・・ん?なんだ、あれは?」
ボブは東の空から高速で近づいてくる飛行物体を見つけた。それは、航空機にしては小さい。そして、何より速度が速い。
「まさか、日本軍のミサイル?それじゃぁ本当に?」
次の瞬間、ボブとジョンは何の痛みも違和感も感じることなく、一瞬にして蒸発してしまった。
同時刻 ニューヨーク ブルックリン海軍工廠
大西洋から飛来した巡航ミサイルは、ジャイロスコープと対地レーダーの地形情報を元に、ローワー湾から侵入して海岸沿いにブルックリン海軍工廠を目指している。そして、海軍工廠の上空1500mに到達した瞬間、起爆装置が作動し、破滅へのプロセスが開始された。
爆縮レンズによってプルトニウムが圧縮され、第一段階の核分裂が始まる。そこから発せられた強烈なX線と中性子と圧力によって、重水素化リチウムが三重水素に核変換され一気に核融合が始まった。
――――
「あらエド。どうしたの?突然泣き出して。おむつはさっき替えたばかりでしょ?」
ブロンドの髪を後ろで三つ編みにした若い女が、白いエプロン姿で夕食の支度をしていた。12月の日曜日の夕方、マンハッタンにしてはとても静かで穏やかな日だった。鼻歌交じりで野菜を切っていたら、窓際のベビーベッドから泣き声が聞こえてきた。女は突然ぐずりだした息子のエドワードを抱きかかえる。するとそれに刺激されたのか、隣ですやすやと寝ていた二卵性双生児の姉であるマーサも泣き始めてしまった。
「あらあら、困ったわね。もうすぐパパがお買い物から帰ってくるわよ。いい子にしてないと、パパも相手をしてくれないかもよ?」
赤ちゃんを同時に二人も育てるのは大変だ。でも、優しく逞しい、そして高給取りの夫のおかげで都心の高級アパートに住み、昼間はベビーシッターも雇うことが出来て裕福な暮らしをしている。この子達をちゃんと育て、愛に満ちた優しく穏やかな家庭を作ろう。女にとって、我が子が笑うこと、泣くこと、お乳を吸うこと、うんこを漏らすこと、その全てが幸せだった。
「きゃっ」
バンッという音と共にアパートが一瞬揺れた。そして部屋の中が光に満たされる。窓を背にしてエドを抱いていた女は、何かにはじかれて前に転げてしまった。
「エド!大丈夫?マーサ、マーサは!?」
泣きじゃくっているエドを抱きかかえたまま立ち上がろうとするが、何故か両手に力が入らない。背中が熱い。そして、体を横に向けて部屋の様子を確認した。
「イヤーーーーー!」
窓際付近が炎に包まれていたのだ。そして、マーサが寝ていたベビーベッドはすでに焼け落ちている。その中で、黒くなって燃えている何かが、小さな両手を突き上げて動かしていた。
アパートが一瞬揺れたのは、核融合の光によってレンガの壁が急激な温度上昇を起こし、ひび割れたためだ。そして窓から差し込んだ光は、後ろからキャサリンの上半身とベビーベッドを焼いた。着ていた服は一瞬で酸素と結合し、爆発するように燃え上がった。光を受けた女の背中から後頭部は、皮膚の水分が熱せられて小規模な水蒸気爆発を起こしていた。女の後頭部の皮膚ははじけ飛び、頭蓋骨が露わになっている。何が起こったか解らない女は、火だるまになりながらも息子のエドを守ろうとしていた。
「神様!お願いです!エドを!マーサを助けてください!」
女は叫んだが、もう体に力が入らなくなっている。目の前で焼け死につつある我が子を、どうすることも出来なかった。
“こんなことになるなんて。何か悪いことをしたの?これは天罰なの?”
女は絶望と悲しみと激しい痛みに包まれる。しかし、その苦痛はほんの数秒で終焉を迎えた。
核融合によって発生した爆風が、音速を超える速度であらゆる命を刈り取る。衝撃波によってレンガ造りのアパートは粉々に砕け、数万度に熱せられた爆風を浴びた者達は、体中の水分が一瞬で沸騰し水蒸気爆発を起こして四散した。
人類史上初めて大気中で爆発をした熱核爆弾(水爆)だ。その中心温度は一億度以上に達する。熱量は原爆のそれをはるかに凌駕し、マンハッタンにある全ての物を飲み込んでいった。
海軍工廠のクレーンや建造中の空母は、一瞬にして消滅した。爆心地から1km以内の建物の多くは蒸発し、続く衝撃波と熱風によって、そこに存在していたという痕跡すら、一切残すことが出来なかった。
爆心地から2km離れたニューヨークの高層ビル街にも、その凶悪な衝撃波が襲ってきた。水爆の衝撃波を真横から受けた高層ビル群は、まるでドミノを倒すかのように横倒しになって粉々に砕け散った。爆発から15秒後、5km離れたアパート街に爆風が到達した。一億度以上もあった熱風は、数千度にまで温度を下げたとは言え人々を焼くには十分だ。爆発の光線を浴びなかった人たちへも、容赦なくその熱風が襲ってくる。5kmも離れている為、レンガ造りのアパートはなんとか耐えることが出来た。しかし、爆風は窓やドアを吹き飛ばし、室内を一瞬にして巨大なオーブンに変えてしまった。髪や衣服は燃え上がり、人々はその熱さにのたうち回って死んでいった。
爆心地から8km。やっと生き残る人々が現れた。数百度の熱風を浴びた人たちが、よろよろと建物から出てくる。割れたガラスを全身に刺したままの人も居る。皮膚の表面から1cmほど炭化していても、人間はなかなか死ぬことが出来ない。真っ黒く焦げた皮膚はひび割れ、その赤い割れ目から血と体液をこぼしつつ人々が歩いている。ほとんどの人は喉を焼かれ、言葉を発することが出来ない。靴を履いていない人の足の裏にはもう皮膚は無く、赤黒い足跡を残しながら歩いている。生き残った人たちが通りに出てきて、みんなが歩く方へ一緒に歩き出す。足を失って歩けない人たちも、まるで芋虫のように地べたで体をくねらせ、この地獄から少しでも逃げようとしていた。力尽きた人がバタバタと倒れて動きを止めるが、誰も振り返ることは無い。とにかくここから逃げることしか出来ないのだ。しかし、その生への努力のほとんどは水泡に帰す。広がった火災は炎の竜巻となって、生きることを諦めない人々を、あざ笑うかのように飲み込んでいった。
その日、ハドソン川とイースト川は数十万の死体で埋め尽くされた。
~ あとがき ~
「戦争は悲惨であればあるほど良い。こんな馬鹿げた事は二度と御免だと、どんな馬鹿にでも理解できるでしょう」
これは、「幼女戦記」で主人公のターニャが言った台詞です。
8月に核兵器の惨禍の様子を描くことで、不快に思われた読者も多いでしょう。
79年前、文章で表すことの出来ないくらいの惨劇が広島・長崎で起こりました。
いろいろな文献を調べて、出来るだけその惨劇を表現しようとしたのですが、私の筆ではそれに遠く及びません。
それでも、少しでも多くの人が戦争の惨禍を不快に思って、こんな馬鹿げた事を現実世界では起こしたくないと思ってくれることを願ってやみません。
「戦争は悲惨であればあるほど良い。こんな馬鹿げた事は二度と御免だと、どんな馬鹿にでも理解できるでしょう」
出典 幼女戦記 著作 カルロ・ゼン
人が不幸に死ぬのは、物語の中だけで十分なのですから。
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