第359話 Point of no Return(4)

1941年12月8日午前5時30分(東京時間)

1941年12月7日16時30分(ワシントンD.C.時間)


 日本の駐米大使野村吉三郎が、ワシントンの国務省を訪問した。


「ハル国務長官、貴国の奇襲攻撃に対して、我が国は宣戦布告をすることにいたしました。これが“宣戦の詔書”です」


 そう言って野村は、漆塗りの箱を開けて書面をハル国務長官に手渡した。


 それを片手で受け取ったハルは、その宣戦の詔書をテーブルの上にポンと投げる。


「何が奇襲攻撃だ?先に我が軍に攻撃をかけてきたのは日本だろう。ハワイでは戦艦3隻が大破し、民間人にも多くの死傷者が出ている。我が国の友好国である中華民国において、汪兆銘をそそのかしクーデターを起こすなど、国際法無視も甚だしい。さらに越境攻撃をしてきた清帝国駐留軍によって、我が陸軍の戦略爆撃機部隊も大損害を受けた。そんなに力を誇示したいのか?貴国の軍隊が強力なことは解っている。だから致し方なく、軍事目標に対して限定的に核攻撃による防衛をしたまでだ」


 野村はハルの傍若無人な態度に怒りがこみ上げてくるが、ぐっと息を飲み込んで耐える。小倉では数万人の犠牲が出ていることを、野村も知っている。このハルという男は、それを主導した人間の一人だろう。目の前のこの男を殴り殺してやりたいと思う衝動を抑えて、ハルにもう一通の書面を手渡した。


「貴国からの先制核攻撃を受けて、我が国も防衛のため、アメリカ本土にある主要な軍施設を“消滅”させることにいたしました。これがそのリストです。非常に強力な兵器を使うため、これらの軍施設付近の民間人を避難させてください。あと60分以内に、最低でも20km以上の避難実施を要求します」


 ハル長官は野村大使から書面を受け取る。見るに値しないとも思ったが、“消滅”という言葉が気になり書面を開いて確認した。


 そこには、東海岸12カ所、西海岸9カ所の軍施設が列挙されていた。


「ブルックリン海軍工廠・・・」


 そのリストの一番上に、ニューヨークにあるブルックリン海軍工廠の名前があった。現在この工廠では、10万トン級大型空母2隻の建造が行われている。そこが攻撃対象になったとしてもおかしくは無かった。


「はい、ブルックリン海軍工廠も消滅対象施設です。周囲にも甚大な被害がでる可能性があります。おそらく、工廠から半径5km以内の“モノ”は何も残ることは無いでしょう」


 ハル長官はその言葉を聞いて眉根を寄せた。


 ブルックリン海軍工廠はイースト川のほとりに位置し、マンハッタンのウォール街まで2kmほどしか離れていない。もし野村大使の言うことが真実であれば、ウォール街のビル群は、60分後には消滅してしまうと言うことだ。


「バカな。ブラフにしてももう少し真実味のある内容にしてはどうかね?これだけ大言を吐いておいて何も無ければ、あなたは大恥をかくことになる」


 ハル長官は、そうは言ってはみたものの背筋に冷たいものを感じていた。


「はい、ハル長官。その通りですな。私は小心者なので大恥などかきたくはないのですよ。いずれにしても伝えることは伝えました。私は大使館に戻ります。あとの決断はお任せしますよ。それと、同じ内容の物をニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなどの有力新聞にも届けています。事前通告を受けていないと嘘をつかれるのも嫌ですからな」


 野村大使はそう言って国務省を後にした。


 アメリカ政府に通告するよりも前に、イギリスやロシアといった友好国の在米公館には避難をするように勧告を出していた。特にEATO(東アジア条約機構)の国々に対しては、アメリカの核の標的が同盟国に向かう可能性を指摘して、早期に反撃をする必要を訴えた。事前に勧告をしたとしても、大都市には様々な国籍の人間が多数いる。当然日本人や同盟国人もいるだろう。その全てが事前に避難できるとは思えない。しかし、そういった犠牲を払ってでも、迅速な対応を日本は決断したのだ。


 ハル国務長官は少し思案した後に、全て大統領に伝えることにした。ただのブラフだと思いたいが、万が一野村大使の言っていることが真実だとして、大統領に報告をしていなければすべて自分の責任になってしまうのだ。


 ――――


 同時刻 サンフランシスコ沖


「貝枝(かいえだ)艦長!ミサイル管制システムが・・・・受信を開始しています・・・・」


 副長のその言葉に、貝枝はカッと目を見開き無言で正面を見つめた。そしてゆっくりと深呼吸をして副長の方を見る。艦橋にいる他の乗組員も、無言で副長を見つめていた。


 この宇801潜水艦は、作戦行動において貝枝艦長自らが判断することはほとんど無い。指示通り、指定の海域で深度400mを維持するだけだ。その場所で動くこと無く、誰にも気づかれず4ヶ月間じっとしていることが任務なのだ。ミサイル管制システムが、本国からの指令を受信しない限り。


 400mの深度では電波は届かない為、常に水深30mのところに浮き袋を付けたアンテナを張っている。それでも受信できるのは300ヘルツの極超長波なので、データを受信し終えるまで10分以上かかる。


 ※海中には電波は届きにくいが、波長の長い極超長波なら届かせることが出来る。ただし、波長が長いと、データを送るのに時間がかかってしまう。


 艦内は完全な無音だった。ただ、受信を示すLEDだけが冷たく点滅している。誰も言葉を発すること無く、その点滅を見つめていた。


 その間、乗組員の脳裏に様々な不安がよぎっていた。このシステムが稼働するケースは一つだけだからだ。


 - アメリカから先制核攻撃を受けたとき -


 日本のどこかが核攻撃を受けたことは間違いない。水深400mにいる自分たちには最新の情報は入ってこない。だから、憶測でしか無いが、このシステムが受信を開始したと言うことはそうなのだろう。


 多くの日本国民が殺されたのだ。


「受信完了しました!パリティチェック、ロジカルエラーチェック共にクリア。N1からN5までの発射指示です・・・・」


 副長の木口は、データ受信完了の報告をする。その報告を艦長の貝枝は黙って聞いていた。そして、その報告を何度も何度も頭の中で確認する。しかし、何度反芻しても、もう誤解の余地は無かった。


「そうか・・・巡航ミサイル発射深度まで浮上。副長、解除パスの準備を」


 解除パスの準備を命じられた木口副長は、黙ったまま貝枝艦長を見つめる。


「復唱はどうした?」


「艦長。本国に確認を・・・・。何かの間違いである可能性も否定できません。本国に一度確認をお願いします!」


 木口副長は、俯きかげんで言葉を絞り出す。マニュアルには本国への確認など記されてはいない。これは、抗命ととられても仕方の無い行動だった。


「副長。我々の使命は理解しているはずだ。誰にも知られること無く、命令があればそれを実行する。ただそれだけだ」


「し、しかし艦長!5発です!西海岸と東海岸に展開している宇800型4隻に対して同じくらいの発射命令が出ているとしたら、アメリカのどこかの都市が20箇所以上、消滅するんですよ!犠牲は100万人を下りません!システムのエラーかも知れません!なにとぞ、本国に確認をお願いします!」


 アメリカ近海には、常に4隻の宇800型潜水艦が待機している。他の艦にも同じくらいの発射指示が来ているとすれば、合計20発程度のミサイルが発射されるはずだ。その結果は、人類史上最悪の惨禍をもたらすことだろう。しかも、その目標がどの都市なのか軍事施設なのかも解らない。このミサイル管制システムは、本国からのデータを受信して目標を定めるが、どこが目標になっているかを乗組員が知ることはないのだ。これは、乗組員の心理的負担を減らすという意味もあった。


「高城大佐が作ったシステムだ。受信データのエラーチェックもクリアしている。間違いなど無い。副長にも解っているはずだ。犠牲に対する十字架は、高城大佐が既に背負われていると」


 副長の木口は俯き拳を握りしめる。この任務に就いたとき、もちろんその覚悟はしていた。しかし、前回の航海でも発射指示はなかった。アメリカとも緊迫した状況には無いと聞いていた。だから、今回も無いだろうと、そう勝手に思っていたのだ。


「・・・・・はい、了解しました、艦長。解除パスを準備します・・・」


 宇801潜水艦はミサイル発射深度まで浮上した。そして、貝枝と木口はそれぞれの目の前のコンソールを“最終モード”に切り替えて解除パスを入力する。すると画面に確認メッセージが表示された。


「いくぞ、副長。3・2・1 今!」


 二人は同時にコンソールのエンターキーをたたいた。


 艦首に装備された6門の魚雷発射口から5発のカプセルが射出された。それは小型のロケットモーターによって海面めがけて進んでいく。そして、その勢いのまま海面から飛び出すとカプセルが割れて、長距離巡航ミサイルが現れた。


 アメリカの西海岸と東海岸に配備している4隻の宇800型潜水艦から、合計21発の巡航ミサイルが発射された。カプセルから出たミサイルは、ジェットエンジンに点火し主翼を広げる。そして、ジャイロスコープと対地レーダーによる地形認識によって、本国から送られてきたデータの通りの目標に向かって行く。


日本もまた、引き返すことの出来ない地点を越えてしまった。

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